A予定変更で観光旅行に

管理人は、京都市内の大学へ進学することになり、アパートを探すため、京都まで旅行しました。

  さて、せっかくなので大学の中を少し歩いてみた。だが、風邪気味なので、自分が通う学部の校舎を見て、少し中に入った後、帰ることにした。ホテルは伏見区にあるので、これから市営バスとJRを乗り継いで向かう。

 大学前から京都駅方面に行くバスの本数は結構多く、数分待っただけでやってきた。だが、出発してしばらくすると、どのバス停からもどんどん人が乗ってきて、あっという間に満員となってしまった。

 京都のバス停は、変わった名前のところが多い。また、同じ地名の入ったバス停がいくつも続くことさえあり、乗客が迷わないだろうかと心配してしまった。特に「○○立売」(例:千本中立売)というバス停が多かった。何を立ち売りしているのか結局分からなかったが……。

 途中、少し離れたところに立っていた若い女性が「この席、空いてますよ」と、近くのおばあさんに教えていた。だが、そのおばあさんは、「私はもう降りるから、あなたが座りなさい」と応じた。結局、その2人は座らず、初めて会ったはずなのに世間話を始め、おばあさんが降りると、その若い女性は、さよならの意味を込めて手を振っていた。京都は、人情の豊かな街だと聞いたことはあるが、どうやらそれは本当らしい。

 ただ、京都は、バスの運転が粗い。急加速、急停車はよくあるし、信号が赤なのに無理して交差点に進入……。冷や冷やしているうちに、終点の京都駅に到着した。

 京都駅からは、奈良線の各駅停車城陽行きに乗車した。103系電車だった。JR東日本管内ではどんどん淘汰されていったが、JR西日本では当たり前のように見られる。

 数分だけ乗って、稲荷駅で下車した。稲荷駅付近も結構古い町並みが残っていた。ホテルまで行く途中、住宅街の中に葬儀場があったが、その付近の民家には「葬儀場は出ていけ!撤退せよ!」という張り紙が貼られていた。確かに、住宅街の中に葬儀場があると、供花で使われるキクの独特な香り(?)が漂ってくるし、毎日ご遺体が運ばれてくるので、街のイメージダウンになるのだろう。だが、映画「おくりびと」でもそうだったように、人の死(または生き物全般の死)は意外と身近なところにあって、誰もが最後に通らねばならない道なのである。その通過点を行う場に対して、「出ていけ」などと激しく追い立てることには少し抵抗を感じる。「葬儀場らしくない雰囲気を作り、街の秩序を保ってほしい」程度の、もっとお手柔らかな対応ができないものだろうか。もちろん、キクの香りが外へ漏れているのならば、それは葬儀場側の責任だし、近くに観光客が多いところならば、霊柩車その他の運転経路も工夫する必要があると思う。

 京阪電鉄の線路を跨いでしばらく歩くと、大通りに出た。「師団道路」という看板もあり、昔はこのあたりに軍隊の拠点があったのだろう。さらに南下し、龍谷大学のそばを通った先に今晩の宿、「アーバンホテル京都」があった。宿泊料は旅行商品の代金に含まれているが、全プランの中で最も安かったため、このホテルを選んだのだ。

 さて、明日の日程が空いてしまったが、どうしようか……と、父と話していたら、父の知り合いの方がこの近くに住んでいることを思い出し、実際に電話をかけてみたら、明日の午前中に会うことになった。その方は私もよく知っているが、会うのは10年ぶりくらいである。

 少し寝た後、19時くらいから父と夕食を食べに出かけた。「どうせ大学に入ったら、飲み会もあるだろうから雰囲気を知っておいた方が良い」と父が言い、近くの居酒屋に入った。もちろん、私は未成年なのでウーロン茶ということになった。店自体は学生向けの安いところだった。小皿に載ったつまみを細かく分けて頼み、最後に鍋を食べた。

 ホテルに帰り、テレビを観ながらベッドでごろ ごろした。いつの間にか日付が変わっていた。風邪気味で、その上いろいろ周って疲れたので寝ることにした。アパートが決まったことで、取り敢えず目的達成である。

