×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

@夜汽車に乗って

わけあって、私は2007年(平成19年)9月23日発の「あかつき」に乗り込みました。

2007年(平成19年)9月23日(土)

 2007年(平成19年)9月23日、21:00。私は佐賀駅の待合室にいた。自宅からはバスを利用して佐賀駅まで来た。実は、まさかとは思ったが、ある“良いこと”があって、それならばと岡山方面に向かうことにしたのだ。今夜の宿は、寝台特急「あかつき」。私は安旅が好きなので、通常はレガートシートを使うところであるが、今回は奮発して、B寝台個室「ソロ」を使うことにした。下り線に、特急「みどり」が到着し、多くの乗客が列車から降りていた。大半は通勤通学客だった。

 21:29、「あかつき」は定刻に入線した。乗り込むとすぐにドアが閉まり、ゴトンという衝動とともに動き出した。B寝台個室「ソロ」は2階建てだが、私の部屋は1階だった。ドアを開けると、ひらりと1枚の紙片が落ちた。見れば、<寝台特急「なは・あかつき」のご利用ありがとうございます★ 後ほど 車掌が「切符を拝見」にお伺いいたします…。 JR九州・JR西日本車掌>と書かれていた。写真は後で撮影したもの。

 部屋に着いてすぐ、オルゴールが流れて「おやすみ放送」が開始された。乗ってすぐ「おやすみ放送」というのは変な気分だが、時刻は21:35。就寝時間に差し掛かりつつあった。放送では、編成内容や車掌の乗務車両、明日の朝6:10まで緊急時を除き、放送が休止されることが案内された。私は、明朝5:01に着く岡山で降りるので、これが最後の放送になるのか。あのオルゴールの響きが大好きな私にとって、残念ではあった。その後、車掌さんが車内改札にやって来た。そう言えば、テレフォンカードがなくなりかけていたことを思い出した。さっきの放送でテレフォンカードを車内でも発売している、と案内されていたので、ついでにテレフォンカードを買った。絵柄は子犬だった。

 鳥栖駅では、熊本発の「なは」を後ろ繋ぐ。これは、かつて同駅で行われていた「さくら」と「はやぶさ」の併結方法と同じで、「あかつき」が一旦3番乗り場に到着し、そしてドアを閉め、博多寄りまで行って今度はバックし、1番乗り場の「なは」に繋ぐというものである。

 最後尾には、先客が2名いて、1人はビデオカメラで録画していた。「あかつき」は3番乗り場を出て、博多寄りに一旦引き上げた。引き上げると、ドアが開いて作業員が乗り込み、無線機で機関士に指示を伝えていた。

   列車はバックして鳥栖駅に再入線した。遠くに「なは」の24系客車が見え、だんだんと近づいてきた。そして、「なは」の手前で一旦停車し、ゆっくりと接近、そして連結した。

 連結すると、作業員が線路に下りて、連結器の最終調整などを行った。

 ホロが繋がれ、連結作業が全て完了した。「あかつき」の14系はJR西日本、「なは」の24系はJR九州に所属しているので、双方でカーペットの模様が違っていた。

 連結完了後に時間があったので、ついでの方向幕や車両の撮影を行った。

 列車は鳥栖駅を発車した。個室では、車内ラジオ放送を聴くことができた。部屋を真っ暗にすると、外の風景がよりはっきりと見えるようになった。月が出ていて、列車に必死になってついてきていた。福岡市内に入ると、ネオンサインが車窓を彩った。

 北九州の門司駅では、機関車の付け替え作業を行った。九州内用のED76形を切り離し、関門トンネル用の交直流機関車・EF81形を連結した。深夜になっているためか、撮影者は私一人だけだった。

 次の下関駅では、本州用のEF66形に付け替えるので、それも撮影するために、機関車に最も近いレガートシート車(寝台ではなく、普通車指定席扱い)に設置されているミニロビーで待機した。レガートシートの客室内は真っ暗に消灯されていた。下関駅には何人かの人が待っていて、大半の人が車内に乗り込んでいたが、中には私と同じく機関車付け替えの撮影にまわる人もいた。中学生らしき鉄道ファンもいたが、その人も「あかつき」の乗客らしい。

 まず、EF81形が切り離され、回送された。

 その間、客車側は連結スタンバイ。間もなく、ライトをらんらんと光らせたEF66形機関車が入ってきた。

 ゆっくり近づき、そして連結した。

 列車は23:49に下関駅を発車した。その後は部屋に戻り、折りたたみ式のテーブルを開いて、レールサウンドを聞きながら英語のプリント課題を進めた。来年は受験だから、もう夜行列車で旅に出ることなどできないだろう。おそらく、今回の旅が最後になるのではないだろうか。

「A岡山駅の起床」へ

旅行記&特集へ

トップへ