C疲れてるけど、最後だし……
2009年(平成21年)2月7日(土)
いよいよ東京滞在も今日が最後。西神田で試験を受けた後、そのまま「はやぶさ」で帰ることになっている。いつも通り6:30に起き、昨日、大崎駅前のスーパーで買った弁当を食べて準備した。そして、8:50に部屋を出た。チェックアウトする時、フロントの男性から「ゆっくりできましたか」と尋ねられた。私が、「ええ。温泉も良かったです」と言うと、男性は「ありがとうございます。お気をつけて」と深々と頭を下げた。確かに、都心からそう離れていないところで温泉に入れるのは、良いサービスだと思う。 日暮里駅から山手線に乗り、秋葉原駅で電車を降り、中央・総武緩行線の新宿・中野方面行きホームへ。少し時間があったので、売店で昼食用のサンドウィッチだけを買った。試験を受ける時、昼飯は少なめが良いと思う。なぜなら、後で眠くなるからだ。試験会場は、シーンとしている上に、2月頃であれば、暖房が入ってポカポカしている。眠くなる要素がたくさんあるのだ。だから、私はサンドウィッチ1袋だけを買ったのである。 やって来た電車は、運悪く満員。少しでも人の少ないドアを見つけ、そこから乗った。7分ほどの乗車で飯田橋駅に到着。ここから東西線で1駅乗って九段下駅に向かうのだが……「なぁぁぁにぃ!やっちまったな!!」と言わんばかりの重大かつイーズィーミスをやらかしてしまった。何と、逆方向の高田馬場・中野方面行きの電車に乗ってしまったのである。乗ってすぐに気付き、次の神楽坂駅で降りた。ついでにチャージして、今度こそ正しい「大手町・西船橋行き」の電車に乗り、予定より15分ほど遅れて九段下駅に到着した。時間に余裕を持たせていたため、大事には至らなかったが、緊張なのか、普段の慌て癖がこんなところで出てきてしまったのか、本当に恥ずかしいミスである。 ここから会場までの経路は、下見をした時に確認したので大丈夫だ。会場は、某大企業関連の大きなビルの2階で、試験会場には似つかわしくないほど豪華な内装だった。通路でも試験会場でも、床は絨毯が敷き詰められ、天井は式典が開けそうなくらい高かった。無論、私が受験した会場では、福岡で受けた分を含めても一番豪華でおしゃれだった。そんなところへ大きな荷物を持った人が現れたのだから、中には「何者だ?」と思った人もいただろう。この時思いついたが、荷物を九段下駅のロッカーに預けてくれば良かった……。 試験は予定通り開始された。ちなみに、私がこの大学を受けるのは2回目で、旅行直前の2月2日にも福岡市で別の試験方式を受験した。冒頭で申し上げたように、最近の私立大学は、受験生を悩ませるほど、様々な試験方式を用意している。さらに、この大学では、受験生にベストの力を出してもらおうと、世界史や地理といった選択科目に限り、試験の途中で科目の変更を認めている。つまり、問題を見てから(時間があれば解いてみてから)、試験科目を変えて良いのである。実際、2月2日の試験で、私は、普段解く世界史があまりにも難しかったため、代わりに現代社会を解いた。これが当たりで、当初試験科目として想定していなかった現代社会の方がむしろ解けたのである。ちなみに、この試験の世界史問題を、高校に持って行って担当の先生に見せたところ、「これは近年稀にみる難問だ……」と目を丸くして仰った。世界史の先生をうならせるほど難しい問題を出すとは一体……。 だから、もしこのような試験ルールを持つ大学を受験される方は、ある教科を一通りざっと解いてみて、「あ、何かやばい」と思ったら、時間に余裕があることを確認した上で、勇気を持ってもう一つ別の科目を解いてみることをお勧めしたい。ある問題につまづいて、悩みまくって時間を浪費するより断然マシだと思う。 英語、国語、選択科目という順番で試験が行われた。選択科目では世界史を選んだが、今回は2日の試験に比べると大分解くことができた。