2009年(平成21年)2月28日(土)

   翌朝、起きるとだいぶ体が楽になっていた。よく晴れていて、気持ちの良い朝だった。朝食を買うため、向かいのコンビニへ。9時に知り合いの方とフロントそばのロビーで会った。伏見には坂本竜馬(龍馬)で有名な寺田屋があると前から私が父に話していたので、父も是非行きたいと、そこへ行くことになった。予定変更で観光旅行になるとは……。もちろん、嬉しいことではあるが。

 車内で知り合いの方とお互いの近況をいろいろ話した後、どこかの有料駐車場に車を止め、10分ほど歩いて「寺田屋」に到着した。私が寺田屋を訪れるのは2回目である(前回は、「青春18きっぷで行く、北陸経由東京旅行2004!」の時である)。  

 だが、前回訪問した後、この寺田屋が大きなニュースになったことがある。従来、寺田屋の建物は「江戸時代から残るもの」とされてきた。ところが、京都市が「後に再建されたもの」という調査結果を2008年(平成20年)に発表したのである。その理由は、坂本竜馬が暗殺された翌年の1868年(慶応4年)に起こった「鳥羽・伏見の戦い」で建物が焼失してしまい、今の建物は明治時代に再建されたものだという。専門家の間では、前から再建説が強かったという。また、どの記事で読んだか忘れたが、建物様式そのものが、明治時代に入ってから見られるものだという点も、再建説を後押しする要因になったようだ。

 入館料を払って、実際に部屋へ。再建説が公式に認められた今でも、坂本竜馬と、一緒にいた三吉慎蔵(長州藩士、今の山口県出身)が襲われた時の刀痕やピストルの弾痕だとする案内が残っていた。また、1862年(文久2年)に薩摩藩士同士が斬り合った「寺田屋事件」で敵味方2人が刀で串刺しになったとされる壁も案内されていたが、これも京都市の調査結果では本物でないことになる。だが、寺田屋の管理者側は、あくまでも当時の建物としたいのだろう。

   私は、どちらの説があっても良いと思う。京都市は、再建説という結論を出したが、また一つ歴史のミステリーが増えたと思えば、面白いではないか。「邪馬台国はどこにあったのか?」、「源義経は、大陸に渡ってチンギス=ハンになった?」「日本軍の真珠湾奇襲はアメリカの罠で、ルーズベルト大統領は事前に知っていた?」などという歴史的ミステリーは、日本史、世界史を問わず、ごろごろ転がっている。「義経=チンギス=ハン説」のように、今日では科学的根拠がないとしてほぼ否定されたものもあるが、真珠湾奇襲はアメリカの罠だという説は、今まで何かと理由を付けて(時には嘘の情報を作り上げて)戦争をやってきたアメリカならありそうな話だ。ちなみに、高校の世界史の先生は「アメリカ人がRemember( リメンバー)○○、○○を忘れるな、と言った戦争は、たいていアメリカの陰謀で始まった」と何度も言っていた。何だかんだ言って、とんでもないことをする政府である。だから、歴史ミステリー的観点からすれば、私は寺田屋の表示に騙されたとは思っていないし、非難することでもないと思う。

   30分ほど見学した後、近くの商店街をぶらついた。結構古い木造家屋が建ち並んでいて、昼間にしては活気があった。店のおばちゃんも、とっても元気。京都、本当にええ街やわ〜。

   アーケード内の喫茶店に入り、コーヒーを頼んで知り合いの方としばらく世間話を楽しんだ。だが、楽しい時間はあっという間に過ぎ、知り合いの方の都合でお開きとなった。「困った時は、うちに電話してね」と知り合いの方に言われ、とても嬉しかった。

   さて、私と父は、これから佐賀へ帰ることになった。京都駅までは、京阪電鉄とJRを乗り継いで行く。まず、京阪電鉄の中書島駅へ向かう。途中に、昔の船着き場跡があった。今は公園として整備されていて、川の水は水たまり程度しかなかった。この地をあの坂本竜馬は歩いたのだろうか。

