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L九州のにおい

管理人にとって初めての海外。行き先は、南半球のオーストラリア。

 飛行機は、くいっと方向転換し、成田空港着陸への準備に入った。

 18:24、飛行機は成田国際空港に着陸したが、混雑しているらしく、18:41に搭乗口に接続した。日本は真冬なので、飛行機から出た瞬間、ひんやりした空気に包まれた。定刻より、36分遅れていた。次の成田発福岡行きのJAL3057便が出るのは、19:45なので、急がねば。降りてしばらく行くと、シャトル乗り場があった。残念ながらシャトルの撮影はできなかった。2分間隔で運転しているらしく、1回待って次の列車に乗れた。車内は、普通の鉄道車両とはあまり変わらなかった。1、2分の乗車で、ターミナルに到着した。入国審査を受け、問題なくパスした。その先でスーツケースを受け取ることになるのだが、満席の乗客が一気に来たものだから、大混雑した。日本にスキーをしにやって来た人も多く、大きな荷物が多かったことも混雑の一因だった。目印の札を見つけ次第、担当になっていた人が取り出し、受け取った人から税関へ移動となった。税関の人は、ぞろぞろ続く集団を見て、私に「どこから来たの?」と尋ねてきた。

私:佐賀県の○○○高校です。

税関の人:そうなの。これから泊まるの?

私:いえ、19:45発の福岡行きで帰ります。

税関の人:そうなんだ。気をつけてね。

 確かに、このスケジュールであれば、成田で1泊しても良かったような気がする。

 税関も無事に通過した。搭乗券を受け取り、国内線受付で再びスーツケースを預けた。その後、旅行会社の人から夕食となる助六寿司とお茶を受け取った。旅行会社の人の案内でようやく福岡行きの搭乗口まで来た。表示には、日本航空の文字と同時に、コードシェアとしてアメリカン航空、ブリティッシュ航空の名前もあった。諸検査を受け、搭乗口へ……と思ったら、外に出てしまった。何と、バスで移動するらしい。既に時計は19:30を回っていた。これは、飛行機に待ってもらうしかないだろう。バスに乗り込んだ。バスは、普通の路線バスと変わらず、座席もつり革もあった。立つことになったが、少しの乗車なので大丈夫だった。バスはターミナル沿いに走り、建物から離れたところで出発を待っている飛行機の前で停まった。この飛行機が福岡行きのようだ。タラップを使って飛行機に乗り込んだ。

 機材は、B767−300型機だった。機内の座席は、2―3―2列で残念ながら真ん中3列になってしまった。幸い、そばの窓際席が養護の先生で、「外を見たいのですが……」と申し出ると、席を変わってくれた。

 出発まで時間があったので、その間に助六寿司を食べた。全員の搭乗が完了し、定刻より20分以上遅れて、20:07に動き始めた。飛行機は、滑走路に向けて、往路に見た煌びやかな誘導灯の中を走って行く。隣に座った旅行会社の人とおしゃべりをしているうちに、いつの間にか滑走路のすぐ近くまで来ていた。「何で飛ばないのかしら」と旅行会社の人が言ったので、私が外を見ると、すぐ前方を黒い機体が横切っていった。夜間にも関わらず、混雑しているようだ。そして、20:30頃、成田空港を離陸した。高度を上げるにつれて、遠くに東京や千葉の町並みが見えるようになった。雲が多いようで、街明かりは見えたり隠れたりを繰り返した。20:38にベルト着用サインが消え、デジカメの使用が可能になった。

 ジュースのサービスが回ってきた。私は、オレンジジュースを選んだ。飲み物の種類は、国際線より若干少なかったと思う。21:33頃、乱気流に巻き込まれ、少し機体が揺れた。ベルト着用サインも点灯したが、すぐに元に戻った。だが、すぐに着陸態勢に入ったので、再びベルト着用サインが点灯した。飛行機は、海側から進入。窓から見える福岡の街は、とてもきれいだった。そして、22:02頃に福岡空港に着陸した。駐機場で一旦待機した。ターミナルの上には、「FUKUOKA AIR PORT」の赤い文字が掲げられ、ようやく九州に帰ってきたのだと実感した。定刻より22分遅れた22:17に搭乗口に接続した。飛行機を降りると、何となく懐かしい雰囲気がそこにはあった。九州のにおいだった。やっぱり、九州は自分の故郷なのだと、わずか5日間しか離れていなかったのに思った。

