Cギリギリの帰路

わけあって、私は2007年(平成19年)10月13日・14日に東京方面に用事があり、開館初日の鉄道博物館に行ってきました。

 今度は1階に降りて外に出てみた。運転列車をはじめとする各種アトラクションはいずれも大混雑だった。すぐ近くには、455系の2両も展示されていて、こちらは休憩所として開放されていた。

 ミュージアムショップにも外にまで及ぶ長い列ができていた。今のうちに買っておこうと、早速並んだ。

 ミュージアムショップにたどり着くまで20分ほどかかった。神田にあった交通博物館に比べると販売品目は増え、内容はほとんど一新されていた。いろいろ見て悩んだが、山手線E231系のシートモケットを使った座布団(3150円)や山手線の駅名が入ったクリアファイル、「北斗星」の写真が載ったパスケースなどを買った。

 飛行機が出る時間は15:50だが、その30分前には空港に着かなければならないので、実物車両展示を最後にして帰ることにした。交通博物館から継承された車両もあったが、20系「あさかぜ」のように新たに展示車両の仲間入りをした車両もあった。ここでも、車内に入れる車両の前には列ができあがっていた。

 13:20ころに改札口を出た。出口で、入場時に使ったカードを返却し、代わりに記念のカードをもらった。これは、普通の紙だった。ふと気づいたが、券売機の前に人の姿はなく、館内に入ってくる人もいなかった。そして、なぜか道路には人だかりができていて、人々が館内をのぞいているのだ。なぜだろうと思いながらも駅に向かう。既に駅に直通する通路は開放されていた。通路の床面には、新幹線の時刻表が書かれていた。でも、ダイヤ改正の時はどうするのだろう……。

 ニューシャトルの鉄道博物館駅は、相変わらず混雑していた。コンコースにいた男性から「中の様子はどうでしたか?」と尋ねられた。聞けば、今日の入場は打ち切られ、自分は入ることができなかったという。この日は、鉄道博物館の予想をはるかに上回る人が来場したようだ。

 すぐにやって来たニューシャトルに乗ってJR大宮駅に戻った。そこである重大なことに気づいた。お金は、コインロッカーに預けた荷物と鉄道博物館に持って行く分に分けていたが、鉄道博物館に持って行ったお金が残り少なく、コインロッカー代を払う分しかない。つまり、入場券が買えないのだ。そこで、駅員さんに頼んで証明書を発行してもらい、改札内に入場させてもらった。荷物を受け取り、お礼を言って再び出場した。今度から気をつけなければ。ちなみに、改札口には「鉄道博物館の入場打ち切り」を知らせる掲示板が出ていた。

 あ、そう言えばと、東京に来たからには是非やっておきたいことがあった。IC乗車券、Suicaの購入である。早速「みどりの窓口」に行って、記名式タイプを選んで頼んだ。預かり金500円だけを払えば良いと思っていたが、合計2000円を払うことになった。親切なのか絶対にカードを使ってもらうためなのか分からないが、残り1500円は今すぐに使える分なのだという。ただ、1500円では羽田空港に戻るには足りないかもしれないし、今後も東京に行く機会があるだろうから、とさらに2000円を入金機でチャージした。改札口に向かっていると、近くで鉄道部品の即売会が行われていた。サボや駅の看板が売られていたが、よく見ると大半が鉄製だった。しかし、買う人はあまりいなかった。販売員の人に値段を聞くと、駅の看板が1500円、サボが3000円なのだという。3000円かぁ……と思ったが、サボの行き先は「上野⇔新前橋」や「秋田⇔酒田」のような東日本管内のものばかりで、この機会にしか買えないと思い、「上野⇔籠原(裏:上野⇔新前橋)」を1枚買った。

 改札口まで来た。早速、Suicaを自動改札機にかざすと、バタン!とドアが開いた。カード一枚で電車に乗れるということにやはり感動してしまう。ホームに行くと、ちょうど湘南新宿ラインの快速・国府津行きが入ってきた。

 湘南新宿ラインは、確か大崎駅にも停まるはずなので、大崎駅まで乗り、そこから山手線に乗り換えることにした。東京モノレールと京浜急行のどちらで羽田空港に行こうかと迷ったが、昨日、京浜東北線の電車に乗っていたとき、「品川から羽田まで、京急ならエアポート快特で最速17分」という看板を見かけたのを思い出したので、京急で羽田空港まで行くことにした。ただ、飛行機の時間にぎりぎりであることが気になったが。

 都内に入り、新宿や渋谷を過ぎ、予定通り大崎駅で電車を降りた。そして、山手線内回りに乗車。

 次の品川駅で降り、京急の改札口へ。Suicaは、京急でも使えるので、そのまま自動改札機に「タッチ&ゴー」。急いでいるときには、わざわざきっぷの買い直しや精算をしなくても良いところが便利である。しかし、駅の電光掲示板を見ると、次の羽田空港行きは「エアポート快特」ではなく「急行」だった。しかも、発車は14:58。飛行機の時刻に間に合うかどうか微妙なところである。おまけに、往路での経験からすると、佐賀行きの搭乗口は、荷物検査場から一番遠かったはず。確か、急ぎ足でも4、5分はかかったように思う。とにかく、次の急行に乗ることにした。その間、駅構内では電車の連結作業が行われたが、いろいろと対策を練らねばならなかったので、撮影する気にもならなかった。

