F行きがあれば、帰りもある

高校卒業記念として、私は同じクラスだった男子と一緒に東京まで旅行しました。

 これから東京駅まで戻るわけだが、infinity_fateも東京駅まで見送りに来ると言って付いてきた。電車はもちろん各駅停車。次の駅では、優等列車の通過待ちを行った。終点の池袋駅で、東京メトロ丸ノ内線に乗り換えた。運良く座れたが、infinity_fateによれば、朝の時間はとてつもなく混雑するという。途中、丸ノ内線は地上を走ったり、神田川を渡ったりして、東京駅に到着した。

 ただ、丸ノ内線の東京駅から丸の内口のロッカーまでどのように行けば良いか分からなかったので、少しは詳しいinfinity_fateに付いて行ったが、エスカレーターを昇り降りしたり、なぜか総武線のホームに出たりして、結構大変だった。つまり、迷ったのである。仕方がないので、看板に従ってようやくロッカーのところまで来れた。朝預けておいた荷物をロッカーから取り、一旦改札を出て小田原駅までの乗車券1450円を買った。小田原以西で「青春18きっぷ」を組み合わせて使うからだ。メンバーたちにも、最後の目的地から小田原駅までのきっぷを買うように伝えている。その後、東海道本線の電車が発着する9・10番ホームへ。集合予定の21時より少し早い20:45頃到着できた。

 21時を少し過ぎて、メンバーたちが集まり始めた。但し、秋葉原のイベントに参加している2人は、22時以降に東京駅に到着するという。メンバーたちは、同級生であるinfinity_fateに久しぶりに会って、何やかんやと話していた。だが、メンバーたちは、まだ荷物を取って来ていなかったので、私は、朝預けたロッカーから荷物を出すよう言った。山手線や京浜東北線のホームに比べて、東海道本線のホームは人が少なかった。メンバーたちが荷物を取ってきて、ベンチの周りに並べ始めた。朝まで無かった荷物も増えていて、R君はゲームで獲得したという大きな丸いぬいぐるみも持っていた。ベンチの周りは荷物でほぼ占領状態になった。メンバーたちは、まだ夜飯を食べていなかったので、ホームのコンビニでカップ麺を買ってベンチで食べ始めた。うーむ、ここで食べなくても……と思ったが、今晩の宿である「ムーンライトながら」の入線まではまだ1時間30分もあり、今回ばかりは仕方ないかな……。利用客のサラリーマンたちは、ベンチ周辺に並べられた荷物を見て「すげぇな!これ」と目を丸くしていた。

 285系寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」が入って来た。よく見れば、ホームには大きな荷物を持った人がいて、ドアが開くのを待っていた。ディズニーランドの袋を持った若いグループもいて、今日は結構利用者が多いようだ。中でも、ノビノビ座席は見ている間にほぼ席が埋まっていった。個室車の窓には、ビールを何本の並べてご満悦の人も。夜景を見ながらお酒を飲むのも、さぞ気持ちの良いことだろう。

 22時ちょうどに寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」が発車。ネオンと暗闇の中へと消えていった。大学に入ってお金が溜まったら、是非乗らねば。

 22時を過ぎて、秋葉原のイベントに行っていた2人が到着し、メンバー全員が揃った。2人はまだ興奮が冷めていなかった。ちなみに、他のメンバーは2日前のリベンジとしてお台場や秋葉原に行ったという。2人の参加したイベントは事前予約制だったため、他のメンバーは途中で別れて東京駅にやって来たらしい。秋葉原チームの2人も、例によってホームでカップ麺を食べ始めた。その間、私は、飲み物を買いにホームのコンビニへ。そこで山手線東京駅の発車メロディが流れる玩具を発見したので、それもついでに購入した。ちょうどフジテレビで「爆笑レッドカーペット」が放送されている時間だったので、携帯電話のワンセグでマナーモード(つまり字幕)で見ていたが、お笑いの音声を字幕で見るのは何とも不思議な気持ちだった。ワンセグは電池の消耗が速いので、10分くらい見て消した。

 9番乗り場には、東海道本線を上って来た373系が入って来た。これから回送されるらしい。そして、翌朝早く、下りの静岡行きとして運用されるのだろう。

 駅の電光表示によれば、今日の快速「ムーンライトながら」は、売り切れたという。春休みのシーズン直前で売り切れるのだから、春休み期間中はやはり毎日2往復体制の方が良いのではないだろうか。

 22:50過ぎ、189系快速「ムーンライトながら」が入って来た。列を成して入線を待っていた客は、ドアが開くとともに一斉に車内へ入っていった。往路とは違い、帰りは全員通路側。唯一の救いは、全員が同じ車両に乗れたことくらいである。発車まで少し時間があるので、外に出てしばらくinfinity_fateと話した。方向幕を見ると、大垣行きなのに「東京行き」。方向幕が故障しているらしく、どうやら往路で利用した編成と同じらしい。

 infinity_fateに、夏休みに東京に行くと約束し、発車数分前に車内へ。発車を告げる放送が流れて、ドアが閉まった。深夜にさしかかった9・10番ホームには、infinity_fateだけが残され、ゆっくりゆっくり後ろへと下がって行った。

