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3月15日(土):鳥栖駅

2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正をもって廃止された寝台特急「なは・あかつき」。その最後の1週間を追いました。

 この日も上り始発電車で鳥栖駅へ。最後の撮影チャンスということもあり、朝早くにも関わらず、大勢の鉄道ファンや別れを惜しむ人でホームは賑わっていた。鳥栖駅に到着した列車は、「あかつき」編成のみを切り離し、「なは」編成だけが熊本に向かうことになっていて、従来の到着番線である6番乗り場から変更し、4番乗り場に到着した。鳥栖駅では、併結ヘッドマークから、「なは」の専用マークに交換された。このヘッドマークは、終点熊本に到着した後の式典で、愛称の由来になった沖縄県と那覇市の関係者に手渡されたという。

 一方、「あかつき」編成は鳥栖駅止まりで、到着後、切り離し作業が開始された。JR西日本所属である「あかつき」の客車には、「あかつき 鳥栖」の方向幕が表示されていた。「あかつき」編成が切り離され、6:35、「なは」は熊本に向けてゆっくりと発車していった。

 残された「あかつき」編成は、本来長崎行きとして牽引する機関車(ED76形92号機)が、博多寄りに連結され、その後、博多方面へと回送された。回送に際し、方向幕の切り替えが行われたが、「あさかぜ 下関」といった懐かしい表示も出てきた。

 なお、私は都合で並ばなかったが、鳥栖駅では7:30から記念のオレンジカードが、限定500枚(1人5枚まで)で発売された。だが、整理券を持っていた先着100人のうち、ほとんどの人が5枚ずつ買い占めたため、何百人という一般客がカードを買えなかったという話を聞いた。販売するJR側としては、売れればそれで良かったのかもしれないが、このような事態は想定できなかったはずがない。販売枚数が500枚と少ない割に、1人5枚までという制限がそもそも多すぎるのではないだろうか。「さくら」の時のように、1人1枚、多くても2枚くらいの販売制限が妥当だったと思われる。また、1人で多数のオレンジカードを買い占めた100人も反省すべきだ。自分だけが良ければ万事OK、という考えは、“公共の場”で活動することの多い鉄道ファンとして、恥ずべきものだと思う。

3月15日(土):鳥栖駅写真館

佐賀駅上りホームに残された乗り場案内。もう二度と使われることはない。2008年3月15日・佐賀駅で撮影。

待機するED76形92号機。この後、「あかつき」編成の回送を務めた。2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

「あかつき」のダイヤを利用するかのように登場した「かもめ1号」の1番列車。2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

6:19、「なは・あかつき」が入線した。2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

到着後、ヘッドマークの交換が行われ、専用マークが取り付けられた。いずれも2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

さよなら、「なは」……。2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

標識が取り付けられ、着々と回送準備の進む「あかつき」編成。2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

最初で最後の表示。2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

ED76形92号機がスタンバイ。2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

「あかつき」編成と連結するため、一旦博多寄りに引き上げる機関車。2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

大勢の人が、機関車との連結を待った。2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

方向幕切り替えの際にこんな表示も。2008年3月15日・鳥栖駅で撮影。

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