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A「はやぶさ・富士」を追いかけろ

2009年(平成21年)3月13日に始発駅を発車した列車が最後となった「はやぶさ・富士」。しかし、私は本州を走るきれいな姿を停車駅以外で撮影したことがありませんでした。3月14日、私は早起きして、最初で最後の“走る本州版「はやぶさ・富士」”を撮影しに出かけました。

 ヘッドライトをらんらんと光らせた列車が、どんどんこちらへ近づいてくる。急いでいるようにも見えるし、最後の路をしっかりと踏みしめながら走っているようにも見えた。一瞬、静けさが周りを包んだ。猛獣の悲鳴にも似たモーターの唸りが、辺りに響いた。

 その瞬間は、あっという間だった。気づけば、ホームにはファンだけでなく、地元の人もたくさんいた。撮影が終わると、早速画面を開いて、撮影具合を確認した。出来は……何とかきれいな編成写真が撮れていた。長年の希望が、最後の日にようやく達成された。

 やはり、長編成の寝台特急は格好良い。そして、客車と同じ色をまとったEF66形も、素晴らしい。往年の寝台特急ファンからは、EF65形500番台(P形)が一番ブルートレインに似あっているとよく言われているが、私は重厚感のあるEF66形も好きである。

 そのすぐ後に、下関行きの各駅停車があるようなので、私はココアを買ってきてくれた男性や、周りにいた方に「お疲れさまでした」と言って、その場を去った。きっぷを買い直して、入場。「はやぶさ・富士」の遅れが影響したのか、下関行きは数分遅れて到着した。下関に着いた時、別のホームに「はやぶさ・富士」が停車していた。だが、機関車の付け替え作業は既に終了しており、列車はすぐに発車した。

 私はさらに次の小倉行きに乗った。何と、415系国鉄色だった。そう言えば、前面下のホースをつなぐ部分が、赤・黄・青に塗り分けられていることに気付いた。しばらく列車の写真撮影をしていなかったので、全然知らなかったが、分かりやすくするためだろうか。JR東日本から最近やって来た415系の中に、白地に青帯の鋼鉄車も入っていたことを考えると、当分九州で鋼鉄製の415系が活躍するのは間違いなさそうだ。

 次の門司駅に着いた。「はやぶさ・富士」は、やはり機関車連結と各列車の切り離し作業が行われていた。早速「富士」の最後尾を1枚。最後尾車両は、丸っこいスタイルのスハネフ14形だった。同じ14系に分類されるスハネフ15形もあるが、こちらはどちらかと言えば角ばっている。どちらも14系の電源搭載車であり、「はやぶさ・富士」には、無くてはならない車両だった。

 ここに来てようやく編成をじっくり見ることができた。中には、東京駅で売られていたと思われる最終運転記念グッズや自家製の記念幕が窓いっぱいに貼られているところもあった。ちなみに、最終運転記念グッズのうち、JR東日本のグループ企業である「日本レストランエンタプライズ(NRE)」が発売した記念ヘッドマークや方向幕・サボタイプのものは、注文が多かったという理由で、廃止後に通信販売に限って復活発売されている。値段は少し高かったが、私も「はやぶさ・富士」のヘッドマークと、「はやぶさ」版の方向幕・サボタイプのグッズをインターネットで注文して購入した。

   「はやぶさ」が先に発車した。遅れはあまり変わらず、2時間弱ほどの遅延だった。続いて、「富士」に機関車を連結することになるが、既に機関車周辺には大勢のファンが詰めかけ、隙間がほとんどない状態だった。それでも私は、少しでも空いているところを見つけて、何とかヘッドマークくらいは撮れそうな場所を確保した。取材に来たテレビ局は準備が良いもので、脚立を用い、さらにカメラマン以外のスタッフもいた。テレビクルーが構えていた場所は、邪魔にならない柱のそばだったので、大きな混乱はなかった。ただ、一般のファンの中には、マナーと言うより、その人の人間性を疑うような行為をする人もいた。例えば、良い年をしたじいさんが、ホームに寝転がって撮影しようとして、巡回中の駅員に怒られていた。そこまでして撮影したいのなら、何で日ごろから撮っておかなかったのだろうか、と思う。年齢を考えると、現役世代に比べれば、十分時間があったはずである。運転最終日に、良い年をした大人のこんな恥ずかしい姿を見らねばならないとは……。本当に残念だった。

   間もなく、ゆっくりと機関車が入って来た。この間も、駅員さんはホームに人が転落しないよう、何度も巡回や呼びかけを行っていた。これ以上、何かアクシデントがあっては、JRにとっても負の記録にしかならない。急ぎつつ、慎重に機関車の連結作業が実施された。ちょうど私がいたところの近くで一旦機関車が停まったので、ヘッドマークを撮影することができた。

 そして、寝台特急「富士」は、定刻よりやはり2時間近く遅れて、門司駅を発車した。もう二度と、この駅に定期のブルートレインがやって来ることはないかもしれない。ほんの10年前まで、あれだけ、と言ってはオーバーかもしれないが、「さくら」や「あかつき」、「なは」、「彗星」といった往年の名列車がまだまだ走っていた。それがほんの10年で全廃……。あれよあれよと言う間に、というのは、まさにこのことであろう。

 さて、私は全ての用事が済んだので、佐賀へ帰ることにした。門司11:26発の快速鳥栖行きがちょうどあったので、それに乗ることにした。快速鳥栖行きは811系4両編成という短めの列車だったが、席に座ることはできた。ちなみに、この列車は元「三井グリーンランド号」のP9編成だった。途中の博多駅に停車していた時、CT817さんと車内で会った。福岡県内で「はやぶさ」の撮影を行った後、途中から同じ列車に乗って来たらしい。CT817さんは、けやき台駅が最寄りだが、私が鳥栖まで乗るので、そこまで付いてきてくれた。

 鳥栖駅には、定刻の13:25に到着した。ここで、CT817さんとはお別れになった。電車を降りて、今まで乗って来た811系を1枚。そして、次の肥前山口行きに乗り換えるため、別のホームに向かった。

 次の肥前山口行きは、5番ホームから発車するという。しかし、よく考えてみれば、5番ホームには415系が停まっていたような……。実際に行ってみると、やはり415系が次の肥前山口行きのようだ。ダイヤ改正で運用形式が変更になったのだろうか。

 着席定員の多いロングシート車だったので、全ての乗客が席に座れた。電車は長崎本線の各駅に停車し、佐賀駅には13:58に到着した。朝早くから大変だったが、一つ重要な仕事を終えることができ、ほっと一安心……したいところだが、この翌日から私はクラスの男子たちと一緒に卒業旅行へ行った。その詳細は、次の旅行記で。

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