C北陸路を行く

青春18きっぷで東京、新潟を経由し、京都へ戻る旅をしました。

 直江津駅のホームに降り立ってまず気づいたのが、209系。首都圏を走る京浜東北線で走っていた車両が、なぜか直江津駅の構内に留置されていたのだ。後で近くまで行ってみないと。続いて、485系の並びを撮影した。特急型車両とは言え、左の電車は信越本線の各駅停車だ。右は、正真正銘の特急「北越」である。

 橋上駅舎を出た。駅舎を撮影し、とりあえず日本海に向かって歩みを進めた。

 駅前から延びる通りは、休日の朝とあって閑散としていた。途中の空き地には水たまりがあり、薄い氷が張っていた。

 何となく日本海はこっちだろう、と予測しながら歩いているうちに、関川の河口に架かる橋に出た。水面を見れば、水鳥が羽を休め、そのずっと遠くを漁船が海へと出て行く。それは、とてものどかな風景だった。

 時間がなくなってきたので、海岸へは向かわず、そのまま関川沿いの道を上流に向かって歩いた。数百メートル先の鉄橋を見ると、ちょうど北越急行のHK100形電車が渡ろうとしているところだった。地下道を通って、信越本線を渡った。渡ってすぐ、右を見ると、先ほどの209系が近くにあった。首都圏で活躍した209系が、遠く離れた直江津駅に留置されている理由はよく分からないが、貴重な風景であることには変わりないので、何枚か写真を撮った。そばの車庫には、EF64形と除雪車も停まっていた。

 直江津の街を一周し、ようやく駅まで戻ってきた。ホームに出ると、高岡行きの419系各駅停車は既に入線していた。高岡寄り先頭車は、種車時代の面影を残す高運転台タイプだった。

 乗客は旅行者が中心で、既に海側のボックスはほとんど誰かが座っていた。なので、やむを得ず山側のボックスに座ったが、さすがは元特急型。青春18きっぷで乗るのが申し訳ないくらいに良い座席だった。高岡行きは、特急「北越」を先行させ、9:46に直江津駅を発車した。

 しばらく行くと、右手に青い日本海が広がった。ただ、先述したように海側の座席には座れなかったので、ドアの窓から車窓を撮影した。

 10:26、電車は糸魚川駅に到着した。ここでは9分停車する。私は一旦電車を降りた。大糸線のキハ52形を撮影するためだ。このキハ52形は、春のダイヤ改正で姿を消す。以前乗ったことがあるし、撮影もしたが、せっかくのチャンスなので有効に使いたい。既に南小谷行きのキハ52−125は立ち席が出るほど混雑していた。

 構内の留置線では、キハ52−115が休んでいた。早速、1枚撮影。またひとつ、懐かしい風景がなくなるのかと思えば、とても寂しい。

 キハ52−115から少し離れた場所には、赤レンガの車庫があった。この車庫も、北陸新幹線糸魚川駅の建設にともなって取り壊されるという。地域主義とか、地域主権とか言われながら、結局、日本は新幹線の建設で画一的な国土づくりが依然進められ、没個性な地域が次々に生まれている。この整合性のなさを、政治家はどのように説明するのだろうか。

 高岡行きの電車に戻る前に、419系と一緒に1枚。キハ52の重厚そうな塗装が、その歴史の深さを物語っているようだった。

 電車に戻ると、既にボックス席は埋まっていた。だが、海側のロングシートは空いていたので、そこに座った。糸魚川駅を出てしばらく行くと、右手に北陸新幹線の橋脚が並走するようになった。やがて橋脚は途切れ、日本海が再び車窓を支配した。少し窓の汚れが気になるが、そこはご愛嬌ということで。

 うとうとしているうちに、魚津を過ぎ、滑川を過ぎ、11:49、富山駅に到着した。ちょうどお昼時なので、富山駅舎にある立ち食いそば屋で「立山そば」を食べた。食券方式で、券を買って厨房のおばさんに渡すと、すぐにそばが出てきた。リーズナブルな割に、麺はたくさん入っているし、スープも良い。私が食べている間には、美味しそうな匂いに誘われたのか、次々にお客さんが食券を買い求めていた。

 さて、私が富山に降り立った理由は、富山地方鉄道市内線と富山ライトレールの全線制覇だ。どちらも、先進的な取り組みが評価され、私の通う学部でも研究対象として関心を集めている。制覇のついでに、もちろん電車の撮影も行う。早速、1日乗車券を買うために電鉄富山駅のきっぷ売り場へ向かった。

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