B千綿の思い出

毎年恒例の有田陶器市旅行。昨年は佐世保に向かいましたが、今回は大村線経由で長崎方面に足を延ばしました。

   千綿駅から大村線の撮影地までは、地図を見ながら徒歩で向かった。国道からも海がきれいに見えた。

 

 20分ほどで、撮影地の漁港に着いた。ここの漁港は、海からの入り口に大村線が走っており、港と列車を一緒に撮影できることから、雑誌やホームページなどでたまに紹介されている。私は、デジカメと白黒フィルムを入れた一眼レフを交代で使いながら、漁港の様子や列車が来れば列車と一緒に撮影した。少し離れたところでは、漁師さんたちが談笑していて、その一人の奥さんと思われる女性が、飲み物を運んできていた。

 海はきらきらと輝き、時間が静かにゆっくりと流れた。旅は、日常から自分を解放するために行くものだと思うが、こうした風景は、私にとってまさに非日常のものだった。だからと言って、私はこのあたりに住んでいる人をうらやましいとは思わないし、そうした人にとっては、街に行って楽しむことが非日常なのかもしれない。賑やかなテーマパークや観光地に行くことも非日常ではあるが、見たくもないものを見てしまったり、お金がかかったりと、何かと心に負担になることが多い。旅をするなら、やっぱりローカル線だと改めて思った。

 さて、なぜ私がこの時間帯を選んでここに来たのかと言うと、もうすぐ長崎行きの有田陶器市号が通過するのだ。つまり、風前の灯火であるキハ28・58形が走るということだ。時間から計算すると、この港を通過するのは、16:30〜16:35の間だろう、と予想した。

 案の定、16:34に有田陶器市号がやって来た。周辺に踏切がないため、列車の接近が分からず、デジカメの起動が遅れてしまったので、列車が港を通り過ぎつつある写真になってしまったが、海と列車を一緒に撮影できて良かった。

 すると、背後から「JRば撮りよるとね?(JRの列車を撮っているのですか?)」という女性の声が聞こえた。振り返ると、さっき漁師さんたちに飲み物を持ってきていたおばちゃんだった。

私:ええ。ここは本にも載っていたので。港と列車が一緒に撮影できて良いところですね。

おばちゃん:そうそう。ここはよくカメラを持った人の来るとよ。ここの裏の山から撮る人もいるみたいだけど。次(の列車)は何時ごろ?

私:いえ、今通り過ぎました。時間があれば、(裏の山に)行きたかったのですが・・・。

おばちゃん:どこから来たとね?一人で来たと?

私:ええ、佐賀から一人できました。有田陶器市に寄ったついでです。

おばちゃん:あぁ、陶器市ね。そうだ、ちょっとこっちに来てみんしゃい。うまか水のあるけん。額に汗の出て暑かごとしとんさーけん(ちょっとこっちに来て。おいしい水があるから。額に汗をかいて暑い様子だから)。

 おばちゃんは、手招きをしながら、水汲み場へすたすたと歩いていった。私もその後ろからついて行った。簡単な造りの小屋の中に木のふたがあり、それを開けると水がたっぷり入っていた。

おばちゃん:そこのコップ(実際はカップ酒の空き瓶)ば使いんしゃい。洗ろうてからね。冷たかけん、うまかよ。夏なら、もっと冷たか(そこに置いてあるコップを使って。洗ってからね。冷たいからおいしいよ。夏ならもっと冷たい)。

 そう言われるままに、私はコップを洗って、水をすくった。確かに冷たい。早速一口飲んでみた。その水はおおっと思わせるほどおいしく、そして冷たく、乾いた喉を程よく潤してくれた。

私:あ、おいしいですね!この水は、井戸水なんですか?

