@2度目のA寝台
2009年(平成21年)2月3日(火)
もちろん、この日も朝から授業があった。センター試験という一つの“ヤマ”を乗り越え、授業は完全に私大及び国公立2次試験モードに入っていた。私の学校では、各個人の志望校に合わせてクラス分けされていて、私は中堅国公立のグループに入っていた。 だが、この時点で私の志望校は、先述した私大4校のどれかに決めていた。私は今までいくつかの大学を訪れたことがあるが、一般に国公立の校舎は古く、キャンパス全体が暗かった。一部報道では、国の予算削減で将来的に多くの地方国立大が統廃合の憂き目に遭うとされている。また、国公立大はほとんどの場合、センター試験の結果に基づいて「君ならデータによるとこの大学はA判定だし、望みがあるんじゃないか?」「お前はここくらいしか行けないぞ」というアドバイスが、センター試験を分析した予備校や高校側からなされるため、“大学の序列化”が進んでいるのも事実である。 一方で、私立大学は授業料が高い分、それなりに設備やカリキュラム、その他の活動が充実している。多くの受験生が国公立大志望を掲げる中、受験生を確保するためにはやはりこうした設備面や活動面で差をつけなければ生き残れないという事情もあるのだろう。ただ、近年、各私大では、推薦入試を含め、センター利用型や選択科目重視型など、様々な試験タイプを設けており、それなりに様々なレベルや能力を持った個性的な人材が集まってきていると私は考えた。確かに学費は高いが、せっかくの4年間だ。きっと、プライスレスな経験ができるだろう……という想いから、私大を第一志望に据えたのである。 さて、私は午前中の授業だけ参加し、午後は家に帰って、旅立ちの支度をした。荷物が多いため、佐賀駅までは父に送ってもらい、駅弁を買った後、16:43発の「白いかもめ」に乗った。残念ながら立ち席となってしまったが、わずか15分ほどなので苦にはならなかった。逆に、座ってしまえばあの気持ちよい座席から立ちたくなくなってしまっただろう。 鳥栖駅で下車し、17:07発の「はやぶさ」を待つ。今晩の宿は、大奮発してA寝台個室の「シングルデラックス」。ちなみに、帰りはB寝台個室の「ソロ」だ。往復で4万5000円を超えてしまったが、実はこの数カ月前に、写真コンテストや某全国紙の報道写真で私の作品が選ばれ、賞金が相次いで手に入ったのだ。それがなければ、片道くらいしか寝台特急を使えなかっただろう。また、指定も佐賀駅の窓口で約1か月前に頼んだおかげで、無事取ることができた。刻々と入線時刻が迫ってくる。
17:06、「はやぶさ」が顔を出し、ゆっくりと鳥栖駅に入線した。「はやぶさ」に乗って東京へ行くのは、これで2回目である。「さくら」時代も含めれば、これで4回目だ。 私の部屋は、8号車5番。上りだと、奇数番の部屋でベッドが進行方向を向くため、きっぷを買う時に予め駅員さんに伝えておいた。やはり長時間乗るのだから、後ろ向きは何だか都合が悪い。 廃止前だけあって、乗る人は結構多い。博多からも小倉からもどんどん乗ってきた。そして、それらの駅には、1枚でも多くその雄姿をカメラに納めようと、多くのファンや地元の方が集まっていた。 今回乗って気づいたのは、アメニティグッズとして乗客にプレゼントされる「ヘッドマークタオル」の袋が変わっていたことだ。デザインはほとんど変化がなかったが、袋が大きくなり、密封できるようになっていた。もちろん、これは使わずにバッグの中へ。私にとっては貴重な貴重なコレクションである。 門司駅に着いた。前回はホームに降りて、連結の瞬間を外から眺めたが、今回は敢えて車内に残った。機関車の方へ行ったが、既にEF81形411号機の連結は終了していた。最後尾へと向かっているうちに動き出し、最後尾に着いたのは、ちょうど大分発の「富士」と連結しているところだった。前回も見たが、是非とももう一度見たかったので、これは残念だった。欲張って両方見ようとしたバチが当たったのだろう。下の写真は、連結が終了したところ。発車まで少し時間があったので、しばらく写真撮影を行った。
