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寝台特急「富士」で行く、大分往復日帰り旅行

2008年(平成20年)4月20日に、寝台特急「富士」(立席)に乗って大分まで行ってきました。

 そう言えば、今までに1度も乗ったことのない九州ブルトレがあった。寝台特急「富士」である。門司以東は「はやぶさ」と「富士」が併結するので、事実上乗ったことになるが、単独運転となる門司―大分間は乗ったことがなかった。なので、今のうちに、と乗ることにした。無論、東京―大分間を制覇できるほどの資金力はないので、小倉―大分間の立席を利用することにした。

 2008年(平成20年)4月20日。佐賀駅の窓口で、佐賀→小倉間、大分→佐賀間のナイスゴーイング(NGC)乗車券と、佐賀→鳥栖間のNGC自由席特急券、杵築→小倉間のNGCグリーン特急券、そして小倉→大分間の乗車券と立席特急券を購入した。グリーン券は、NGCのスタンプが満タンになったので、それを利用したものだ。なお、往路で分割購入することになったのは、「富士」がNGCで利用できないからである。

 7:06発の「かもめ102号」に乗車。先頭車の運転席後ろが空いていたので、そこに座った。前までこの車両は喫煙可能車だったが、去年から全面禁煙になった。良いことである。

 鳥栖駅で、門司港行きの快速列車に乗り換えた。二日市駅を過ぎたあたりで、今春、山吹色の新車体色に移行した「ゆふDX」とすれ違った。博多駅に停まった時、ふと駅ビルの方を見ると、いつの間にか跡形も無くなっていた。跡形がないどころか、地下部分まで壊され、無残としか言いようがない姿をさらしていた。福岡にまだ路面電車が走っていた時代からあった駅ビルだったので、老朽化も激しかったのだろう。博多駅の駅ビルは、鹿児島新幹線全通時に新たに完成するという。

 小倉駅で電車を降り、「富士」の到着する1番乗り場へ。間もなく、「富士」がホームに滑り込んできた。

 最後尾の12号車に乗った。車番は、当サイトの名前の由来にもなったスハネフ14−5。寝台のモケットは、黒字に黄や赤の点が入ったタイプだった。「富士」は、9:19に小倉駅を発車した。だが、どこかから“プー、プー、プー”と警報音が鳴っていた。その度に車掌さんがあっちへ行ったりこっちへ行ったりしていた。どうやら、車両のどこかに不具合があるらしい。車掌さんが故障箇所を直して車掌室に戻る寸前に再び警報音が鳴ることもあり、「あーまた鳴ってる」などとぶつぶつ言いながら引き返していた。

 JR九州小倉工場のそばを通ったとき、フリーゲージトレインが見えた。無論、まだ実験段階の車両である。フリーゲージトレインの導入を促進している団体は全国各地にある。福島県鉄道活性化対策協議会もその一つだが、2006年(平成18年)、この団体がJR東日本に「フリーゲージトレインをぜひ福島県の在来線に!」と要望したところ、JR東日本から「フリーゲージトレインの安全性や速達性を考えると、実用化の段階にはないと思われる」との回答があったという。同じJRでも、フリーゲージトレインに対する認識は違うのだ。特に重要なのは「安全性」「速達性」という言葉である。どちらも鉄道、特に「新幹線」にはなくてはならない要素だ。JR九州は、着工した長崎新幹線への導入を目指しているが、「安全性」「速達性」を無視することはできないはずだ。他の新幹線と同じかそれ以上の「安全性」「速達性」がなければ、多くの乗客は乗りたがらないだろう。

 列車は、どんどん日豊本線を下って行く。

 だが、撮影している間にまた警報音が鳴り始めた。どうやら、車掌室から出ていたようだ。実は、今回の旅行でビデオカメラによる録画も行っていたので、やむを得ず一つ前の車両に移動した。移動する際、12号車の各寝台をざっとのぞいて行ったが、どこも寝台の使われた形跡がなかった。日曜日なので、もう少し乗っているかと思ったが、やはり廃止はやむを得ないのか……。一方で、「はやぶさ」は結構乗っていることが多い。できることなら、電車化やサービスの改善を急いで欲しいと思う。

 一つ前の11号車は、行橋を過ぎてもまだ半数ほどの乗客が寝台にいた。寝具を使った形跡もあった。その中で、唯一、寝具がほとんど使われていないボックスがあったので、そこに座った。こちらは、木目調の内装に抹茶色の落ち着いたモケットだった。個人的には、さっきの車内よりこちらの方が落ち着けた。

 宇佐駅に着いた。宇佐駅のホームには、アメリカの国旗がずらりと並んでいた。私は、この理由がすぐに分かった。宇佐をローマ字に置き換えると、「USA」。つまり、アメリカの略称になるのだ。ところが、別のボックスにいた家族連れの父親が「何でアメリカの国旗を出してるんやろ。意味分からん」と、馬鹿にしているような口調で吐き捨てた。面白い地名だが、その面白さに気づききれないのは困ったものだ。吐き捨てるのではなく、「何でだろう」と考えてみることも重要だと思うが。その父親は、そう考えることもなく、アニメの話を盛大に始めた。

 そう言えば、福井県の小浜市が、同じ読みでアメリカ大統領選挙の候補者である「オバマ」氏に手紙を送ったところ、本人から本当に返信が来たという。地名が生んだ一つの友好である。ちなみに、長崎県の小浜温泉も同じ理由で手紙を送ったそうだが、こちらにはまだ返信がないという。

