@京都から福井へ

青春18きっぷの残存日数を消化するために行った京都・福井一周の旅。舞鶴線や小浜線の制覇を行いました。

 2009年(平成21年)夏の青春18きっぷ。1回目は第1次帰省,2〜3回は東京・瀬戸内海旅行関連で使った。残り2回のうち,1回は9月半ばの第2次帰省で使うが,もう1回の使途が決まっていなかった。そこで,私は日帰りで満足できる旅行ができないか,と時刻表をめくってみた。

 旅路は意外にも早く見つかった。それは,山陰本線,舞鶴線,小浜線,湖西線or北陸本線を経由して,京都府,福井県,それに滋賀県にまたがって一周するというもの。ただ,これでは物足りなかったので,北陸本線武生駅までのオプションプランも盛り込んだ。

2009年(平成21年)9月5日()

 夏休み真っ只中の9月上旬。学生身分である私の生活スタイルは修復不可能なまでに乱れきっており,旅の始まりは必然的に午後からとなった。最寄りの花園駅で青春18きっぷに日付印を入れてもらい,ホームへ入場。12:55発の各駅停車園部行きは,221系だった。車内は混んでおり,残念ながら座れなかった。

 嵯峨嵐山駅から先はトンネルが続く。とは言え,1本のトンネルではなく,途中で何回か渓谷を渡った。保津峡駅もその途中にあり,何人かの乗客が降りていった。最後のトンネルを抜けると,車窓は緑がまぶしい田園地帯に変わった。京都の市街地,真っ暗なトンネル,時折飛び出す渓谷,そして田園風景。10分足らずの間に,これほど車窓が劇的に変化する路線は珍しいのではないだろうか。

 13:12,電車は亀岡駅に到着した。終点の園部駅まで乗りとおしても良いが,園部駅から先へ向かう電車がすぐにないこと,それに後続の快速があることから,亀岡駅で途中下車することにした。以前にも亀岡駅で途中下車したことがあるが,当時は駅舎の建て替え工事中だった。今では駅舎も駅前もきれいに整備され,亀岡市の玄関としてより相応しい駅になっていた。

 私は,ついでに駅前の郵便局で貯金を下ろし,さらに改札口近くの漬物屋でお土産の「しば漬け」を買った。これは,出身高校の先生に渡すためである。用事を済ませてホームへ。次の快速園部行きも221系だった。こちらは席に座れた。電車は13:51に終点の園部駅に到着。途中下車して駅舎を撮影した。

 構内では既に福知山行きの223系が発車を待っていた。その前に,城崎温泉行きの183系特急「きのさき」を先行させた。北近畿一帯では,今でも485系から改造された183系が活躍しているが,間もなく新型車両の投入が始まり,従来の183系は姿を消すという。

 ローカル線とは言え,2両編成の223系は先客でほぼ埋まっており,やむを得ず2両目最後部の補助席で我慢することになった。電車は14:04に園部駅を発車し,山の中へ入っていった。最後部なので,後方の展望だけは抜群。入道雲が右往左往する様子はなかなか面白く,しばらく眺めていた。しかし,夏の盛りに比べると,何だかひ弱な入道雲に見えた。時期はもう9月。どこかの駅でドアが開くと,小さな秋が車内へすーっと流れ込んできた。「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」と歌ったのは,藤原敏行だっただろうか。昔の人もまた,風で季節の到来を知ったようだ。

 綾部駅で舞鶴線東舞鶴行きの125系に乗り換えた。1分の接続で、電車は15:04に発車。席にも座れた。しばらく田園風景の中を通った後、30分ほどで東舞鶴駅に到着した。ここでは、敦賀行きの125系に乗り換えた。ここから先は路線名が「小浜線」に変わる。しかし、この125系は座席の配置が他の車両と異なり、一部に2人掛けの固定席があった。空いていたのがこのタイプの席だったので、そこに座ったが、進行方向とは反対側に固定されているので、後で別の空いた席に移動した。やはり、風景を楽しむには進行方向に座った方が良い。

 2両の電車は、若狭湾に沿って走る。あいにく空が曇ってきた。海のそばも通ったが、晴れていたらもっときれいに見えただろう。ただ、見たいとは思っても、沿岸には原子力発電所があるので、「この海で泳げ」と言われたら、ちょっと身構えてしまう。国が「放射能漏れはないので安全」とは言っても、それは法定基準値以下の話だし……。

 16:19、福井県の小浜駅に到着した。大勢のお年寄りが乗車したので、席を譲るべきかと様子をうかがっていたが、ちょうど全員座れたようだった。ちなみに、小浜駅停車中に表示された車内電光表示は「Obama」。あのオバマ米大統領と同じスペルである。ゆえに、福井県小浜市の村上利夫市長が、当時、米上院議員で民主党の大統領候補者だったオバマ大統領に手紙と若狭塗の箸を送ったという。すると、報道によれば、オバマ氏から本当にお礼状が届いたらしい(ロイター通信2008年3月5日付)。さらに大統領選開票日に開かれた小浜市民の支援集会には、アメリカのテレビ局も取材に来場(産経新聞2008年3月5日付)。名前の読みが同じという関係以上に、大きな話題となったようだ。

 さて、電車は海沿いを走ったり、内陸に入ったりしながら小浜線を東へ進む。終点まであと10分というところまで来ると、左手前方に街が見えた。どうやら敦賀の街らしい。

 17:31、電車は終点の敦賀駅に到着した。これで、舞鶴線、小浜線の制覇は完了である。

A旅は夕方以降が面白い

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