 東京駅発車時点で、私たちが乗った7号車は座席が8割ほど埋まっていた。発車してしばらくすると、車内放送が始まった。残念ながら、「鉄道唱歌」のオルゴールはなかった。

 携帯電話の電池が切れそうだったので、デッキの洗面台にあるひげそり用のコンセントで充電開始。盗まれないように、見張っていなければならないのだが、他の乗客の利用もあるため、その間は洗面台のそばから離れておかねばならない。だが、中には良い人もいて、私と同年代の女性の方は「どうもありがとうございました」とお礼を言った。私専用のスペースでもないのにお礼を言われるのは不思議な感じだったが、何となく温かな気持ちになれた。充電中にもinfinity_fateから時折メールが届き、日付が変わってから自宅に到着したようだ。帰ってすぐゴミ出しに行くようお母様に言われたらしく、メールで嘆いていた。ある程度充電したところで座席に戻った。

2009年(平成21年)3月19日(木)

 しばらくして車掌さんがやって来た。乗客の数が多いので時間がかかったようだ。車掌さんは、結構面白い方で、乗客の方と必ず言葉を交わしていた。近くの乗客が「この電車、昔、軽井沢あたりを走ってたやつでしょ?懐かしいね。最高だよ」と言うと、車掌さんは「ありがとうございます。新幹線ができてから、今はこうして利用されています」と答えていた。私は、小田原駅までのきっぷと、青春18きっぷに8人分の日付印を新たに押してもらった。

   疲れが溜まってうとうとし、いつの間にか寝てしまった。起きると、浜松駅に停車していた。東京駅で飲み物を買っていたが、飲み干してしまったので、ホームの自動販売機で新たに買った。

 名古屋駅を出てしばらくすると、外が明るくなってきた。結局あまり寝られなかった。 名古屋駅で降りた人が多かったため、車内には空席が目立った。

 終点の大垣駅に着いた。ほとんどのメンバーは目を覚まし、降りる準備をしていたが、1人だけ電車が到着しても寝続けていた。起こしても起きないので、「外で待っているからな」と先に車外に出た。そして、彼はやって来た清掃員のおじさんに起こされ、メンバー全員から笑われたのだった。

 さあ、ここからが長い。ここから米原駅まで行き、そこで新快速に乗り換えることになっている。「ムーンライトながら」が到着した直後にも電車があるが、こちらは「大垣ダッシュ」で頑張った乗客たちで大混雑するので、事前の計画で1本後の電車に設定していた。次の米原方面が発車するホームに行って荷物を置き、一旦解散した。トイレ休憩や食料・飲み物調達のためである。次の電車は、大阪行きなので、おそらくJR西日本の所属車両だろう。そして、入って来たのはやはりJR西日本の223系だった。朝早いので、座席に座れた。まだ全員来ていなかったので、来ていないメンバーの荷物も車内に運び込んだ。なかなかメンバーが集まらないのでドキドキしていたが、5分前にようやく集まったので安心した。

 電車は、定刻の6:28に大垣駅を発車。30分ほど乗って米原駅に到着した。だが、そこから先の新快速は既に立席が出ていた。ここから終点の網干駅まで乗るのだから、席に座れないと辛いので、やむを得ず15分後の次の新快速を待つことにした。計画には余裕を持たせていたので、問題はない。そして案の定、次の新快速では席に座れた。

 米原駅からサラリーマンたちが何人か乗った。これから大阪の会社に行くのだろうか。毎朝大変だなぁと思いながら、彼らの後ろ姿を見ていた。電車は、彦根、能登川、近江八幡の順に停車。停車するたびに乗客が増えて行き、最終的にぎゅうぎゅう詰めになった。8:14に京都駅に到着した。この時点で、私は京都市の大学へ進学することにしていたので、もうすぐこの街に住むのかぁと、街の様子をじっくり眺めた。

 大阪駅を出ると、今度は段々乗客が減り始め、西明石まで来ると、さっきの混雑が嘘のように消えた。10:05に終点の網干駅に到着し、13分後の播州赤穂行きで姫路駅へ。姫路駅でさらに三原行きの115系に乗り換えた。三原行きは、私を含めた全員が座れたが、いくつかのグループに分かれてバラバラになった。R君が買った、手で抱えきれないほど大きなぬいぐるみは、電車が揺れるたびに網棚の上でバウンドし、落ちてこないか私もR君もヒヤヒヤした。結果として大丈夫だったが……。

 13:12に三原駅に到着。さすがにメンバーたちも疲れを隠せなくなった。ここで食料調達。代表数人でおにぎりやら飲み物やらを取り敢えず買い込み、後で他のメンバーに売った。13:26発の広島行きは、出目金顔の115系だった。短い停車時間で全ての荷物を載せるのは結構大変で、メンバーの1人はうっかり買ったばかりのお茶をホームに置き忘れてしまった。気づいたのは電車のドアが閉まった直後で、取りに行く時間もなかった。本人はもちろん、メンバー全員のテンションが下がった。