 地名を調べると、結構面白いことが分かってくる。例えば「谷」という読み方は、西日本では、「たに」と読むところが多いが、日本海側の富山湾から太平洋側の伊勢湾に至るラインを境に、東日本では「や」と読むところが多いのだ。東京都内では、「渋谷」「日比谷」「四谷」などは「や」と読んでいる。これは、中学生のときの自由研究で発見したのだが、なぜなのかは未だに分からない。地名というものは、本当に幅が広くて、奥も深いのだ。

 杵築駅で、下り特急の追い越しを行った。列車は、山々の間を走り、しばらくすると進行方向左手に海が見えるようになった。ここまで来れば、別府は目の前である。別府駅には、朝すれ違った「ゆふDX」が停まっていた。快速と寝台特急を乗り継いだのだから、こちらが遅く着くのも当然と言えば当然だ。

 東別府を通過すると、列車は海のそばを走るようになった。崖と海のわずかな土地を道路と線路が並行して走っているが、最も海側を走る道路の方は、埋め立てて拡張され、広々としていた。

 11:17、列車は定刻に終点の大分駅に到着した。

 早速列車の撮影に入った。本日の牽引は、ED76形90号機だった。だが、残念なことのヘッドマークはぼろぼろ。早く補修して欲しいものだ。

 まもなく、キハ185系特急「九州横断特急」が入線した。赤い顔同士の列車が並んだ。

 「九州横断特急」が発車すると、再びブルーの車体が現れた。

 717系幸崎行きが発車してしばらくすると、車庫に向けて「富士」が動き出した。

 改札口を出て、駅舎の撮影を行った。この駅舎も、高架化であと2年ほどで役目を終えることになる。

 少し駅周辺を歩いてみることにした。高架化工事はだいぶ進んでいて、高架橋がどっしりとした巨体を構えていた。下の写真は、大分駅近くの踏切だが、列車が頻繁に、そして駅のそばであるがゆえに低速で通過するため、道路が渋滞しているところを大分に来るたびに目にする。だが、この高架化工事にも、今問題になっている道路特定財源がつぎ込まれているらしく、燃料の高騰が家計を直撃しているのを考えると、100%賛成とは言えない。大分駅のコンコースには、「道路特定財源がないと、高架化ができません」云々というパネルがあったが、その前に国土交通省の悪しき体質を改めるべきだろう。お役人たちのお遊びや豪華料理のために国民の税金があるのではない。それに、人口が減る中でこれ以上道路は必要ないことだし。

 大分駅南口のところまで来た。大分駅南口駅舎は最近建てかえられたらしく、プレハブタイプだった。

 私は、別府方面の815系各駅停車に乗った。東別府の温泉に行くことにしているからだ。東別府駅で降り、周辺の浜脇温泉の中を歩いた。一度行ったことのある日の出温泉を見つけた。ここは100円で入ることができる。だが、「清掃中」の札がかかっていた。やむを得ず駅に戻り、駅員さんに尋ねると、すぐそばにある東町温泉を教えてくれた。古い建物で、看板に消えかけた文字で「東町温泉」とあった。窓口には誰もおらず、普段は無人のようだ。100円を金属製の小さな箱に入れて、半地下室へ。誰もいない浴室には中央に小さな風呂があるだけで、シンプルな構造だった。

 入ってみたが、お湯を朝に入れてから替えていないのか、別府の温泉にしてはぬるかった。先述した日の出温泉は、熱かった記憶があるのだが。20分ほどであがった。

 建物を出て徒歩1分ほどの場所にある撮影地へ。間もなく別府13:02発の「にちりん」が通過するからだ。13:05頃、「にちりん」が通過した。485系を期待したが、783系だった。

 13:14発の杵築行きに乗った。

 この後、杵築駅で特急に乗り換えることにしているが、いつものように資金が底をつきそうだったので、杵築駅で乗車区間を杵築から中津までに変更した。杵築駅は、武家屋敷を意識した重厚なつくりの木造駅舎だった。

 14:03、博多行きの特急「ソニック34号」が入線した。885系だったが、「かもめ」編成だった。ちなみに、885系のグリーン車に乗るのは、これが初めてである。885系は、普通車の座席もすごいが、グリーン車の座席はもっと大きく、座り心地もよかった(当たり前だが)。

 間もなく、客室乗務員がドリンクサービスの注文を取りにやって来た。「かぼすジュース」があると言われたので、私はいつものようにかぼすジュースを選んだ。

 至福の時間は、わずか30分で終わり、中津駅に到着した。

 20分ほど待って、下関行きの415系に乗り換えた。

 座席はロングシートのバケットタイプで、座り心地は悪くなかった。だが、だんだんうとうとしてきて、下車予定の西小倉駅の手前でようやく目が覚めた。西小倉駅で、荒尾行きの811系+813系の快速に乗り換えた。

 乗ったのは、811系だったが、九州内を走る通勤・近郊型車両の中では、座席が一番良いと思う。座った瞬間の感覚が違うのだ。特に疲れているときはそう感じることが多い。

 17:56、電車は鳥栖駅に到着した。すぐの接続で、肥前山口行きの813系に乗り換え、佐賀駅には定刻の18:22に到着した。

 当初の目的は全て果たせた。私の基準だと、これで現在九州内に残っている寝台特急には全て乗ったことになる。ただ、やはり夜通しで乗るのがブルートレインだ。受験旅行で機会があったら、ぜひ使いたいと思う。

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