新生活スタート旅行記――片道のきっぷを手に

2009年(平成21年)3月27日、私は片道のきっぷから新生活が始まりました。

 たいてい旅には行きがあれば帰りもある。当然、往復できっぷを買わなければならない。しかし、時として例外もある。例えば、当分今までいたところに帰って来ない時。2009年(平成21年)3月27日、私は京都での新生活を始めるため、片道のきっぷを手にして故郷を旅立った。

2009年(平成21年)3月27日(金)

 何だかあっという間だったような気がする。10歳まで、佐賀県杵島郡江北町に住み、それから約9年間を佐賀市で過ごした。前の日に、佐賀市役所で住民票を移す手続きを行った。手続き書類の「新世帯主」欄には、自分の名前を書いた。明日から「主」なんだなぁと思うと、ドキドキした。

 佐賀6:30発の「かもめ」に間に合うよう、5:30に起きた。佐賀駅のホームまで両親が見送りに来てくれた。3番乗り場には、「かもめ100号」博多行きで使われる885系(ソニック編成)が待っていた。車内に乗り込み、発車を待った。少なくとも、次のゴールデンウィークまでは佐賀に帰って来ることはないだろう。

 6:30、ドアが閉まって電車が動き出した。帰りのない旅。乗車券は、「佐賀→京都市内」。1万円ちょうどというのが気持ち良い。市街地を抜けると、田園地帯となった。2月下旬に京都へアパート探しに行ったが、人口140万人の大都会だけに、アパート周辺には広い田んぼや畑がなかった。薄い黄緑の風景も、当分見納めとなる。

 終点の博多駅に到着し、新幹線ホームへ。「のぞみ8号」東京行きを待った。アパート探しでも利用した列車である。朝早いので、指定席を取るまでもないだろう、と自由席を選択した。7:20過ぎ、「のぞみ8号」が朝日に照らされながら入って来た。

 予想通り、席に座れた。京都駅まで、博多駅から2時間44分。佐賀駅からでも3時間44分。近いと言えば近いが、帰省する際には、青春18きっぷや高速バスで時間をかけながら安く帰ってくることになるだろう。7:30、「のぞみ8号」は、多くの空席を残したまま、博多駅を発車した。

 列車はどんどん加速する。沿線の桜がきれいだ。鹿児島新幹線の新大阪直通を機に「さくら」という列車が走り始める。JR九州の公式サイトには、「桜前線とともに北上します」と添えられていた。私もまた、今、桜前線とともに上洛している。

 7:47、列車は小倉駅を発車した。いよいよ九州を出る時が来た。今まで旅行で何度も九州から出たが、今回ほど重要な意味を持った瞬間はなかった。「一生に一度は九州を出るべきだ」と、九州の住民はよく言う。また、それは九州の住民が目標としていることでもある。九州を出れば、方言も生活も違う。大都会に行けばなおさらだ。自らの視野を広げるには、大変重要である。しかし、一方で引っ越し先の街に自らを合わせることは、かなりのエネルギーを必要とする。私が一番不安なのはそこだ。

 「のぞみ8号」は、新山口、広島、岡山といった山陽の主要駅に停車しながら、一気に駆け抜けた。幸い、晴れてくれたおかげで車窓もきれいだった。姫路通過前後には、姫路城も見えた。

 9:58、新大阪駅に到着した。車内は既に満席に近く、何人か立席となった。近くで若い女性客2人が「席が空いていない」と困っていた。ちょうど私の座っていた席が2列席で、通路側が空いていたので、「次の京都で降りますから」と席を譲った。その2人は「すみません、ありがとうございます」とお礼を言ってくれた。京都までは、新大阪からわずか14分。全く苦にならない所要時間だ。

 10:14、列車は京都駅に到着した。新幹線ホームは、大勢の人が列車を待っていた。京都市は、東京に比べると大きくない街だが、人口は佐賀市の5倍以上。年間観光客数は5000万人を超える。私から見れば、大都会の部類に入る。京都駅も、乗り場がわずか4つしかない佐賀駅が恥ずかしいくらいに大きい。在来線に乗り換え、まずアパートの管理会社へ向かう。もちろん、在来線はJR西日本。これからは、817系ではなく、221系や223系を主に利用することになる。10分ほど乗って電車を降り、バスに乗り換え。少し待って、薄緑の京都市営バスがやって来た。そこからさらに10分ほど乗って、アパート管理会社の近くで降りた。

 管理会社の事務所には、アパート探しの時に案内してくれた方がいて、すぐに対応してもらえた。雑談を交えながら、アパートまでの行き方や住むにあたっての説明、カギに関する注意事項などを確認した。15分くらいで説明が終わった。時計を見れば、11:20だった。そこから大通り沿いに少し南下し、電車に乗った。最寄で下車し、地図を頼りに徒歩でアパートに向かった。大きな門を構えた寺、京菓子を売る店、垣根がきれいに整えられた家々。本当にここは京都なのだった。

   アパートに着いた。早速、受け取ったばかりのカギでドアを開けた。玄関にスリッパと消臭剤、天井に電灯があるくらいで、家具類は何にもなかった。例えるなら、まさに真っ白なキャンバス。しかし、それをどのようにデザインし、どのような色を塗っていくかは、自分次第である。

 入学式は、4月1日。大阪の京セラドームで行われる。それまでに、電化製品や生活必需品をある程度揃えなければならない。「世帯主」になったからには、生活基盤を早くしっかり作らねば。

 こうして、私の新生活が始まった。大家さんや近くの部屋の方には、数日中にごあいさつに行った。引っ越し翌日に水道管がずれて、ユニットバスの天井から大量の水漏れが発生するというアクシデントもあったが、その後は特に大きな事件もない。

 世界中が憧れる京都に自分が住むとは、数年前まで思いもしなかった。近所には世界遺産がいくつかあり、何だか物凄い環境の中で暮らしている。せっかく京都で4年間過ごすのなら、その特殊環境を活かして、学問も遊びも精一杯やりたいと思う。

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