Aフェリーで良かった
しかしながら、空は残念ながら曇天。本当なら、夕陽が見られるんだけど……と20分くらいデッキにいたら、西の空が少し金色に輝き始めた。これは運が良い。荷物を部屋に置きっぱなしにしていたので、少々不安だったが、貴重品は持ってきているし、布団で隠しているので大丈夫だろう……と、そのまま撮影を続行した。時間が経つにつれて、西の空は益々輝き、“こりゃあ、良い夕焼けが撮影できるかも”と期待が膨らむ。カメラで撮影していると、横にカメラを持った男性が来て、「写真撮れてますか?」と尋ねられた。私は、「ええ、撮れてます」と答えたのだが、これが楽しい夜の始まりだった。その男性は、少ししゃべった後、どこかへ行ってしまった。間もなくすると、西の空が燃えるようなオレンジに変わった。それをバックに、瀬戸内海の島々が影となってぼんやり佇んでいた。 「いや〜きれいな夕焼けっすね〜」。先ほどの男性だった。確かに、今まで見たこともないような素晴らしい夕焼け。海上だけにさえぎるものはほとんどなかった。いろいろ話をしていると、その男性は東京都八王子市在住の方で、初めて九州方面へツーリングに行く途中なのだという。昼間は山崎の蒸留所を見学し、船に乗り込んだそうである。話している間にも、時々夕陽を撮影。今年7月の日食を見ようと、世界中が大騒ぎしたが、今日しか見られないこの夕焼けの方が、もっと価値のあるものに思えてならない。 なかなか太陽が出てくれないなぁと気を揉んでいると、ようやく雲の隙間からほんのわずかだけ顔を出してくれた。その瞬間、海も黄金色に輝き、空と海の二大共演が始まった。私も男性も、もう大興奮。何枚もシャッターを切った。 しかし、再び雲が多くなってきた。すると、何が起こったのか、雲が光り始めた。いや、単に太陽に照らされているだけなのだが、あまりにも幻想的な光景に息を飲んだ。男性は「まるでオーロラのようだ」。ちょうど私も同じことを考えていた。自然の創り出す風景というのは、これほどに不思議なものであるのか。 しばらくすると、再び太陽が顔を出した。海も、空も、雲も、島も全部黄金色に染めて。男性が言った。「俺たち、運が良すぎる」。私の場合、明日の「富士」撮影のためにフェリーを選択したのだが、まさかこんなおまけがあるとは思いもしなかった。感動で、涙が出そうだった。 やがて太陽は、水平線の彼方に消えて行った。しかし、ショーはそれだけで終わらなかった。沈んだ後も、太陽は私たちに素敵な時間を与えてくれた。 そして、ショーが終わった。気づけばもう19時を過ぎ、デッキにいる乗客もだいぶ少なくなっていた。それにしても、この感動は滅多に味わえない。もしかすると、一生に一度のものだったのかもしれない。 男性とは、その後もいろいろな話で盛り上がった。「ETC割引は、フェリーや新幹線に多大な悪影響を及ぼすから、現行の方式は良くない」「聞いた話なんだけど、北海道の利尻島にあるユースホステルに泊まったとき、変なダンスを教え込まれた人がいる」などなど。さらに、男性は九州ツーリングの際に、佐賀県鹿島市の干潟体験をする計画も立てていたらしい。地域資源を有効活用した干潟体験を東京在住の方がご存じだとは。一方で、不必要な長崎新幹線ができる予定の武雄温泉や嬉野温泉のことは一言も話題に上らなかった。鹿島市出身ではないが、嬉しくなった。ただ、「ツーリング中に泥だらけになるのはちょっと……」ということで、断念したという。それもまたごもっとも。九州を周るとのことなので、ついでに私の方からも佐賀県の宣伝をしておいた。男性は、明日の夜に福岡市で待ち合わせをしている人がいるとのことなので、唐津市周辺を特に勧めておいた。晴れていれば、場所によっては海もきれいである。 そう言えば、まだ夕食を食べていなかった。男性もまだらしいので、一緒にレストランへ。既に混雑のピークを過ぎており、並ばずに入れた。レストランと言っても、予め皿に盛られたものを好きに取っていく形式だった。何だか、私の大学の学食と似ていて、苦笑してしまった。しかし、船内で温かい食事ができるのは、最高である(少々高いけど……)。男性は食堂の方に冗談を言ったり、私に「学生は、贅沢しちゃダメ」と言いながら、海鮮丼を頼んだり。本当に船旅を楽しんでいるようだった。 私は、ご飯と肉じゃが、ポテトサラダというメニューにしたが、ご飯150円、肉じゃが500円(!)、サラダ250円の計900円。まぁ、たまには贅沢(?)もいいか。一方、男性は「これ飲む?」と、飲み物をごちそうしてくれた。 人が少ないだけに、窓際の禁煙席に座れた。