D横川駅までミニ旅行

管理人は、“文化部のインターハイ”と呼ばれる全国高等学校総合文化祭に佐賀県代表として参加しました。

 高崎駅で、私は横川行きに、infinity_fateは別の電車に乗った。実を言うと、私は高崎から出ている上信電鉄の制覇に行こうと思っていたが、時間、費用、体力を考慮すると、ちょっときついので、信越本線の横川駅まで有名な駅弁「峠の釜飯」を買う“ミニ旅行”に出かけることにしたのである。「峠の釜飯」はinfinity_fateのおすすめでもあり、せっかく群馬に来たので是非食べてみたかったのである。

 横川行きは115系だった。幸い、乗客は少なくて車端部のボックスを確保することができた。途中、地元の高校生が乗ってきて、少し賑やかになったが、終点に着くまでに大半が降りてしまった。私自身は、高校の制服で乗っていたので、おそらく車内の高校生から「見たことのない制服を着た人が乗っている」と思われたことだろう。

 終点に着いてから115系を撮影した。もしかすると、さっきみなかみで撮った車両なのかもしれない。前面の行き先表示は方向幕だが、列車番号はLED表示に変わっていた。

 改札の横に「峠の釜飯」を売る「おぎのや」の店があった。「釜飯」は、改札外からもホームからも購入可能らしい。早速購入することにした。

 店のおばちゃんは、忙しそうにしていたが、私が「釜飯を2つ下さい」というと、手を止めてまだ温かい釜飯を二つ渡してくれた。

 改札を出て、すぐ近くの「碓氷峠鉄道文化むら」へ。残念ながら閉まっていたが、そばの道路からEF63形11号機やトロッコ列車を撮影することができた。

 駐車場には横川駅構内から碓氷峠鉄道文化むらへと続くレールが残されていた。ある雑誌で読んだが、山向こうの軽井沢駅までレールが残されているという。将来的に、このレールは観光鉄道として復活すれば良いと思う(あくまでも個人的な希望だが)。その暁には、是非乗車に訪れたいものだ。

その後、横川駅周辺をしばらく散策した。駅近くの道路沿いには、古い建物がいくつか残っていた。

横川駅も「おぎのや」の建物もなかなか風格があり、周囲の町全体が静かで本当に良い雰囲気だった。

 駅前には、不思議なものが路面を横切っていた。かつて急勾配を克服するために使われたラックレールが溝の蓋として利用されていたのだ。

 高崎駅までのきっぷを買い、ホームへ。まもなく、107系の4両編成が入ってきた。ホームには、昔ながらの「高崎・上野方面」の看板があった。かつて、特急「あさま」が走っていた頃の名残なのだろう。

 電車は17:05に横川駅を発車した。途中駅から乗客が増えてきたものの、やはりローカル線になった今では立ち席もそこそこで、終点の高崎駅に到着した。高崎駅で、しばらく列車の撮影を行った。

 JRの撮影はこのくらいにして、次に上信電鉄の撮影を行うことにした。実は、上信電鉄の一部駅では今でも硬券のきっぷを常時発売しており、高崎駅では入場券でも発売しているという。実際に窓口で頼んだら、棚から本当に硬券の入場券が出てきた。無地だったが、昔ながらの字体で貴重なコレクションになった。

 ホームには、下仁田行きの250形が発車を待っていた。まもなく、電車は高崎駅を発車した。

 高崎駅構内には何本か留置線があり、ホームからその様子を撮影した。すると、上信電鉄職員の方がやって来て、「良かったら、入って撮ってみる?後はこの門を閉めといてね」と私に言った。突然のことなので、びっくりしたが、貴重なデキ1形電気機関車も停まっていたので、ご好意に甘えることにした。御礼を言って、一般人が立ち入れないところに入らせていただいた。

 デキ1形電気機関車は、既に80歳を超えるドイツ製の機関車で、2年前の事故で損傷し、現在は高崎駅構内で復旧の日を待っているという。

 隣には、103系に似た顔の電車が停まっていた。おそらく西武鉄道からの移籍した車両と思われるが、1両だけで停まっていた。

 撮影を終えて、ホテルに戻った。infinity_fateはしばらくして帰ってきたが、親戚の家でかなりの接待を受けたらしく、寿司を食べたり、福沢さんをいただいたりしたという。何と豪勢な!

 夕食時になったので、早速「峠の釜飯」を食べることにした。漬物付きで、容器は焼き物だった。infinity_fate宅では、以前食べた時の容器を残していて、たまに茶碗代わりに使っているという。確かに作りはしっかりしていて、ちょうど茶碗大盛りくらいだった。大学に入って一人暮らしを始めたら、是非使いたいと思う。

 蓋を開けた。容器の中にびっしりと詰まった具は、見るからに美味しそうだ。腹が減っていたので、早速食べてみたが、これがまた美味い!ご飯の味付けが程よい甘辛さでまず美味しいし、煮物中心の具も味がちゃんと染み込んでいた。「日本最古の駅弁屋」を名乗るだけに、その味は期待を決して裏切らなかったし、また食べたいと思わせる不思議な駅弁だった。また、たいていこうした焼き物の容器に入った駅弁は、容器代に結構費用がかかっているため、値段の割に中身があまり入っていないケースが多いのだが、「峠の釜飯」は底が深く、ご飯も満足できるほど入っていた。今まで、いろいろな駅弁を食べてきたが、一番美味い駅弁と宣言しても良いくらいだ。また群馬に来る機会があったら、是非食べてみたいと思う。それにしても、昼も夜も美味しいものばかり食べて、バチが当たりそうな一日だった。

 一日の疲れを癒すべく休んでいると、infinity_fateの携帯電話が鳴った。体調を崩していたY先生からだった。まず今日の報告を私たちからした後、Y先生はこんな提案をした。

「明日だけど、閉会式には参加せずに、東京でゆっくりすることにしようか」

 少し考えたが、確かにこちらの方が私たちにとって都合が良さそうだ。閉会式に参加しないのは心苦しい部分もあったが、開会式の時点で結果が分かっていたし、閉会式のためだけに12時まで群馬にいなければならないとなると、時間がもったいないような気がした。また、初日で結果を知らせて参加者のモチベーションを下げさせた主催者側への抗議の意味もこれには含まれていた。繰り返しになるかもしれないが、もし、この時点で結果を知らされていなかったら、少しわくわくして夜を過ごしたはずで、明日の閉会式も「もしかしたら入賞しているかも……」と参加する気になっていただろう。

 ただ、高崎シティギャラリーでは、私たちの作品も展示されていたので、群馬を出発する前にここだけは寄ることにした。

Eさよなら群馬  

旅行記&特集へ

トップへ