×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

さよなら0系新幹線―彼は永遠にヒーローだ―

2008年(平成20年)12月をもって、本線上から姿を消した0系新幹線の業績を振り返ります。

誇り高き勇者、0系。2008年6月29日・博多駅で撮影。

 ヒーロー。それは時代とともに変わってきた。40代以上の方なら、ウルトラマンや仮面ライダーだろうか。20代や10代であれば、戦隊ヒーローものが最初に思い浮かぶだろうか。いや、価値観が多様化し、テレビよりパソコンや携帯電話の時代に遷った今、もはや皆が「こいつはヒーローだ!」と呼べるもの自体が存在しないのかもしれない。

 しかし、それはテレビ番組上の話。線路上ではどうだろうか。もし、街頭で「新幹線の絵を書いてください」とアンケートしたら、どのような絵が出来上がるのだろうか。実際にしたことはないが、おそらく大半の人は団子鼻で青いラインの車両を書くだろう。そう、0系である。先ほどのウルトラマンにも似た彼は、まさに世代を超えた鉄道界の“ヒーロー”だ。

 0系新幹線が登場したのは、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)。高度経済成長期の真っ只中だった。そのような中、太平洋戦争の敗戦からわずか19年で、最高時速210km/hの“夢の超特急”が誕生したのだった。

 以来、0系は約20年に渡って3200両以上が製造された。この間、食堂車の連結や窓の大きさ、編成両数の変更などが行われたが、あの愛嬌のある顔だけは代々受け継がれてきた。私見だが、多くの人が0系を愛する理由は、あの人懐っこそうな、鳥のようなかわいらしい顔を持っているからではないかと思う。

 その後、100系や300系をはじめとして、新形式が数年おきに誕生し、0系が活躍する幅は次第に狭められていった。1999年(平成11年)に東海道区間から事実上引退。JR西日本が運行する山陽区間でも、晩年の数年間はほぼ「こだま」運用だった。100系と同時に車体色変更や座席の交換が実施されたものの、残った旧色編成から順次廃車となり、さらに編成数を減らしていった。

 そして2007年(平成19年)12月。0系は2008年(平成20年)11月30日をもって定期運用から離脱して引退するとJR西日本が発表した。また、2008年(平成20年)2月には、JR西日本が12月に「さよなら運転」を行うと同社公式サイトに掲載した。

 0系は、8両編成になった500系に置き換えられる形で、春以降は3編成(R61、R67、R68)に減少。また、JR西日本では、0系の最後の花道を飾ろうと、同年3月から順次車体色を白に青帯の旧色に戻して運行した(実際には塗料の関係で完全なる原色ではないという)。また、車内チャイムも同時に2003年(平成15年)秋まで使用されたものに変更された。

 0系は、JR西日本の発表通り、2008年(平成20年)11月30日をもって定期運用から離脱した。岡山発博多行きの「こだま659号」が終点の博多駅に着くと、同駅ホームで最終運転のセレモニーが開かれ、その模様はニュース番組や新聞で報道された。12月6、13日には、0系が臨時「ひかり」として下りのみ運行され、14日は同様に1往復走った。最後の列車は「ひかり347号」として運行され、多くのファンが駅やテレビの前で別れを惜しんだ。なお、「347号」という番号は、「さよなら」の語呂合わせだという。

 こうして0系は本線上から完全に姿を消したが、イギリスの鉄道博物館での展示や、台湾の高速鉄道で活躍する事業車など、海を渡った0系もいる。実際、新幹線各駅では「0系」をモデルにした案内マークが残っているところもあり、JR東日本の東北・上越新幹線では、0系の弟分とも言える200系が活躍している。いや、それだけでなく、今、日本や台湾を走る新幹線の基本は、全て0系であるとも言える。人々が0系を記憶する限り、0系はヒーローであり続けるのだ。

 

さよなら0系新幹線―彼は永遠にヒーローだ―写真館

博多南駅で発車を待つ0系R68編成。2008年6月29日・博多南駅で撮影。

デジタル時代でも、座席種別表示は手動式。2008年6月29日・0系車内で撮影。

岡山への旅立ち。2008年6月29日・博多駅で撮影。

座席は元グリーン車の再生品。2008年6月29日・0系車内で撮影。

洗面台。飾り気はないが、きれいに整備された様子からは懐かしささえ漂ってくる。2008年6月29日・0系車内で撮影。

0系の売店。この車両が引退するまでの数年間は、非営業だった。2003年4月5日・0系車内で撮影。

旅行記&特集へ

トップへ