   2010年(平成22年)のNHK大河ドラマでは、福山雅治の主演で「坂本竜馬」が主人公となる。寺田屋もまた賑わうことになるだろう。おそらく、京都、長崎、高知と、坂本竜馬ゆかりの地では様々なイベントが開かれることだろう。近いうちに、竜馬の故郷、高知県にも行ってみたいと思う。

 中書島駅で、東福寺駅までのきっぷを買った。ホームに出て、準急出町柳行きを待った。それにしても、首都圏や京阪神地区の私鉄は、列車種別が多くて分かりにくい。快速急行なんて、完全に混ざっている……。急行との違いがいまいち分からない。だが、京都市内には、阪急、京阪、近鉄といった大手私鉄が乗り入れている。早く慣れなければ……。

 東福寺駅で、JR奈良線に乗り換え、京都駅へ。お昼時だったので、売店で駅弁と寿司を買った。弁当は、ジェイアール東海パッセンジャーズの製造で、受験旅行の時に「はやぶさ」の車内で食べた「幕の内弁当 日本の味博覧」も売られていた。帰りは予定変更となったため、自由席利用となった。私の風邪が完全に治っていなかったことも、予定を切り上げた理由である。

 次の博多行きは、12:29発の「のぞみ19号」である。表示を見れば、N700系だ。先頭から3両が自由席なので、そこに並んだ。幸い、到着まで時間があったので、数人しか並んでいなかった。

 上りホームに300系が入って来た。だが、私の父は「何か顔がちょっとなぁ」と300系を評していた。私も同感で、初代「のぞみ」とは言え、個人的にあまり好きではない。速そうな感じでないのが、その理由である。むしろ、0系や100系の方が新幹線らしいイメージがある。ただ、最高速度270km/hの300系が東海道山陽新幹線にもたらした影響は大きいし、この形式から同新幹線の大幅な速度アップが始まったはの事実である。こうした点から、300系の功績自体は認めざるを得ないと思う。

 一方、下りホームに入って来た博多行きのN700系の顔について、父は「精悍な顔立ちだ」とプラス評価していた。私は、N700系が登場した時、この顔に対してあまり良くない印象を持っていたが、東海道山陽新幹線の主力となった今では、むしろ格好良く見える。流れるような先頭形状は、今までの同新幹線で一番美しいのではないだろうか。  

 自由席車内は残念ながら満席で、新大阪で多くの乗客が降りることを期待したが、あまり状況は変わらなかった。だが、3列シートの通路側2席が空いていたので、そこに取り敢えず座った。次の新神戸駅では、窓側でパソコンを打っていた出張客の男性が降りたので、席を窓際へ移動した。ちなみに、この編成もJR東海所属だった。

 その後、京都駅で買った弁当と寿司を広げた。私が買ったのは、「21世紀出陣弁当」で、値段は1000円だった。「駅弁コンテスト大人の部グランプリ受賞」という売り文句に釣られて買ったのだが、確かに美味い。この前食べた「幕の内弁当 日本の味博覧」もそうだったが、ジェイアール東海パッセンジャーズの弁当は、煮物や野菜の味付けが上手だと毎回思う。秘密のレシピがあるのだろうか。

 「のぞみ19号」は、素晴らしい走りで山陽新幹線を下って行く。途中、わずかながら海が見えた。トンネル区間が多い山陽新幹線では、ある意味貴重な車窓である。

   終点の博多駅に着くと、今度は在来線に乗り換えだ。往路では885系だったが、帰りは783系だった。週末にしては空いていて、好きな席に座ることができた。

 京都駅で新幹線に乗った時刻から4時間後。既に私と父は自宅に到着していた。今まで各駅停車や夜行快速で京都へ行ったことが多かったので、私にとってこの所要時間は驚異的だった。ただ、実際に京都から帰省する時は、お金がないので、高速バスや青春18きっぷを使うことになるだろうな……。寝台特急があれば、資金を惜しまず乗るのだが、3月14日のダイヤ改正で九州行きは全てなくなる。以前から帰省で寝台特急を使うことが、私のささやかな夢だったが、もうできないかもしれない。臨時の「サンライズゆめ」も、ほんのわずかの日数しか運転されないことだし。