おばちゃん:いやいや。裏の山からの水よ。うまかろうが。何杯でん、飲んでいきんしゃい。ばってん、全部飲んだらダメよ。帰りも気をつけんばよ(いやいや、裏の山から引いた水よ。おいしいでしょう。何倍でも飲んでいきなさい。でも、全部飲んだらダメよ。帰りも気をつけてね)。

 おばちゃんはそう言うと戻っていった。私が「ありがとうございました!」と言うと、おばちゃんは歩きながら、「ハイハイ!」と手を振りながら元気良く返してくれた。私は、その後、さらに2、3杯飲んだ。今思っても、とてもおいしい水だった。

 やっぱりローカル線の旅っていいな、と改めて思った。いかにも暑そうに見えたのだろう私に対して、「うまか水のあるけん」と言って、おばちゃんは冷たくておいしい水を飲ませてくれた。「他人への思いやり、気配り」。今、日本中から消えつつある、日本人が大切にしてきた心である。その「美しい心」というものは、こうしてどっこい生き続けていたのだ。政治家たちは、「美しい国」が何だのと言って、「日本人に愛国心を!」「教育の場で愛国心を育もう!」などと見た目は良さそうなことばかりを連呼しているが、「ナントカ還元水」と言ってごまかし、それをかばっているのは、どこの誰だろうか。そんなわけの分からない水より、ここの港で飲んだ水の方が、絶対おいしいに決まっている。

 政治家たちの言う「愛国心」というものは、多くの人が主張しているように、わざわざ他人から教え込まれるようなものではなく、自分から自然と湧き出てくるものだと思う。何かをきっかけに、「日本って、日本人ってこんなに素晴らしいんだ」と自ら思えれば、それで充分ではないか。少なくとも、「ナントカ還元水」などと言ってごまかしたり、それを「問題ない」とかばったりしている心の腐敗した政治家たちに、「愛国心」なんて語って欲しくない。どうやら、今の政治家たちには、「日本に生まれて良かった」と思えるような社会を作るという、法律以前の課題を見落としているようだ。

 私は、コップをすぐ隣の水溜めで洗って、元通りにふたをして、港を出発した。もと来た道を、千綿駅に向かって歩いた。時間がなくなってきたので、途中からは小走りで急いだ。

 海は、午後の太陽に照らされ、ますます美しく輝いた。

 何とか列車に間に合った。駅舎やホームでは、何人かの人が列車を待っていた。

 駅舎とホームの間にはベンチがあったのだが、そこに初老の男性がどっぷり座っていびきをかいて寝ていたのだ。海を見ていた女性が、その男性に「列車が来ますよ」と言って起こしていたが、まったく反応なし。海を挟んで、青い列車が来ているのが見えたので、私が「列車はもうそこまで来てるんですけどね」と言うと、女性は「本当にそうなのですが・・・」と困った表情で言った。列車はカーブを曲がって、千綿駅に入線した。その後、その男性がどうなったのか、私は知らない。

 16:56、長崎行きの列車が到着した。私は、大切な思い出を土産に、列車に乗り込んだ。

 車内は混雑していて、立ち席となった。陶器市の帰りと思われる外国人グループも乗っていたが、時間帯がもう夕方に差し掛かっていたので、学校帰りの高校生も乗っていた。少し行くと、先ほどの港のそばを通過した。機会があれば、もう一度行ってみたいと思う。

 大村駅で、多くの乗客が降りたので、ボックスが一つ空いた。私がそこに座って発車を待っていると、小さな子供を連れた家族が乗ってきた。私が「ここ、どうぞ」と言って席を譲ると、まだ小学1年生か幼稚園生くらいの兄妹が「ありがとうございます」とお礼を言ったのだ。何と礼儀正しい子供たちなのだろう!やはり、それはこの子達の保護者が、何かをしてもらったときは礼儀正しくするようきちんと育ててきた結果だと思う。この子供たちは、きっと素晴らしい大人になることだろう。

 2両目は案外空いていて、簡単に空席が見つかった。

 諫早駅から長崎本線に入った。喜々津駅に停車した時、駅の裏にあった工場が無くなっていることに気づいた。以前は、機械の音がホームまで聞こえてきていたが、今では破壊された鉄骨だけが残る更地になっていた。

 喜々津駅からは、旧線、つまり長与経由のルートを走る。右手には、再び海が広がった。太陽はもう西の空に傾き、車窓を夕焼けの色に変えていった。

「C予想外デス」へ

旅行記&特集へ

トップへ