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管理人は、“文化部のインターハイ”と呼ばれる全国高等学校総合文化祭に佐賀県代表として参加しました。

 2007年(平成19年)秋、佐賀県高等学校総合文化祭が開催された。インターハイで言えば、県大会にあたる。私は、その写真部門に3点を出品した。すると、そのうち1点が最優秀賞に入ったのである。最優秀賞に入ると、翌年の夏に行われる全国総合文化祭への参加権が与えられるのだ。2008年(平成20年)の開催地は、群馬県。行った事はあるが、街を歩いたり、観光したりしたことはなかったので、楽しみにその日が来るのをずっと待った。

 ちなみに、2007年(平成19年)は、私の学校から4人、合計8点出品したが、全員が入賞(最優秀賞1人、優秀賞1人、奨励賞2人)した。このうち、奨励賞に入った2人は、2008年(平成20年)6月に長崎県で開催された「九州総合文化祭」に参加した(写真部門に限って言えば、九州大会で賞に入っても、全国大会に行くことはできない)。私と優秀賞の1人は、佐賀県枠5名に入ったので、一緒に2泊3日で群馬へ旅立つことになった。

 

2008年(平成20年)8月6日

 待ちに待った出発の日。夏季補習の真っ只中だったが、当然「派遣扱い」で授業をお休みできた。群馬までは、飛行機と新幹線を乗り継いで行くことになっていて、きっぷは学校側がJTBに手配して用意してくれていた。当然、往復の飛行機と新幹線は、学校や県関連の負担である。飛行機はよりによって佐賀空港発。「バードストライク(飛行機と鳥の衝突事故)発生確率日本一」という不名誉な称号で有名になりつつある無駄無駄無駄ムダァァァァァ……空港である。

 実際、2009年(平成21年)1月にアメリカ・ニューヨークで発生した、バードストライクが原因とみられる不時着水事故以降は、佐賀空港がバードストライクの発生確率が全国で最も高いと地元紙・佐賀新聞で報道され、ますます不名誉な地位に落とされている。もともと、有明海という鳥の宝庫のそばに、あってもなくても良いような空港を造ったこと自体が問題であり、空港がないことを恥じて造った井本前知事をはじめとする歴代の佐賀県知事や、1便増えただけで大々的イベントを開いて利用を促進する現・古川知事のある意味で涙ぐましい努力は、一県民から見て滑稽にさえ思える。無論、今回はやむを得ないが、個人的旅行では極力鉄道を利用し、仕方のないときは福岡空港を利用することを宣言したい。

※鉄道や福岡空港でも、バードストライクは起こっているが、これらは「なくてはならない」交通機関であり、やむを得ないと考える。但し、慰霊塔を建てたり、年に一回運行(航)会社が慰霊祭を開いたりして、鳥の排除だけでなく、やむを得ず殺してしまった後の対策も考えて欲しいと思う。

 さて、当日は佐賀空港6:40発の東京行きに乗らなければならないが、私の家の都合が悪く、タクシーで佐賀空港まで行くことになった。佐賀空港まで自宅近くの営業所から約2800円。面白かったのは、乗る前のタクシー運転手同士のやり取り。

 営業所には、2台のタクシーが停まっていて、片方の運転手さんは車内で寝ていたのに対し、もう片方はスタンバイ中だった。私が事務所の方に「空港までお願いします」と言い、事務所の方がスタンバイ中の運転手さんに「空港まで行って」と頼むと、運転手さんはドアを開けた。すると、寝ていた運転手さんがいつのまにか起きていて、「ちょっとちょっと、おいは昨日からずっと動いとらんばい。おいが行く番たい。(ちょっとちょっと、俺は昨日からずっと客を乗せて運転していない。俺が行く番だ)」と少しもめ、結局寝ていた運転手さんが私を乗せることになった。

 小泉改革の規制緩和で、運賃の安い新規企業が参入し、タクシー業界も大変苦戦しているという。「乗客一人」が業績を大きく左右するタクシー業界。今は当時に比べてなりを潜めた小泉元首相に対して、運転手さんたちの「何てことをしてくれたんだ」という怒りの声が聞こえた気がした。無論、それは小泉元首相の聞こえの良いキャッチフレーズだけで当時の自民党に票を入れた多くの有権者に対しても向けられていると思う。私も2010年(平成22年)から有権者になるが、人柄や人相、キャッチフレーズだけで候補者を選ばないようにしたい。