 まさか日本人の心の故郷である京都に住もうとは、ほんの1年前まで夢にも思っていなかった(但し、模試の志望校記入欄には、進学することになった大学を以前から書き続けていた)。実際、私は高校2年の夏まで国立大学が第一志望だったし、その後は東京や兵庫の私立大学も志望していたからである。大学が決まるまで、たくさんの分岐点があった。勉強はもちろん、周囲の環境や自分の体調など、どれかが少しでも違っていたら、自分の運命は大きく変わっていたかもしれない。そう言えば、高校3年の時に英語を教えていただいた先生が、こんなことを言っていた。

「第一志望の大学が残念な結果に終わっても、結果は結果です。合格した学校があったら、自分を取ってくれたんですから、“ありがとう”って思って、そこで頑張ってみるのも良いと思いますよ。もちろん、人それぞれですから、もう1年諦めずに頑張っても良いでしょう」

 「人間(じんかん)万事塞翁が馬」ということわざ(故事成語)がある。もちろん、第一志望に合格できることがベストだ。しかし、第一志望の大学に行ったところで、自分の学びたいことが見つからなかったり、やる気のない教授ばかりだったりということがあるかもしれない。一方、第三志望の大学に進んでみて、素晴らしい友達や教授に出会えることもあるだろう。実際に大学に入って授業に出てみないと分からないことは、結構多い。

 「何だ、結局賭けみたいなもんじゃないか」と思われるかもしれない。確かにそうだ。しかし、もし保護者の方の了承が得られるのならば、第一志望でなくても、合格した(自分を取ってくれた)大学に進んでみるというのも、一つの判断基準になると思う。

 今だから言えるが、私は高校入試で第一志望の県立校に落ちてしまったことがある。滑り止めの私立高校に行くしかない状況となった矢先、私が落ちた高校のライバル県立校が、たまたま定員割れで二次募集をすることになった。そのライバル校は、結構厳しい教育方針で知られており、中学生だった私は「絶対そんなところは行かない」と豪語していた。しかし、家計の事情を考えれば、やむを得ない。不本意ながら、そのライバル校の二次募集を受けてみることにした。二次募集では作文と面接の試験があり、定員8名に対し36人(倍率4.5倍)が受験した。そのような中、運良く合格できた。噂通り、確かに教育も生徒指導も厳しい学校だったが、その分徐々に成績が上がっていった。その他、生徒会に入って生徒会長を務めさせてもらったり、佐賀県内では数少ない写真部で全国大会に行くチャンスも与えられたりした。もし、第一志望の県立校に合格していたら、果たしてこれほど充実した経験が出来たかどうか分からない。まさに、「禍が福となった」のである。

 「人間万事塞翁が馬」と言える根拠は「大学と貴方の運命的繋がり」くらいしかないが、第二志望でも第三志望でも、その大学に少なからず興味を持ち、合格しようとして受けたのだ。自分とは何ら関係ないわけではないのだから、入って苦労しても、その人の努力次第で乗り越えられると考える。但し、進学する意思がないのに腕試しだと言って受けた人や、ただ何となく受けた人は論外である。また、進学を決めたら、多少自分のイメージと異なっていても、自分を大学の雰囲気に合わせる必要がある。少なくとも、自分のイメージや希望と完全に合致し、特に労せず大学に馴染めるなんていうことは、ほとんどないと言っても良いと思う。

 最後に、来年、大学を受験する人へ。私自身の経験と反省を踏まえて申し上げると、模試や本番の前日は、単語をいくつか覚えるより、体調管理に気をつけ、キリが良いところで寝てください。試験に出るかどうか分からない単語を覚えるより、すっきりした頭で全ての試験に全力投球した方がトータルで良い点数が出ると思います。もちろん、勉強を全くせずに点数は上がりません。また、試験が始まる3時間前に起き、朝食をしっかり食べておくと、ちょうど良い時間に頭が本格稼働するらしいです。あくまでも経験談なので、全ての人に当てはまるとは思いませんが、少しでも参考になれば幸いです。来年の春、少しでも志望の高い大学に合格されることを祈っております。

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