続いて、関門トンネルを抜けて下関駅に到着。ここでも機関車交換が行われる。先頭車付近で、本州区間の牽引を務めるEF66形を待つ。間もなく、ゆっくりと機関車が入ってきた。 そして、客車と連結した。無論、機関士から連結器は見えない。作業員が中継役を果たし、それをレシーバーや旗で伝える。見えないものを、経験をもとに上手く連結する。完璧になるまでは、相当の訓練が必要だろう。もはや、神業と呼べるかもしれない。だが、この神業も、寝台特急「はやぶさ・富士」の廃止によって、この駅からも見られなくなる。残りは、JR貨物の車両基地か、大阪以東の寝台特急が走る区間だ。しかし、その多くは乗客の目に触れない。鉄道の魅力に接する機会が、乗客の目の前からどんどん減ることは残念でならない。 車内へ戻る前に、今も残る回転幕式の時刻表示を撮影した。デジタル化の中で、よく生き残っていたなぁと感心した。こうした発見も鉄道の魅力だと思うが、将来的にはLED表示に置き換えられてしまうのだろう。 下関を発車してから、早速佐賀駅で買った駅弁を広げた。本当は、九州の駅弁人気ランキングで3位に入った「佐賀みつせ鶏とりトロ弁当」を食したかったが、その人気のせいか、平日なのに売り切れだった。やむを得ず幕の内弁当になったが、おいしく頂けた。やはり、汽車旅は駅弁や車内販売のものに限る。 列車は夜の山陽本線を東へ東へと突き進む。個室の電灯を消して、車窓を楽しむ。煌びやかな光の流れ行く車窓は、本当に美しい。この景色も、島根県以西の日本では見られなくなってしまう。2009年(平成21年)2月4日(水)
日付が変わった。列車は、深夜の岡山駅に到着し、数人の乗客を乗せた後、再び走りだした。しばらく走ると、なぜか減速を始め、駅でもないところに停車した。15分ほど停まった後、のろのろと動きだし、どこかの駅に停まった。駅名表示板を見れば、「上郡」。次の運転停車駅である姫路まではまだまだ先だ。隣の線路には、221系が停まっていた。よく見ると、ホームや221系の車内には作業員がいて、車内にいた作業員と私の目が偶然合い、お互いぎょっとなった。結局、上郡駅には30分も停車して発車した。翌朝の東京到着が遅れることは確実になった。人身事故であれば、2、3時間の運転見合わせになるのだが、それにしては時間が短すぎる。一体何だったのだろうか。 翌朝、6時前に目が覚めた。外はまだ薄暗かったが、予定通り「おはよう放送」が始まった。まず、列車の遅れが報じられ、現在40分以上遅れている、列車が遅れて申し訳ないという趣旨の放送が行われた。その原因は「前を走っていた列車が上郡駅付近でシカを撥ねた」ためという。原因がシカだけに大変驚いた。だが、“だからわずか30分程度の運転見合わせだったのか……。これが同じ生き物でも、人間とシカの命の重みの差というものだろうか”とも思った。シカとぶつかっても2時間ぐらい列車を止めるべきと言っているのではない。ただ、シカが怒りや悲しみを言葉で表すことができるなら、やはり同じ地球の生き物として人間との差に矛盾を口に出すのではないか……と少し思ったのである。原因は、もしかすると棲み家の山が人間によって“必要以上に”開発され、仕方なく食料を求め、人里に下りて線路上に現れ、列車に撥ねられたのかもしれない。そうであれば、人間は罪なきシカにとって許しがたいことをしたわけである。シカのその後までは放送されなかったが、JRの作業員によって丁重に弔われたことを願いたい。それが何より同じ地球に生きる者として、また、やむを得ず撥ねてしまった側として、一応の心遣いになると思う。シカに合掌。 6:30頃になると、だいぶ明るくなってきた。「おはよう放送」が行われて少しした後、名古屋から乗務を開始した車内販売員による案内放送が実施された。静岡県に入って間もなく、浜名湖を通過した。
しばらくすると、太陽の光が部屋の中に差し込んできた。車窓を流れる夜景も良いが、夜通し乗った者を迎えてくれる日の出も、夜行列車の醍醐味である。 7時過ぎ、車内販売が回ってきた。サンドウィッチもあったが、せっかくなので、1050円の「幕の内弁当 日本の味博覧」とお茶を買った。弁当のパッケージを読んでみると、「健康弁当宣言」とあり、野菜がたくさん入っているようだ。しかも、監修は東京の有名な料理長らしく、なかなか期待できそうだ。 実際に食べてみた。野菜ばっかりなので、“ん〜”と見た目で思った。野菜が嫌いなわけではないが、弁当の大部分を野菜が占めているとなると、最後あたりは味にちょっと飽きるんじゃないかな……と思ったのである。だが、実際に食べてみると、決してそんなことはなく、野菜なのに全部食べやすいのだ。味付けも良く、ちゃんと染み込んでいた。「健康弁当宣言」を掲げているだけあって、その言葉は決して裏切らない弁当だった。朝から美味しいものを食べることができ、なかなか良い1日のスタートだった。 だが、外は雲の多い天気。静岡を過ぎれば見えてくるはずの富士山もどこにあるのか見当もつかないくらい曇っていた。前回はきれいな富士山を見られたが、今回は難しそうだ。