 20分ほどで空港に到着。ちょうど6時頃で、既に明るくなっていた。東京行きに乗る乗客が集まり始めていた。今回、私の学校から一緒に行くのは、顧問の1人であるY先生と、優秀賞を獲得したinfinity_fate(当サイト旅行記「あの姿をもう一度……久大本線ブルトレ撮影旅行」を参照)である。私が空港に着いたときには、既に2人とも到着していた。

 事前に渡された搭乗用の書類は、二次元コードのついたコピー用紙だけで、これをカウンターで航空券に引き換えれば良いと考えた私とinfinity_fateは、自動チェックイン機にコードをかざした。しかし、「お客様の搭乗は、チェックイン不要です」という意味不明な表示が出てきた。後で知ったが、東京行きを運行する全日空では、カウンターで引き換える厚紙の航空券から、搭乗時に先ほどの二次元コードを自動改札機にかざして、薄い感熱紙の搭乗券を発行する方式に変更したらしい。

 カウンターで大きな荷物を預け、手荷物の検査も難なく通過し、待合室へ。小さな空港なので、待合室はそう広くない。6:25頃から搭乗が開始された。サービスの新聞を受け取って客室へ。残念ながら、私は3列席の真ん中。Y先生は窓際、infinity_fateは通路側になった。搭乗予定の全員が早めに乗り終えたためか、ANA452便東京行きは定刻より3分早い6:37に動き始めた。滑走路に向かい、そして轟音とともに離陸した。

 この便は、東京に最も早く着くということで佐賀県はよく宣伝しているが、この日は結構空席が目立った。お盆より少し早いからだろうが、ただでさえ150人余りしか乗せられない飛行機で空席が出るということは、全日空にとっても不都合な路線であるに違いない。

 やや雲の多い天気ではあったが、しばらく飛ぶと左手に富士山が見えてきた。九州からは過去2回東京行きの飛行機に乗ったことがあるが、天候やコース、座席の位置が原因で、機上から1回も富士山を見たことがなかっただけに、これは運が良かった。だが、夏場なので頂上付近の雪はなく、何とも殺風景な富士山だった。寝ているY先生を起こさないように何枚か写真を撮った。

 飛行機は、ずっと太平洋上を飛び続けた。前回乗ったときは、内陸から羽田空港に入ったが、今回は海から入るらしい。飛行機は、房総半島の東に回りこみ、北上した。機内サービスのNHKラジオニュースでは、ちょうど広島原爆の日の記念式典を生中継していた。今乗っている飛行機も、元々は戦争を行うために改良が続けられたものである。そう考えると、何とも複雑な気分だった。

 まもなく、ベルト着用サインが点灯した。飛行機は北西に進路を変え、高度を下げながら房総半島を横断し、東京湾に抜けた。そして、羽田空港に着陸。ターミナル接続の降り口に着くのかと思っていたら、何と飛行場の真ん中。嫌な予感がした。バス移動である。機内放送が流れ、やはりバス移動になることが告げられた。起きたばかりのY先生も「勘弁してくれよ」と、苦悶の表情を浮かべた。

 佐賀県は、佐賀空港の利便性が向上をしていると宣伝しているが、これは全くの嘘だと私は思う。実際にこうしてバス移動になるのでは、「東京に最も早く着く」意味がない。そもそも、福岡発の始発の飛行機は佐賀発と5分しか変わらない。福岡発の飛行機がターミナル接続の出口に近いのならば、そちらの方がはるかに便利だ。ちなみに、2007年(平成19年)10月に利用したときは、確かにターミナル接続の降り口だったが、出入り口から最も遠いところで、かなり歩いた記憶がある。長崎新幹線の宣伝でも見られたが、佐賀県の主張には“不都合な真実”を隠している箇所がいくつも見られる。佐賀県にお住まいの方、また佐賀空港をご利用の方は、くれぐれも佐賀県や古川知事の嘘に騙されないようにご注意を。

   やむなくバス移動となったが、当然立つことになった。他の大きな飛行機は、次々に着陸し、ターミナルに接続してゆく。ただでさえ佐賀県民は“田舎者”(実際そうだが……)と呼ばれて都会では肩身の狭い思いをしているのに、何でこんな場面でも惨めな思いをしなければならないのか。個人的旅行では佐賀空港を二度と使わないと改めて誓った。