 のどが渇いたので、飲み物の自動販売機でジュースを買おうとすると、よく見たらカードをかざす部分があり、「SuicaやPASMOが使えます」との表示があった。そして、実際にSuicaでジュースが買えた。これほど便利なのなら、早く九州でも普及してほしいものだ。ただ、もしどこかで落としたとき、一度に数千円もなくす恐れがあるのは怖いところである。

 急行羽田空港行きは、東京都営地下鉄所属の5300形だった。混雑するだろうと思って、改札口から離れたところで待っていたら、ちょうど先頭車のところだった。

 電車は、定刻に京急品川駅を発車し、ぐんぐん加速した。

   ところが、京急蒲田駅で別の列車が遅れているため、数分間停車した。おまけに、放送によればここから先は各駅に停まるのだという。“どこが急行なんだ!”と思ったが、今、羽田空港に一番早く着くのはこれしかないので、そのまま乗ることにした。電車は、左に急カーブし、空港線に入った。しばらくすると地下に入った。もし、地上を走っていれば空港が見えてくるはずなので安心できるが、地下だとどこを走っているのか分からず、とても不安だった。

 15:25、ようやく終点の羽田空港駅に到着した。ここから荷物を担いでダッシュである。本当はしてはいけないのだが、エスカレーターをいくつも乗り継ぎながら急ぎ足で昇り、カウンターのところまで来て、「佐賀行きのきっぷを出してください」とゼイゼイ言いながら引換券を出したが、ここではできないということで、近くにいた別の係員さんに頼んで、発券してもらった。荷物は2つあったうちの1つを預け、もう1つは機内持ち込みとした。ところが、荷物検査場が混雑しているとのことで、佐賀行きの搭乗口に一番近いところは利用できないという。“あ〜、これだから飛行機はもう!”と思いながらも、さらに遠い荷物検査場Bから入り、15:35、ようやく佐賀行きの搭乗口まで来れた。既に父は来ていたが、他の同行者はまだ構内の店で買い物をしているらしく、いなかった。まだ搭乗は始まっていなかったので、その間にお土産をいくつか買って、搭乗開始を待った。搭乗を待つ間もまだ息切れ状態だった。そもそもの原因は、もう少し鉄道博物館を早く出れば良かったのだが、その後もとにかく早く乗り継がなければと思って、来る電車、来る電車とあまりよく考えずに来てしまったことも原因のように思う。そして、京急を使ってしまった。もし、浜松町駅まで乗って、普通でも23分で着く東京モノレールに乗っていれば、あと少し早く着けたはずだ。今度からは、種別に惑わされやすい京急よりも3種別しかない東京モノレールに乗るようにしたい。ただ、やっぱり旅をするなら、5分前に着いても、荷物検査なしで気軽に乗れる鉄道に限る。やっぱり飛行機は大嫌いだ!

 出発時刻の10分前に搭乗が始まり、乗客がぞろぞろと搭乗口の中に入って行った。大半が佐賀県民らしく、その搭乗口だけは佐賀弁が飛び交っていた。

 乗車する際、新聞のサービスがあったので、朝日新聞を受け取った。ギリギリに搭乗手続きをしたので、父とは別の席で3列の中で一番通路側になった。飛行機は、定刻に羽田空港を出発し、ターミナルの周りを曲がりながら滑走路まで行き、そして離陸した。羽田空港はひっきりなしに飛行機が発着しているので、離陸前後には着陸しようとする飛行機や上空で待機している飛行機が見えた。往路ほどではなかったが、この日も曇っていて、雲の中を突き抜けるときは若干揺れ、景色は真っ白になった。雲を突き抜けてしばらくすると、ベルト着用サインが消えた。そして、往路同様、ワゴンサービスが回ってきた。

   デジカメを持っていると、客室乗務員の方から「記念に写しましょうか?」と言われたので、この機会にと写してもらった。ただ、疲れ果てて、やつれたような表情になってしまった。景色がよく見えないので、乗っている間は音楽を聴いたり、機内誌や新聞を読んだりした。機内で自由に行動できないのも、私にとってはきつかった。

 佐賀に着く30分くらい前、客室乗務員から「間もなく当機は豊後水道の上空を通りまして、着陸態勢に入ります。ベルトを着用してください」との案内放送が行われた。その後、英語による放送に切り替わったが、よく見ると客室乗務員の人が放送していた。国内線でも、英語が話せることが重要であるようだ。

 九州の上空は晴れていて、夕日が機内に差し込んできた。飛行機はぐんぐん降下し、地上がはっきり見えるようになった。有明海の海岸を飛び、くるっと旋回して最後の降下を始め、滑走路東側から入り、そして着陸した。今度の着陸は、特に問題なかった。飛行機は減速して、西の端まで行くと転回し、一旦戻って左折し、空港の搭乗口に接続した。

 搭乗口から出て、預けた荷物を受け取って空港の建物から出た。同行者の人たちとは、ここで解散になった。空港には、母が迎えに来ていた。外は既に日が沈み、自宅に着く頃には暗くなっていた。

 慌しいスケジュールだったが、一生に一度の良い思い出を作ることができた。早稲田大学に行くことは滅多にないことだし、著名人に直接会うことも偶然である場合を除いてそう多くない。この2日間は、絶対忘れることはないだろう。ただ、残念なのは鉄道博物館であまり楽しめなかったことだ。初日だったので、仕方のないことだが、機会があれば、今度は丸1日いたいものである。  

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