さよなら「TABIJI」、最後の九州入り

長年親しまれた12系「TABIJI」。しかし、老朽化や旅行スタイルの変化で需要が減り、2007年(平成19年)9月30日を持って引退することになりました。その直前の9月17日、「TABIJI」が最後の九州入りを行いました。

帰途の「TABIJI」。もう九州にやって来ることはない。2007年9月17日・瀬高駅で撮影。

「TABIJI」が引退

 12系「TABIJI」は、JR西日本広島支社が所有する団体用のジョイフルトレインで、真っ赤な車体が特徴だった。普段は下関の車両基地で休んでおり、そばを走る山陽本線からもよく見られた。

 しかし、客車そのものがリニューアルされているとは言え、製造からかなりの年数を経ており、老朽化が目立ってきた。また、旅行者のスタイルが、団体から個人へと移ったことから、団体列車の需要が減少した。そのため、JR西日本は2007年(平成19年)9月30日のお別れ運転(広島―下関間)を持って、「TABIJI」を引退させると発表した。

 「TABIJI」は、しばしば九州にもやって来ていたが、この直前の9月16日・17日の九州入りが最後となった。行程は、16日の夜に九州入りし、鳥栖駅で一夜を明かした後、早朝に鹿児島本線荒尾駅まで南下し、復路で団体客を乗せ、本州に戻るというものだった。私は、当サイトとリンクをしていただいている「JOURNEY EXPRESS」管理人の豊之國男様や「Relayつばめ's Home Page」管理人のRelayつばめ様と一緒に「TABIJI」の撮影を荒尾駅と瀬高駅で行った。ここでは、両駅での撮影写真をもとに、最後の九州入りとなった「TABIJI」を特集したいと思う。

なお、「TABIJI」の歴史や概要などについては<こちら>へ。

さよなら「TABIJI」、最後の九州入り写真館

―荒尾駅―

 今回、「TABIJI」が最も南下したのは荒尾駅である。団体乗車は隣の大牟田駅などで行われた模様だが、大牟田駅は構内が狭いため、隣の荒尾駅で機関車の方向転換(機回し)が行われることになったのだ。列車は、駅舎に最も近い留置線に入線、50分ほど停車していた。なお、荒尾駅では20人ほどのファンが撮影していた。しかし、中には一般客の近くで理由も無く大騒ぎをする者もおり、駅という「公共の場」が乱されたのは非常に残念であった。

荒尾駅に入線する「TABIJI」。2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

停車完了。2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

しばらくして機関車が切り離され、一旦熊本寄りの留置線まで待避した。この日の牽引機は、ED76−66号機。いずれも2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

客車のみとなった「TABIJI」編成。2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

お座敷列車なので、窓には障子も。2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

この赤い車体や厳島神社の大鳥居ともお別れ。2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

痛々しい傷や錆びが車体のあちこちで見られた。2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

ED76形機関車が大牟田側に移動。ただ今、1番乗り場通過中。2007年9月17日・熊本県荒尾市で撮影。

ゆっくりと機関車が入線。2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

乗務員が降りてきて誘導。2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

さらに近づき……。2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

そして連結。2007年9月17日・荒尾駅で撮影。

―瀬高駅―

 この後、私と豊之國男様は快速で瀬高駅に向かった。瀬高駅で撮影を行ったのは私たちだけだった。「TABIJI」は、快速の後に荒尾駅を発車、大牟田駅での客扱いの後、瀬高駅2番乗り場に到着した。瀬高駅でも客扱いがあり、某旅行会社のツアーコンダクターに率いられた一行が列車に乗り込んでいた。停車時間は、9:03から9:09までの6分間だった。

瀬高駅2番乗り場に入線する「TABIJI」。2007年9月17日・瀬高駅で撮影。

瀬高駅2番乗り場に到着した「TABIJI」。2007年9月17日・瀬高駅で撮影。

瀬高停車中。2007年9月17日・瀬高駅で撮影。

発車を待つ「TABIJI」。2007年9月17日・瀬高駅で撮影。

 そして、「TABIJI」は定刻に瀬高駅を離れて行った。今までお疲れ様でした。

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