A雨の島原路

今年春に廃止予定の寝台特急「あかつき」の乗車と同じく廃止予定の島原鉄道の再訪を兼ねた旅です。

   山を越えて、東シナ海側に出た。車内放送が「この先、急カーブが続きます」と注意を促すと、バスは急カーブ区間に入った。対向車がびゅんびゅんすれ違って行くが、バスも坂を滑り降りるかのように下って行った。前回乗った時は遠くまで見えた東シナ海も、今日は残念ながら不機嫌そうだった。

 11:30、バスは小浜バスセンターに到着した。加津佐方面へ行くには、ここで乗り換えである。

 小浜は温泉街が有名で、あちらこちらから湯気が立ち上っていた。時間があるのなら、温泉にでも入りたいところだが、接続時間が5分ほどしかないので、今回は無理である。

 バスセンターの敷地内に停まっていた口之津駅前行きのバスが動き出して、乗り場のところに停まった。小浜から乗ったのは、私のほかに旅行者と思われる熟年の夫婦だけだった。

 バスは海沿いの道を通った。対向車線では、駅伝大会が行われているらしく、何人かの選手とすれ違った。バスは定刻より数分遅れて12:14に加津佐駅前に到着した。

 既に折り返しの列車は入線していた。雨も降っているので、ホームに停まっている車両くらいしか撮影できない。なので、キハ2500−2513を撮影すると、車内に入った。

 車内でみかんを食べながらおとなしく発車を待った。発車時刻が近づくにつれて、乗客の数が増えてきた。大半は旅行者だったが、中には地元の少年グループも乗っていた。列車は、12:56に加津佐駅を発車した。列車は海沿いを走ったり、少し内陸に入ったりしながら、島原半島を駆け抜けた。途中、布津駅では列車の交換を行った。残念ながら、雲仙普賢岳を拝むことはできなかった。

 深江駅には、意外なことにトロッコ列車が停まっていた。

 トロッコ列車は、昨年秋で運用を終えていたはず・・・・・・そう言えば、島鉄が団体旅行客向けに運行させると新聞広告で書いてあった。ということは、南島原駅で待っていたら来るかもしれない、と思い、南島原駅で下車することにした。この案だと、次の諫早行きは旧型車両なので、まさに一石二鳥である。

 南島原駅に到着した。トロッコ列車が来るまで時間がかかるだろうと思ったので、小雨の降る中、駅周辺を歩いた。併設の車両基地を一望できる島原寄りの踏切から1枚撮影。

 しかし、だんだん雨脚が強くなってきたので、駅舎の中やホームでトロッコ列車が来るのを待った。構内では、キハ20形がブルルンブルルンとアイドリングをしていた。次の諫早行きに使われるのだろうか。14:36、トロッコ列車が入線した。

 トロッコ列車は、わずか数分の停車で島原方面へ走り去って行った・・・・・・かと思っていたら、バックして車庫に入線した。どうやら今日の運行はこれで終わりらしい。

 誰もいない構内。雨がホームの屋根を打つ音しか聞こえない。少し前の時代を舞台にした映画に出てきそうな雰囲気だった。

 発車の10分ほど前に諫早行きのキハ20形2連が入線した。今日の編成は、諫早寄りから「キハ20−08」と「キハ20−06」だった。

 早速車内に入る。整然と並んだ座席。重厚な塗装の内装。特徴的な溝のあるドア。駅構内の雰囲気も独特だったが、この車内は、さらに昔の時代がそのまま残されているような気がした。

 運転席後ろの右側座席には仕切りがなく、前方の見やすい席だった。誰も座っていなかったので、早速その席に座った。加津佐からの列車が着くと、乗り換えてきた客が乗ってきたものの、座席が全部埋まることはなかった。15:06、列車は南島原駅を発車した。

