C予想外デス

毎年恒例の有田陶器市旅行。昨年は佐世保に向かいましたが、今回は大村線経由で長崎方面に足を延ばしました。

 18:13、列車は夕方の長崎駅に到着した。構内には、キハ66系国鉄色や、今日の任務を終えたキハ28・58形、キハ66系の有田陶器市号編成、885系「白いかもめ」が止まっていた。

 改札口を出ると、右手上方に大きな液晶モニターがあった。すると、「GO!GO!長崎新幹線」などという宣伝が始まり、蛭子能収とかいう漫画家の描いた絵がどーんと映し出された。まったく、まだ“現実”が分かっていない人が多いようだ。もっとも、長崎市民の中でも、長崎新幹線建設反対論は根強いため、一概には言えないが、このような宣伝を駅の大画面を使ってするというのは、長崎の恥以外何でもない。極めつけは、何と東京の地下鉄にもこの絵を貼っているという。一体、どこまで恥をさらす気なのだろうか。

 長崎県は、採算が取れないことを理由に、県営バス路線を島原半島や大村線を中心に合計100km以上も廃止すると発表している。このことは、テレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」で知ったのだが、正直驚いた。そして、このような状況で、よく新幹線を造れだの何だのと言えるものだと、長崎県をはじめとする推進派の主張に矛盾を感じた。「サンデープロジェクト」に登場していた県営バス利用者は口を揃えて、「新幹線はいらん。今のままで充分。それよりも、私たちの足を残して欲しい」と訴えていた。最近になって、島原半島を走る「島原鉄道」が島原外港以南の区間を廃止すると発表した。長崎県は、そうした地域に住む住民に不自由を強い、一方で不必要な新幹線を造ると言うのか。

 「GO!GO!長崎新幹線」の絵を描いたその漫画家は、長崎出身ではあるそうだが、今は埼玉県に住んでいるという。ということは、今長崎で起きている“現実”を知らないままであの絵を描いたということか。夢はいくらでも見られる。その漫画家の思っている“長崎新幹線”は、所詮夢に過ぎないのだ。もっとも、長崎新幹線の最高速度は200kmで、1964年(昭和39年)に東海道新幹線が開業したときよりも遅い。とても、「“夢の”超特急」とは言えたものではない。

 さて、これから私は、路面電車や夜の長崎の街の撮影(市街地)を行うことにしている。駅前の歩道橋で、早速路面電車の撮影を開始した。やってきたのは、私が一番撮りたかった形式である1800形だった。

 ちょうど稲佐山に夕陽が沈む頃で、空は赤く染まった。

 ふと、思い出した。長崎駅前と言えば、伊藤前長崎市長が銃殺された場所だったなと。臨時ニュースでしばしば出てきたバス停が歩道橋の上から見えた。

 選挙日を目前にして、政治活動だけでなく、自分の生命をも絶たれた伊藤前長崎市長の無念は、計り知れない。過去にも政治家や新聞社が襲撃された事件があったが、○○が気に食わないから、言うことを聞かないからといって、政治に対して暴力を振るうという行為は決して許されないものだ。しかも、今回は、長崎駅前という大勢の人が周りにいる場所での凶行である。もしかすると、一般市民が負傷したり、犠牲になったりした可能性も充分にある。こうした事件は、二度と起きて欲しくない。

 私は、電停ホームに下り、1500形の正覚寺下行きに乗った。この後、西浜町電停近くの歩道橋から、夜の長崎の街を撮影しようと思っているが、まだ暗くないので、一旦終点まで乗ることにした。車内は混雑していたが、築町電停で下車する客が多かったので、そこから座ることができた。次は西浜町なのだが、ふと撮影予定地の歩道橋の方に目をやると、なんと、上から見ると正方形だった歩道橋の四分の三がなくなっていたのだ。しかも、撮影場所にちょうど良かった部分が、である。「中央橋架け替え工事」などと書かれた看板があり、その関係で歩道橋が撤去されてしまったらしいのだ。私は、予想外の展開に、急遽計画変更を迫られることになった。

 終点に着いて、電車を降りた。電車は、わずか2分で「浦上車庫行き」で折り返した。

 私は、これからの計画を考え直しながら、電車の撮影を行った。どの電車も、到着すると1、2分で折り返して行った。

 ほとんどの自動車がライトをつけ始めた頃、私は正覚寺下電停を徒歩で出発した。試しにさっきの歩道橋に行ってみることにしたのだ。坂を下りながらも、私は路面電車の撮影を続けた。途中にS字カーブがあり、そこを電車が通過するときは、けたたましく警笛を鳴らしていた。軌道内に進入する自動車が多いのだろう。

 大通りに接続するアーケードは、多くの人で賑わっていた。チラシを配る人も見受けられた。私はラーメン店のサービス券を差し出されたので、一応もらった。使うことはないだろうけど。

 歩道橋に着いた。歩道橋は、上から見ると正方形だったものが、1辺を残してなくなっていた。その1辺から、電車通りを撮影しようと思ったが、気に入らなかったので、時間があれば、と思っていた長崎駅前で改めて撮影を行うことにした。