 預けていた荷物を受け取り、モノレール乗り場へ。私が東京モノレールに乗るのは初めてである。ここから東京駅までは自己負担なので、各自払う必要があるが、私とinfinity_fateはSuicaを持っていたので、そのまま入場した。8:44発の浜松町行きに乗車した。タイヤの上にある、他より1段高くなったボックス席を確保できた。すぐ後ろに荷物置き場があるのも嬉しい。モノレールは、ターミナル直下の地下区間を抜けると、高架橋上へ。かなり見晴らしが良かった。終点、浜松町駅に着く直前には、ビルの間からレインボーブリッジも見えた。

 浜松町駅で、山手線に乗り換えた。だが、山手線は朝からどこかでトラブルがあったらしく、遅れていた。到着した電車も、間隔調整ということで4分停車した。車内放送で、急ぐ人は向かいのホームに到着した京浜東北線に乗り換えるように案内されたので、多くの乗客が乗り換えた。実際の到着時間は、ほんのわずかしか変わらないと思うが、それほど東京の人にとっては1分でも時間が惜しいのだろう。

 東京駅に着くと、東北・上越・長野・秋田・山形の各新幹線ホームへ。指定された列車より1時間も早く到着してしまった。実は、この指定された列車で行くと、開会式には完全に参加できない。仮に次の列車に乗っても、開会式に少し遅刻してしまう。3人で話し合った結果、少しでも良いので開会式に参加しようということになり、9:44発の「たにがわ405号」越後湯沢行きに乗ることにした。事前のリサーチで、この列車は200系で運転されることが分かっていたので、できれば白地に緑帯のリバイバル色が来たらいいなぁ……と少し期待して待った。自由席利用になったが、始発だし、先頭から近いところに並んでいたので、座席には座れそうだ。  

 9:34ごろ、列車が入線した……ん!待つ人の間から現れたのは、200系、しかもリバイバル色!何と運が良い。わずか1編成しか存在しないのに……。

 乗車開始まで時間があったので、先頭車を1枚撮影して列に戻った。

 「たにがわ405号」は、定刻に東京駅を発車した。JR東日本の新幹線に乗るのは、これで2回目だが、前回は2002年(平成14年)に東京―上野間で試し乗りをしただけなので、本物の走りを体感するのはこれが初めてである。発車してすぐ、中央線のE233系が見えた。東京は、来るたびにまたどこかが変化しているので、何度来ても飽きない街である。

 車内は満席に近かった。制服姿の高校生も何人か乗っており、おそらく目的は私たちと同じなのだろう。

 大宮を出ると、列車は田園地帯の中を走った。少し天気が怪しいが……。

 車内で何をしていたかというと、私は車窓を眺めたり、JR東日本の車内誌「トランヴェール」や通販カタログ「Train Shop」を読んだりした。通販カタログの中に、駅メロの目覚まし時計が紹介されていて、学生になったら買おうかと思っている。そう、まさに高3の夏。こんな時間も惜しんで受験勉強をせねばならないのだが、私はこういうときこそ逆にリラックスしたい。昨日まで補習だったんだし。一方、infinity_fateは隣で黙々と英語のテキストを解いていた。でも、受験勉強を終えた今の自分から書くと、あまり詰め込みすぎるのも良くないと思う。無論、受験に至るまでの下積みは十分にせねばならないが、やれるだけのことをやったら、試験までの数日間は体調を整えることに専念し、あとは当日、いかに良いコンディションで受けるか。この一言に尽きると思う。受験の前日や数日前に集中して夜遅くまで勉強する人もいるが、試験中に一番打撃となるのは、寝不足で頭が働かないこと。結局、勉強したつもりでも、逆に裏目に出る場合があるのだ。だから、今後受験する人に言いたいことは、試験が近くなったら、仮に勉強時間が確保できていなくても、早めに寝た方が良い、ということである。そして、勉強勉強の毎日だったら、たまに息抜きで休むことも重要である。実際、ある意味で「お休み」となったこの2泊3日の旅行は、私にとってちょうど良い息抜きタイムになった。もっとも、息抜きと称して、何日も休んでしまっては意味はないが。

 高崎駅が近づくと、空はすっきり晴れてきた。内陸部の群馬は、夏場は結構暑いという。

   10:49、列車は高崎駅に到着した。改札口を出て、バス乗り場へ。駅は、商業ビルも併設していてかなり賑やかだった。だが、佐賀より大きな街であるはずなのに、駅前で歩く人はそれほど多くなかった。これといったものもなく、あまり感銘を受けなかった。むしろ、同じような状況の佐賀駅前に似ていて、何とも言えない共感を味わったのも事実である。佐賀も群馬も、どちらかと言えばマイナーな県。まさにマイナーからマイナーへの旅だった。

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