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A大村湾は青かった

毎年恒例の有田陶器市旅行。昨年は佐世保に向かいましたが、今回は大村線経由で長崎方面に足を延ばしました。

 13:55頃、上有田駅に戻った。改札口を入る前に、きっぷを取り出そうとバッグの中をごそごそしていたとき、「列車が通過します」という放送が流れ、先ほどの気動車4連が目の前を通り過ぎた。あと少し早く到着できていれば、撮影できたのに・・・。

 ホームは、これから自宅に帰る人々で混雑していた。817系各駅停車佐世保行きは、6分ほど遅れて到着した。私は、1両目の乗車位置に並んでいたので、座席に座ることができた。

 1両目に乗った人は少なく、立ち席になったのは数名だけだった。

 途中、国道と並行した。国道は、有田に向かうものと思われる自動車で渋滞していた。どうしてこれほど渋滞するのに、自動車を使ってまで陶器市に行きたいのだろうか。このような時は、便利である自動車も不便な乗り物と化する。走ったり止まったりを繰り返すので、燃料も無駄になる。家族にお年寄りがいるので、JRで行くのはちょっと厳しいというのならば仕方ないと思うが、全てがそのような例であるはずがない。例えば、手前の三間坂駅や三河内駅の近くに自動車を駐車して、電車で有田入りするという方法もあるだろう。自動車で有田陶器市の会場に直接乗り入れる人は、発想の転換が必要だと思う。主催者側も、なるべくそうしてもらえるように努力すべきではないだろうか。

   電車は、やはり数分遅れて早岐駅に着いた。

 一旦途中下車して、食料を調達した。一応、自宅からパンを持ってきていたが、足りそうになかったからである。次に乗るのは、快速「シーサイドライナー」長崎行き。入線する1番乗り場で列車を待った。しかし、構内放送で4分ほど遅れることが伝えられた。

 14:49、キハ200形2連が入線した。

 しかし、車内は多くの立ち席が出るほど混雑していた。なので、前方風景を楽しもうと、いつものように運転席後ろで立つことにした。14:50、列車は早岐駅を発車した。次のハウステンボス駅では、多くの乗客が下車したため、空席ができたものの、私は座れなかった。ハウステンボス駅を出ると、列車はのどかな田園風景の中を走るようになった。

 しばらく行くと、今度は右手に大村湾が広がった。遠くまで青い大村湾は、日光に照らされ、きらきらと輝いていた。

 

   駅訪問のため、私は彼杵(そのぎ)駅で下車することにしている。前回、大村線に乗ったとき、木造駅舎が残っていたからである。列車が彼杵駅に着いた。ところが、駅舎は改築されていた。後で調べると、前駅舎は昨年に解体されたらしく、今年3月に現在の駅舎が建てられたそうだ。予想外の出来事にびっくりしたと同時に、また木造駅舎がなくなってしまい、大変残念だった。駅員さんにきっぷを見せ、途中下車した。駅舎は、最近流行している四角い簡単な造りのものではなく、古い駅舎にどことなく似せたようなものだった。

   彼杵駅のホームに、謎の看板があった。「一呼吸(30秒)待て?」というのは、一体どんな意味なのだろうか。「待て?」と問われても、こちらが「なぜ?」と問い返したいくらいである。

   彼杵駅に着いて30分後、キハ66系各駅停車長崎行きが3分ほど遅れて入線した。こちらの車内は閑散としていて、座席に座れた。

 彼杵駅を出ると、列車は海のすぐそばを走った。

 キハ66系の座席はとても座り心地がよく、このままずっと乗っていたいところだが、今回の旅で有田陶器市に並ぶほど重要な目的である大村線撮影の場所が、次の千綿(ちわた)駅の近くなので、わずか数分でキハ66系の乗車は終了した。

 千綿駅は、大村線で最も海に近いところにあることで有名だが、実際に降りてみると、確かに目の前は見渡す限りの海が広がっていた。私が今まで訪れたことにある駅で、これほど美しい景色が見られた駅は、初めてだった。

 千綿駅には、“古そうな”木造駅舎で、青地に白抜き文字の昔風の駅名表示板が掲出されていた。“古そうな”と書いたのは、後で分かったことだが、この駅舎は平成に入ってから改築されたものであるそうで、景観に合わせてわざと昔ながらの駅舎にしたのだという。無個性な駅舎が増えつつある中、景観に配慮してこの駅舎を建てたことは、大変素晴らしいと思う。

 駅舎内部からも海が見えた。まさに映画のロケに使用しても差し支えないような景色だった。昔風の木造駅舎だからこそ作り出せたものだと思う。

 

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