C10日間はあっという間に
真夏の1日は、長いようで短かった。いつの間にかお盆。いつの間にか親戚宅で鉢盛りを食べていた。そう言えば、8月10日には映画「サマーウォーズ」を観に行った。mixiも発展したら、いつかOZのような仮想都市ができるのだろうか。 16日には、生まれ故郷の佐賀県杵島郡江北町を訪れた。住んでいた家は跡かたもなかったが、隣家のおばちゃんは現在も住んでいて、1時間くらい懐かしい思い出話をした。下の写真は、長崎本線と佐世保線の分岐点付近を走る特急「みどり」「ハウステンボス」。そして、19日になり、帰る日を迎えた。2009年(平成21年)8月19日(水)
帰りは京都まで「青春18きっぷ」の旅。普通列車を乗り継ぐため、合計14時間の旅。駅までは車で送ってもらい、佐賀9:34発の鳥栖行きを待った。そして、やって来たのは415系国鉄色!夏らしいよく晴れた日で、絶好の旅行日和だった。 鳥栖駅で門司港行きの快速に乗り換えた。途中の香椎駅で香椎線のキハ47形を見かけたが、よく見たら側窓に小さなLED表示器が設置されていた。続いて門司駅で下関行きの415系に乗り換えた。下関駅では時間があるので、途中下車して有名な「ふく寿司」(830円)を購入。ついでに駅の外を撮影した。駅舎全焼からまだ完全に復興しておらず、いかにも仮駅舎という感じだった。 ホームへ戻り、115系快速「シティライナー」糸崎行きに乗り込んだ。階段に近い車両はほぼ満席だったが、後ろ3両目に空席があったので、そこに座った。幸い海が見やすい右側。今日はどんな車窓になるのだろうか。ただ、窓と座席の配置が合っておらず、外が見にくい席だったのはちょっと痛かったが……。発車直前に駅弁を開けた。ふぐに酢が染みているのは本当に美味しいのだが、今回食べた弁当はご飯が若干べちゃべちゃしていたのは残念だった。 さらに残念なことが発生。日差しが強かったので、前後の席に座っている乗客(=カーテンの支配権を持っている)たちがカーテンを閉めてしまったのだ。これでは車窓が見えない……。だからと言って、他の席は空いていないし、車窓が見たい程度の理由で開けてもらうのもちょっと気まずい……。ここは我慢するしかないか。それでも途中途中でカーテンを微妙に(意図せず)開けてくれたので、その隙間から何とか撮れた。 約3時間かかってようやく山口県を通過。広島県に入ると快速運転なので、結構速い。広島駅は16:24に発車した。ところが、入野駅を発車してしばらく行くと、突然急ブレーキがかかり、大きなカーブを曲がったところで停車してしまった。時間は17:14。近くに踏切はなく、不思議に思っていると、「車内でSOSボタンが押されて緊急停車いたしました。現在確認を行っております」と放送が流れた。すると、前の車両から男性が急ぎ足でやって来て、乗務員室の方へ向かった。その後、改めて放送が入り、車内で急病人が出たとのことだった。ただ、停車した場所が場所だけに救急車が来ることもできず、5分後に発車した。しかし、次の河内駅で誰かが搬送される様子もなく、定刻より7分遅れて発車した。その後も、停車駅に到着する度にお詫びの放送が流れた。 三原駅で、岡山行きの各駅停車に乗り換えた。こちらは初乗車となる213系。残念ながら山側の座席となったが、立ちっぱなしよりましである。岡山駅にはほぼ定刻の19:15に到着した。1分の接続で姫路行きの115系に乗り換え。立席を覚悟したが、こちらも何とか座れた。岡山駅を出て30分もすると、だいぶ空席が目立ってきた。 網干駅で一旦途中下車し、駅前のコンビニで弁当(チャーハン&唐揚げ弁当498円)とお茶を購入した。そして、20:45発の新快速長浜行きに乗り換えた。始発駅である上に、これから都心に向かって出かける人は少ないので、余裕で座席を確保できた。しかも、発車時点で先頭車両に乗っていたのは3人。だから弁当も食べやすかった。 新快速は、姫路を出ると素晴らしいスピードで夜の兵庫県下を駆け抜けた。神戸に近づくと乗客が増えたものの、ぎゅうぎゅうになることはなかった。京都駅には、22:15に到着し、山陰本線(嵯峨野山陰線)に乗り換えた。大都市から郊外へ向かう路線とあって乗客が多かったものの、こちらも着席に成功した。幸運にも、佐賀駅から最寄りの花園駅まで一度も立席になることはなかった。 今日からまた自分でご飯を作って、洗濯して、掃除して……という生活が再び始まる。それを考えると、何だか憂鬱だ。しかし、9月にはもう一度佐賀に帰省する予定だ。その間にも、東京や瀬戸内海一周の旅行も予定している。夏はまだこれからだ。(おわり)