@奥の手

2ヶ月に及ぶ大学の夏休み。最初の大旅行は帰省でした。

 初めての前期試験を取り敢えず乗り越えたと同時に、京都市のある近畿地方も梅雨が明け、ようやく夏本番を迎えた。周りの学生たちは、夏休みに入ってすぐに帰省した人もいれば、帰らないと宣言する人もいた。私は、部活のミーティングや基礎演習クラスの活動があったため、お盆前に九州へ帰省することにしていた。ちょうど、JR九州が門司港―鹿児島中央間でブルートレインを1往復運行すると発表していたので、それに合わせて帰ることに。時間と場所を考慮すれば、9日の午前中に日豊本線を上る列車を撮影できそうだったので、これを狙うことに決めた。

 しかし、夏休みに入る前に夜行快速「ムーンライト九州」の廃止が発表され、午前中の早い時間帯に列車で九州に到着できる手段が消滅してしまった。旅費を考えると、青春18きっぷで帰りたいが、それ以上にブルートレインも撮影したい……。だけど、高速バスはゴールデンウィークの帰省で痛い目に遭ったので使いたくない。というわけで、思い切って夜行のフェリーで帰省することにした。時刻表を開いてみると、大阪や神戸から九州へ向かう船便はいくつかあった。インターネットで詳しく調べてみると、阪九フェリーという会社が、神戸・泉大津―新門司港間で2等片道4500円の「週末割引」を実施していることが判明。通常運賃が2等6000円、学割運賃でも4800円なので、これは破格の安さである。高速道路のETC割引の影響と思われるが、自動車利用の有無に関係なく全ての旅客に適用されるようだ。しかも、ブルートレインが走るのは週末。条件は全てクリアした。早速空席を確認してみたが、残念ながら神戸発は満席だったのでセカンドベストで大阪府の泉大津発便を検索してみたら、こちらは「空席あり」。というわけで、インターネットで予約し、クレジットカードで決済した。

2009年(平成21年)8月8日(土)

 帰省開始の日。とは言え、フェリーは夕方に泉大津港を出るので、朝からドタバタせずに済んだ。午前中は、所属する大学新聞社の先輩に連れられて近所のお寺へ。ここの和尚さんと2時間半も京都市や政治の問題について語った後、土産に寺の畑のニガウリを持たされて帰宅。帰る前に、実家や祖父母宅に渡すお土産も購入。そして、ガラス戸の鍵、ガスの元栓、水道の蛇口、雷対策のコンセント外しを確認し、13:40過ぎに自宅を出た。最寄りのバス停から市バスに乗り、阪急電鉄の西院駅へ。ここから準急に乗り、桂駅でさらに梅田行きの特急に乗り換えた。残念ながら、座れなかったので、運転席の後ろで前方風景を眺めた。JRの新快速と競合しているせいか、通過駅でもビュンビュン飛ばした。車内には、浴衣姿のカップルが目立ったが、大阪で花火大会でもあるのだろうか。

 淡路駅で阪急千里線に乗り換えた。阪急千里線及び京都本線は、大阪市営地下鉄堺筋線と相互直通運転を行っており、乗り換えた電車は大阪市交通局所属の66系だった。そのため、阪急の駅でも連絡きっぷが発売されている。天神橋筋六丁目駅(通称:天六)で乗務員が交代した。ただ、やはり堺筋線は乗客が少ない。繁華街に近い道頓堀の近くも走っているのだが、座席には空席が目立った。累積赤字3000億円以上の京都市営地下鉄と似たような状況なのかもしれない。終点の天下茶屋駅に着いたとき、先頭車に乗っていたのは私を含めてわずか3人だった。

 ここから南海電鉄に乗り換えて泉大津へ向かうのだが、その前に地下鉄と阪急の車両を撮影。人がほとんどいなかったので、皮肉にもかなり撮影しやすかった。

   南海電鉄の券売機で泉大津駅までの乗車券(370円)を購入し、ホームへ。南海電鉄を利用するのは初めてなので、しっかりと行き先表示を確認。面白いことに、今でもパタパタ式のアナログな表示板が残っていた。次の電車は、区間急行みさき公園行き。泉大津駅にも停まるらしい。5分くらい待つと、区間急行が入線した。

   電車は天下茶屋駅を発車するとぐんぐん加速し、小さな駅はあっという間に過ぎ去っていった。高架線なので、住宅街の上を疾走した。空はまさに夏と言うべき青さ。絶好の旅行日和だった。途中で座れたものの、それからわずか5分ほどで泉大津駅に到着した。泉大津駅は高架化の工事を行っており、西口では背の高い高架橋と駅舎が建設中だった。西口の階段を下りていると、紺色の南海ラピートが通過していった。

 ここから泉大津港までは、シャトルバスを利用する。フェリー利用者は、予約すれば“無料で”利用できる。このサービスがとても嬉しい。シャトルバスは既に待機していて、車内の座席は既に7割ほどが埋まっていた。