 列車は、雨の島原半島を決して速くはない速度で走る。窓が曇っていたので、前はよく見えなかったが、運転士さんの運転操作はよく分かった。また雨脚が強くなった。ワイパーがカッチャンカッチャンと金属音を鳴らしながらせっせと働く。時折、運転士さんが曇った窓ガラスをタオルで拭いていた。車両が古いので、曇り除けの装置はついていないのだろう。島原駅でたくさんの乗客が乗ってきて、8割ほどの座席が埋まった。

 雨であるためか、乗客は皆黙っている。しかし、私にとってはとてもリラックスできる時間だった。この車内だけは、現代ではない。そう感じた。

 列車は、大三東駅付近で海沿いを走った。半島反対側の東シナ海と同様に、有明海もグレーだった。

 南島原駅を出て、約70分。列車は終点の諫早駅に到着した。一旦途中下車し、みどりの窓口へ。次の鈍行列車が来るまで時間があるし、お金も少し残っているから、と、諫早駅から特急「かもめ」の普通車自由席を使うことにした。ナイスゴーイングカードは、旅先でも乗車券の有効区間内であれば、追加購入が可能である。ただ、佐賀駅まで乗ると高いので、肥前鹿島駅まで買うことにした。肥前鹿島駅では、すぐに鳥栖行きの各駅停車に接続できることも理由の一つである。肥前鹿島駅までの自由席特急券360円を買うと、特急「かもめ」の到着する4番乗り場へ向かった。ただ、この時間帯は長崎からの観光客が大勢乗ってくることが予想されたため、先頭車付近に並ぶことにした。長崎駅は頭端式なので、博多寄り先頭車が改札口から最も遠くなるからである。

 16:46、特急「かもめ36号」が入線した。列車は、ソニック編成だった。

 今日は乗客が少なかったのか、私の読みが正確に当たったのかは分からないが、先頭車は空席が目立った。一番前の座席は先客がいたが、その後ろの座席が空いていたので、そこに座った。やはり885系の座席は素晴らしい。座ったときの感覚が、他の車両と全然違うのだ。見て美しい、乗って快適。やはり885系「白いかもめ」は、長崎本線沿線の宝である。「新幹線計画は決まったのだから、現実的対応をすべき」との声も出ているが、それは確かに正しいと言える。しかし、ここで新幹線容認論に世論が傾けば、特急が走らなくなる区間の沿線住民がさらなる不利益を被ることになる。新幹線開業後の20年間、JRが長崎本線を運行することは決まったが、現運行案は議論が尽くされたとは言いがたい。鹿島市が独自のレッドデータブックに載せたように、「かもめ」が“絶滅”しないよう、今後も現運行案や現新幹線計画には反対していく必要があるだろう。

 「かもめ」は有明海沿いに進み、肥前鹿島駅に到着した。

 肥前鹿島駅で鳥栖行きの各駅停車を待っていると、近くに見慣れたバッグを持って立っている高校生がいた。よく見れば、私の通う学校のマークが入っている。何と同じクラスの人だった。向こうも私に気づいたらしく、「えー!(私の名前)君何してるの!?」と驚いた表情で言われた。なので、私は今日ここに降り立ったいきさつをかいつまんで話した。一方、その人は、佐賀市内から鹿島市立図書館まで勉強に来たのだという。「鹿島市立図書館めっちゃきれいだよー!一度来てみなよー!!」と言われたが、“1日中遊んだオレって一体・・・・・・”という気持ちになった。

 鳥栖行きが入線した。肥前鹿島駅から乗る客は多かったが、座席の確保には苦労しなかった。肥前山口駅に着く頃にはだいぶ暗くなっていた。

 18:11、佐賀駅に到着した。そのクラスメートの人とは、電車を降りてから改札口まで雑談し、「じゃあ、また明日」ということで別れた。それにしても、世間というものは驚くほど狭いもんだ・・・・・・。

 一日中ぐずついていたが、いつもとは一味違った旅を楽しめた。「あかつき」も島原鉄道の廃止区間も、乗るのはこれが最後になると思うが、そういう意味でも今回は大変思い出深い旅になった。

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