進行方向左側の席だったので、四国の沿岸にある街明かりが暗闇の中に煌めいていた。その中にひときわ大きな光の塊があったが、あれは高松市だろうか。というわけで、「いただきます」。 通路を挟んだテーブルには、おじちゃんたちのグループが小さな宴会を開いていた。そして、やはり男性が声をかけた。そのおじちゃんたちは、トラックの運転手らしく、東京と九州を行ったり来たりしているという。ただ、ずっと運転するのは大変だし、今は高速道路が混雑しているので、こうしてフェリーを利用しているのだという。いろいろ話をしていると、おじちゃんたちの中に佐賀県出身者が2人もいることが判明。そのうち1人は、小城市出身という。小城市は、佐賀市の隣。私もよく知っている市だ。一方、男性の方も東京近辺の道路ネタでおじちゃんグループと意気投合。最後は、「九州の女性には美人が多い」という方向へ走ってしまった。しかしながら、おじちゃんたちは、みんな九州弁をしゃべるので、私にとってはどの言葉も懐かしく聞こえた。 私が先に食べ終えてしまうと、男性は「何か頼む?」と言った。「え?」と思っていると、男性は「いいから、いいから。俺が出すよ」と、財布を取りだし、ウエイトレスを呼んだ。結果、ちゃんぽんを頼んで半分に分けることにしたのだが、実際には勧められて私が3分の2を食べた。うーむ、夕焼けと言い、この食事と言い、何だか幸せすぎる。 すっかり酔ってしまったおじちゃんグループは、先にレストランを出て行った。これからお休みになるのだろう。しばらくして、私たちもレストランを出て、再びデッキへ向かった。そろそろ瀬戸大橋付近を通過する頃だからだ。夕焼けも良かったが、両岸の夜景もなかなか良い。明石海峡大橋の時ほどではなかったが、やはり夜の瀬戸大橋を見ようと乗客が集まっていた。前方には、案の定瀬戸大橋が見えた。こちらも、橋の輪郭に沿って電飾され、とてもきれいだった。船は、ゆっくりと瀬戸大橋に近づいて行く。すると、橋の向こうから白い線がこちらへ向かってくる。どうやら、瀬戸大橋線の電車らしい。しかも、先頭車が2階建てなので、おそらく5000系快速「マリンライナー」。これまた何と運の良いタイミング。他の乗客も「あ、電車だ!」などと指さしていた(船の揺れのため、ぶれておりますが……)。 さて、時刻は21:30に近くなっていた。最後に、会った記念として、mixiのマイミクシィになった(意外と携帯電話の電波が入りにくく、苦労したが……)。私と男性は、一緒に船内に戻った。男性は2等寝台、私は2等自由席。さらに男性はバイクを降ろす必要があるため、一般旅客とは別の出口から下船することになる。お互いにmixiで夕焼けの写真を載せようと約束し、握手をし、そこでお別れとなった。この男性のおかげで、本当は1人だったはずの船旅が何倍も楽しくなった。mixiのおかげで、この男性とはインターネットを介してではあるが、交流が続いている。 数時間ぶりに2等自由席の部屋に戻った。既に同室の乗客は消灯して寝ており、起こさないように静かに荷物を整理した。そして、タオルと着替えを持って、別の階にある大浴場へ。乗船後すぐに入ったという先ほどの男性によれば、「かなり気持ち良かった」らしい。貴重品をかぎ付きロッカーに預け、早速大浴場へ。時間帯が時間帯だけに客は少なく、私以外に家族連れと20代くらいの男性しかいなかった。嬉しいことに、ジャンプーや石鹸も準備されていた。それにしても、久しぶり広いお風呂に使った。京都市内には銭湯がたくさんあり、自宅の周辺にも3軒ほどある。しかし、値段が410円と高いので、京都に来てからまだ1回しか利用していない。ちなみに、ここの大浴場には窓があるものの、下半分がくもりガラスだったので、景色はよく見えなかった。 20分ほどで上がった。“うーむ、良いぞ、阪九フェリー”などと思いながら、一旦部屋に戻った。時刻は22時を過ぎていたが、私にとってまだ寝る時間ではないので、レストラン横の休憩所で冷たいものでも飲みながら、テレビを見ることにした。休憩所は、宴会の後が残っていて、酒瓶やらおつまりの袋やらが散らばっていた。仕方なかったが、できるだけきれいなテーブルの椅子に座った。ちょうどテレビはNHKの戦争特集をやっていて、内容は手塚治虫原作の「アドルフに告ぐ」だった。「アドルフに告ぐ」は、是非読んでみたい手塚作品のひとつなので、最後まで見てしまった。 部屋に戻って寝ることにした。そう言えば、明日の到着時刻は5:30。あんまり夜更かしすると大変なことになるので、23:30には寝た。それにしても、素晴らしい1日だった。