 16:01、バスはほぼ満席になったところで泉大津駅を発車した。住宅街を抜け、沿岸の大通りへ。沿道の標識には「この付近は津波警報発令時に通行止めとなります」というものもあった。港に架かる大きな橋を渡っていた時、岸壁に大型フェリーが浮かんでいた。どうやらこれが今夜の宿「フェリーせっつ」らしい。

 フェリーターミナルの前に着くと、バスの乗客は一斉に乗船手続きのカウンターへ。現金払いの乗客は、テーブルで乗船名簿を記入していたが、私はクレジット決済だったので、カウンターで名前を告げるだけで乗船券を発券してもらえた。船に乗る前に、ターミナルと船を一緒に撮影した。

 エスカレーターで乗船口へ。船体が大きいので、入り口はターミナルビル3階くらいの高さにある。そして、橋を渡って船内に入った。下の写真は、橋の上から撮影したもの。

 船内は意外と豪華で、カウンターには案内係もいた。入って左手にはレストラン、中央には上階へ続くらせん階段、端には自動販売機コーナー……。ホテルをそのまま船の中に持ってきたような感じだった(写真のらせん階段は後で撮影したもの)。

    係の方に乗船券を見せると、「2等の方はあちらですね。指定はありませんので、どこを利用されても構いません」と案内された。入り口には「2等自由席」とあり、内部は定員十数名のいくつかの部屋に分かれていた。女性専用室もあった。既に多くの乗客が自分の場所を陣取って休んでおり、中には布団を敷いて寝ている人もいた。家族連れが多く、小さな子供が騒いで少々うるさかった。ただ、大渋滞の高速道路を、ガソリンと時間を無駄にしながら帰ってくるよりは、使えるならばフェリーを利用する方が賢いような気がする。

 窓際や部屋の奥といった良い席は既に占拠されていたので、散々探し回った挙句、通路側の部屋角に落ち着いた。同じ部屋には、2家族と同年代くらいのグループがいて、ほぼ満室になった。設備は枕と毛布、薄い敷布団で、典型的な雑魚寝。しかし、寝具は比較的新しく、清潔感があった。

 休憩していると、ビールの販売員が回ってきた。しかも2人。このフェリーでは運航要員以外にも、多数の客室乗務員が乗っていた。売店係、レストラン係、案内係……。しかも、フェリーの中にはカラオケボックスや大浴場まである。人件費だけでも相当な額になると思うが、あえて削減しない阪九フェリーの姿勢に私は拍手を送りたい。一方で、JRの列車はどんどん人件費を削減し、手間のかかる食堂車や売店は次々に閉鎖。寝台特急に限っても、車内販売やシャワー室がない列車が存在する。その割に、運賃、特急料金、寝台料金がとても高い。フェリーでできて、なぜJRではできないのか。夜行列車は、午前0時から午前6時まで運行できない新幹線の隙間ビジネスとも言えるのに。「目覚めれば目的地」という魅力は、誰もが感じている。だから、このフェリーでも多くの乗客が利用しているし、高速バスも盛況である。やはり、一連の夜行列車廃止は、JRの意図的なものがあるのかもしれない。

 さて、フェリーは定刻の17時より少し遅れて岸壁を離れた。出航してすぐ船の案内が行われた。それによると、最高速度は50km/hという。船は結構遅いイメージがあったものの、50km/hと言えば国道を走る自動車とあまり変わらない。船は、次第に港から離れ、大阪湾に出た。展望デッキは、風がとても強かったが、景色は素晴らしかった。太陽は行く手に、後ろには船の航跡や大阪の街。ベンチがあちらこちらに設置されており、既にビールを開けて飲んでいる人もいた。  

 風が強くなってきたので、一旦室内に戻った。荷物を置いている2等自由席に戻る途中、張り紙を見つけた。その張り紙には、瀬戸内海に架かる橋の通過予定時刻が書かれていて、兵庫県と徳島県を結ぶ明石海峡大橋は18時頃に通過するという。それなら、18時くらいにまたデッキに行こうと決めて、“自分の場所”に戻った。2等自由席では既に休んでいる人も多く、子供の騒ぎ声もいつの間にか聞こえなくなっていた。

 18時前にデッキへ。相変わらず風が強く、何とかデッキへのドアを開けることができた。デッキには、明石海峡大橋の通過を確認しようと、大勢の乗客が集まっていた。前方には、橋がぼんやり霞んで見えた。ただ、船が橋に近づくにつれて、橋は半分しか見えなくなった。船の前部は、立ち入り禁止区域や操舵室になっているからだ。しかしながら、明石海峡大橋は、胸がすがすがしくなるほどの曲線美だった。

 船は兵庫県本土沿岸に沿って進んでいるのだが、海から見ると、街並みが良く分かる。さらに、神戸と明石の間には山が海岸まで迫っており、乗客の誰かがそこを指さして「辺境地帯やな」と言っていた。18:10頃、船はいよいよ橋のすぐそばまで来て、ゆっくりと通過。船上は、シャッター音の嵐に包まれた。確かに、海上から橋を眺めるのはめったにできない。

Aフェリーで良かった

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