 約30分乗って、白市駅で115系各駅停車新山口行きに乗り換えた。今まで乗って来た広島行きから新山口行きに乗り換える人は多かったが、何とか全員座席に座れた。これから5時間近く同じ電車に乗り続ける。もはや苦行に近いかもしれない。逆に言えば、ずっと乗り換えがないので、丁度良い睡眠時間となる。なので、私は早速仮眠を取ることにした。次に起きた時は広島駅停車中で、座っているボックスの空席には、いつの間にかおばちゃんが座っていた。そして次に起きたのは大竹駅付近。なぜ起きたのか、と言うと、何か騒々しかったからだ。目を開けて周りを眺めてみると、高校生くらいの男子が座っていて、鉄道ネタを盛大に展開していた。話を盗み聞きしているうちに、どうやら関東から来ていて、数日後に運転されるリバイバル「さくら」「あかつき」の撮影に向かっているらしい。こういう人がいるから、鉄道ファンが変な目で見られるのだ。座席の上で飛び跳ねる、山口県民を侮辱する発言を繰り返す、荷物を通路に置く……等々の悪行を繰り返した。ここまでひどい連中は初めてだ。そもそも、周りに山口県の人が大勢乗っているのに、「だから俺山口県大嫌いなんだよ」とよくも平気で言えたものだ。こういう人に九州で、いや鉄道写真そのものを撮影をして欲しくない。鉄道写真を撮る以上、公共の場であることを第一にわきまえなければならないのだから。「お前らうるせぇよ!」と、喉まで出かかったが、疲れている上にこういう連中だから乱闘になれば、逆に大きな迷惑だ。うーむ、どうしようもない……。この境目が非常に難しい。

 正直、別の座席に移動したくて仕方がなかったが、あいにく他の座席は埋まっており、それもできなかった。徳山駅で後ろの席に座っていた人が降り、例の連中も買い物をするとか言って降りてしまったので、その間に移動した。これで大騒ぎからようやく解放された……。

 新山口駅で、117系各駅停車下関行きに乗り換えた。座席には何とか座れたが、少し離れた所には、先ほどのやかましい連中がいた。まさかこのままずっと同じ電車なのでは……。下関駅には、18:41に到着した。ここで一旦休憩タイムを取った。私は駅弁と「はやぶさ・富士」のクリアファイルを購入した。持ち合わせていたお金が足らなかったので、クリアファイル分は、近くにいたM君に一時的に借金し、直後の車内で返済した。

 415系各駅停車小倉行きに乗り換えた。座れなかったが、それより最悪だったのは、またまた例の連中が近くにいたことだ。しかも、人数が増えているし……。そして、彼らは車内の路線図を外し始めた。止め具か何かが落下し、さすがにまずいと思ったのか、そこで手を止めたが、何なんだ一体……。しかし、路線図はゆがんだまま。落下した止め具が見つかれば私が直そうと思ったが、結局見つからなかった。もはや犯罪者である。

 小倉駅で、813系快速荒尾行きに乗り換えた。こちらは空いており、全員余裕で座れた。どうやら、さっきの連中もこちらには乗り換えて来ていないようだ。早速、下関駅で買った駅弁を開けた。今回買ったのは、下関駅で一番高い「長州ファイブ(ホット弁当)」。お値段は1300円である。実は、下関駅の駅弁屋で本日最後の商品だった。だが、温め方をよく熟知していなかったため、蒸気が突然噴き出して焦った。弁当は中途半端な温かさで、1300円も出して何か悔しい気分だった。

 20:54、電車は鳥栖駅に到着した。いよいよ、最後の乗り換えである。最後の電車は、817系各駅停車肥前山口行き。残念ながら、メンバーの半分くらいは立席になった。電車は21時ちょうどに鳥栖駅を発車した。そして、佐賀駅には予定通り21:23に到着した。最後にメンバーたちから「お前がいなかったら、東京なんて行けなかった」とお礼の言葉(?)を言われた。何だか恥ずかしかったが、得意技を発揮できて、自分としても嬉しかった。

 メンバーの多くは保護者の方が迎えに来ていたが、中には自力で帰る人もいて、私もその一人だった。自宅までは、最終の市営バスで帰った。県庁所在地なのに21時台で最終と言うのも変な話だが。

エピローグ

 今回の旅行では、東京をじっくりと見ることができ、非常に面白かった。そして、東京について案外知っているようで知らなかったことにも気付いた。あれだけのモノが集まっているから、そもそも全部知りつくした人なんてほとんどいないだろう。だけど、できることならなるべく多く知りたい。infinity_fateには、今年の夏にまた東京に行くと宣言してしまったが、今度はどこを周ろうか。選択肢が多すぎて迷う。(おわり)

旅行記&特集へ

トップへ