 西浜町電停から、赤迫行きの360形に乗って、長崎駅前電停に戻った。既に暗くなっていて、夜の街を撮るにはちょうど良い時間になった。夜の時間を選んだのは、バルブ撮影を行おうと思っていたからである。私のコンパクトデジカメにはバルブ機能がついていないようなので、白黒フィルムを入れた一眼レフで撮影した(白黒フィルムは、学校の現像室で自分で現像できるので・・・)。魚眼レンズを持ってきていたので、それも併せて使った。

 ただ、デジカメを持ってきているのに、それで何も撮らないというのではもったいないので、デジカメでも2、3枚撮ってみた。

   歩道橋の上から夜の街の様子を見るのもいいものだなぁ、と思って時間を確認すると、19:40を過ぎていた。私は、19:47発の「あかつき」に乗ることにしていたので、急いで駅の方に向かった。長崎駅は、JR九州20周年記念企画「スタンプラリー20」のスタンプ設置駅なので、改札口に入る前に押した。終着の長崎駅を選ぶとは・・・。JR九州もできるだけ列車に乗ってもらおうと考えたのだろう。

 既に列車は入線していたが、時刻が19:45を過ぎていたので、編成を撮る時間もなく列車に乗り込んだ。今回は、長崎⇒佐賀間で、「あかつき」のレガートシートを利用することにしている。ナイスゴーイングカードでは、寝台特急を利用できないが、レガートシートは普通車指定席扱いなので、乗れるばかりでなく、料金もちゃんと4割引される。自分の指定席を探して座った。レガートシートに乗っている人は、ゴールデンウィークなのに少なく、少し寂しくなったが、これから乗ってくるだろうと期待して、発車を待った。

   列車は、2分遅れで長崎駅を発車した。すると、構内の留置線からも列車が発車し、だんだんこっちに近づいてきた。何の車両だろう、と思っていると、何と昼間に有田陶器市号で使われたキハ28・58形だった。

 「あかつき」は加速を始めたかと思うと、減速を始め、ついに浦上駅で停車してしまった。何をするのだろうと思っていると、下り線を特急列車が通過した。列車の行き違いだったのである。列車は、このあとも湯江駅や肥前浜駅で、列車の行き違い停車を行った。その行き違い停車の間、私は座席や内装、隣の車両との連結部分にあるテールマークなどを撮影した。

 諫早駅では、5、6人ほどの乗客がレガートシート車に乗ってきた。若い女性の乗客も2名おり、「あかつき」が若い人にも忘れられた存在でないということが分かって、少しほっとした。諫早駅を発車してから、車掌さんが車内改札にやってきた。車掌さんが私の席に来たとき、私は今日の乗車率について尋ねてみた。

私:今日はどのくらいのお客様が乗車されているのですか?

車掌さん:今日は寝台も満席よ。ほら。

 車掌さんは、車内改札用の記録用紙を私に見せた。確かに、全部の欄に丸がついていた。

私:本当ですね!

 そう言いながら、私も車掌さんも一緒に笑った。列車は、ゴトンゴトンと、やわらかめのジョイント音を刻みながら、長崎本線を北へ北へと突き進んだ。

 21:08、列車は3分遅れて肥前鹿島駅に着いた。肥前鹿島駅では、2人がレガートシートに乗ってきた。

 列車が六角川橋梁を渡ると、江北町に入った。だんだん佐世保線に寄り添い、そして合流し、肥前山口駅に到着した。今回初めて知ったが、駅の裏側の山(通称:さくら山)には、江北町のマスコットキャラクターである「ビッキー」(佐賀弁でカエルのこと)の電飾が設置されていた。駅の1番乗り場には、813系1100番台が停まっていた。大型LED表示器で「快速 小倉」を表示していたので、翌朝に運用されるのだろう。肥前山口駅では、4、5人ほどがレガートシートに乗ってきた。車内の座席は、半分ほど埋まった。

 佐賀駅に到着する前、車掌さんが回ってきて、私に「お客様は佐賀で下車されるのですよね?」と声を掛けてくれた。(寝てしまったら、大変だから・・・)という車掌さんの心遣いだったのかもしれない。21:35、列車は6分遅れて佐賀駅に到着した。意外にも、私のほかに、60歳くらいの女性の乗客が降りた。間違って乗ってしまったのか、直前の特急を逃したので、やむを得ず「あかつき」に乗るよう指示されたかのどちらかだろう。

 驚くべきことに、佐賀駅のホームには、これからスポーツの遠征(長い棒のようなものを持っていたので、弓道か?)に行くものと思われる中学生の集団がいて、「あかつき」のB寝台車に乗り込んでいた。これで、寝台車の半分を占めるのではないか、と思えるくらいの人数だった。翌日に試合があるのだろうか。そうした利用に寝台特急は最適な交通機関だと改めて思った。

 列車は、遅れを回復するために、乗降が終わると、すぐに発車した。そして、闇の中に吸い込まれ、やがて見えなくなった。

 今日はよく晴れていたので、気づいたら腕が少しひりひりしていた。日焼けしてしまったらしい。でも、目的は一応全て果たせたので、全てよしとしよう。「あかつき」も満席だと分かり、嬉しかった。今度乗るのならば、ぜひ京都まで乗ってみたいと思う。そう言えば、来年は受験生(え、もう!?)。次回の有田陶器市には、行けないだろう。それだけに、忘れられない思い出を作ることができ、大変素晴らしい旅行になったと思う。

 

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