 預け入れた荷物を受け取るために、ベルトコンベアの前に並んだ。

 そして、荷物が出てくると、受け取る人、クラスごとに仕分ける人に分かれ、受け取った人から旅行会社の人の案内で移動した。一旦、コンコースのところで集合となった。ここから、それぞれ帰るコースが違うのだ。佐賀市の金立(きんりゅう)S.A.に停車するバスもあれば、一旦学校に戻って、さらに肥前山口・武雄方面に向かうバスもある。私の乗るバスは、基山・学校行き。一番最後にバスに乗り込むことになった。バスへ向かう途中、タクシー乗り場には、「水戸黄門 大好評放送中 RKB」と書かれた広告のタクシーが停まっていた。水戸黄門がにこやかに笑う姿に、他の人も笑っていた。

 バスに乗る前、せっかくだからと近くを歩いていた女子のグループに撮影を頼まれた。暗かったのでぶれないか心配だったが、大丈夫だった。何か得意分野があれば、良いことが一つくらいはあるものだと思った。

 バスは、往路と同じく祐徳バスだった。基山・学校行きに乗車予定の全員が揃ったのを確認して、22:53に福岡空港を出発した。

   そして、都市高速に入り、福岡の街の上を通過した。

 23:22、バスは基山P.Aに到着した。ここで鳥栖市や基山町に自宅のある20人が下車した。F君もここで降りた。そして、23:27に基山P.A.を出発した。あとは、学校に着くだけである。バスは長崎自動車道に入った。23:47、佐賀市に入り、金立P.A.の近くで、金立停車便と合流した。23:52、バスは一般道に入った。今日中に学校に着けるか微妙なところだったが、結局日付が変わって0:03、学校に到着した。照明の代わりなのか、校舎の教室の電灯がすべてつけられていたことには驚いた。

 ピロティの前は、迎えに来た保護者と帰ってきた生徒でごった返していた。私は、母が迎えに来ていた。保護者と合流次第、報告して帰ることになっていたので、担任の先生に帰る旨を伝え、駐車場になっている運動場へ向かった。

エピローグ

 朝にはまだシドニーにいたのに、夜には佐賀に着いた。昨日の今頃は、シドニーのホテルでぐっすり眠っていた頃だったのに……。校長先生が、旅行前にこんなことを言っていた。“飛行機文明は人間の距離や時間の感覚をおかしくさせている”。私もそう思う。あまりにも早く着きすぎだ。今までいた街を振り返る余裕もなく、飛行機はあっと言う間に飛び去ってゆく。何と残酷なことか。こう考えてくると、速くても列車くらいのスピードが一番良いのかもしれない。

 とは言え、今回の旅行は、私にとって一生モノの価値があったと思う。初めての海外旅行ということもあるが、日本とオーストラリアの両方を見て、日本で改善が必要な点をたくさん見出すことができた。一方、例えばシティレールの落書きを見て、日本の鉄道車両は、落書きがそれほどひどくないことを思い出し、これからも日本人が大切にしなければならない点も同時に発見できた。それぞれの国に文化があるが、良いところは、自国の文化を壊さない程度に見習うべきだと思う。特に、街づくりにおいては、日本はまだまだ改善が必要だ。

 また、道中、一度も大きな事件・事故がなくて良かったと思う。旅行が終わって1ヶ月ほど経った2008年(平成20年)4月3日に、国際線客室乗務員の活躍を描いたドラマ「アテンションプリーズ」(フジテレビ)のスペシャル番組が放送された。今回の舞台は、偶然にもシドニーで、オペラハウスやサーキュラーキー港、ハーバーブリッジ、ダーリングハーバーなど、私がこの修学旅行で巡った観光地が数多く登場していた。そして、「フェザーデールワイルドライフパーク」の「たそがれパンダ」たちも出演していた。街で掲げられていたネズミの旗がちらっと映っていたので、ロケ時期もほぼ同じだったのかもしれない。もしかすると、ロケ班とニアミスしているのではないか、と思ってしまったくらいだ。そして、何と帰りの飛行機も、日本航空772便。だが、772便は、成田着陸直前に車輪が出ないとの表示が出るというトラブルが発生した。結局、それは誤表示だったのだが、私の乗った飛行機に何もトラブルがなかったのも幸運だった(そう多くあることではないと思うが……)。

 だが、このドラマを見て、もう一度シドニーに行きたくなった。ちょっと調べてみると、時期にもよるが、自由行動付きのツアーでも、10万円前後で行けるようだ。これなら、大学生でも行けそうだ。もし、今度訪れる機会があったら、ホストファミリーの皆さんにも再会したい。

 今も、時々南の空を見ながら思う。この空の彼方には、あの美しい街がある。温かく迎えてくれたホストファミリーが住んでいる。今頃、何をしているのだろうか。またパソコンの前でああでもない、こうでもないと悩んでいるのだろうか。手紙を書こうと思うのだが、書きたいことがありすぎて、書けないでいる。(おわり)  

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