むしろ、余った時間で解いた現代社会の方が難しかった。全体としては、そこそこできたかなぁ……という感じだった。ただ、大学公式サイトで事前に確認した「志願者速報」で、運悪く私の受けた学部だけ去年に比べて志願者が増えていた。“私の「そこそこ」は、全受験者の「そこそこ」に比べると、不合格なのかも……”と不安な気持ちのまま、試験会場をあとにした。 試験会場となったビルの前では、またビラ配りの人たちがいた。“また”と書いたのは、福岡の会場でも、そして昨日、一昨日の試験会場近辺でも、アパート物件を中心とした内容のパンフレットが配られていたからだ。しかも、よく見れば以前もらったものと同じ会社で、私の荷物の中にも既に2冊ほど入っていた。これ以上荷物を重たくするのは嫌だったので、拒否したが、そのビラ配りは「人助けだと思って受け取ってくださいよ〜」としつこく食い下がって来た。数十メートルほど行って、ようやく振り切った。 おそらく、アルバイトを雇ってこんなビラ配りをやっているのだと思うが、紙資源の無駄ではないのか?実際、たいていの大学には、関係組織として生活協同組合(生協)やそれに似た団体があり、そこでアパートの斡旋をやっているケースも多い。合格すると大学から送られてくる書類にもその案内が入っている。やはり大学内に拠点を置く生協だけあって、学生の声が反映されている場合もあるし、何より信頼できるのだ。 もちろん、選択肢が広がるので、人によってはビラ配りの冊子を歓迎するかもしれないが、私にとっては、荷物を増やすだけだし、環境にも悪い。受け取りを拒否するのも良い気分ではないし、先ほどのようにしつこく食い下がってくると、試験を受けた後だけに嫌な気分が倍増してしまう。なので、個人的意見だが、どちらかと言えばやめてもらいたい。 さて、九段下駅から東西線に乗り、大手町駅で下車した。丸ノ内線を使って東京駅まで乗ることも考えたが、大手町駅と東京駅は目と鼻の先であり、時間があるので徒歩で東京駅に向かうことにした。地下通路をうろちょろして、ようやく地上の出口を見つけた。すると、すぐ目の前に赤れんがの丸の内駅舎が!しかも、その上には丸い月が出ていた。大手町駅から歩いて正解だった。 いよいよ改札に入り、10番ホームへ。昨日と同じで既に客車は到着していたが、機関車はまだ回送中で、上野寄りに引き上げていた。なので、この後機関車が通過する9番乗り場側でスタンバイ。間もなく、機関車がゆっくり入って来た。最初だけ写真を撮り、後はデジカメの動画で録画した。ただ、手持ち撮影だったので、写真はぶれてしまった。 土曜日の夕方ということもあり、ホームは昨日より多くの人で賑わっていた。幸い、私が撮影している間は一部の不届き者が暴れたり、奇声を上げたりするようなことはなく、終始平穏だった。これには、警備要員を多数配置していたこともあるだろう。 3日連続の試験で、私は疲れていたが、東京駅で「はやぶさ・富士」を撮影できるのはこれが最後なので、頑張って撮影することにした。私は、乗車開始までの間、様々な角度からその様子を撮影した。なぜなら、この列車が好きだから、そして、このような素晴らしい列車、旅が、かつて日本にも存在していたこと後世に伝えたいと考えたからである。 17:40を過ぎた頃、乗車が開始された。今晩の宿は、B寝台1人用個室「ソロ」。部屋は、3号車15番。1階室である。2階は、「さくら」時代に利用したことがあるので、今回は1階室を選択した(写真は、発車後撮影したもの)。 部屋に荷物を置き、発車まで撮影しようと個室から出ようとしたら、中年の男性が部屋の前に立っていて、「あのー、ちょっと今、お時間よろしいでしょうか」と言った。そして、男性はこう続けた。 「私、週刊○○の記者をしております、△△という者でして、ちょっと今『はやぶさ・富士』の取材をしているところなんですけど、写真を撮らせてもらって良いですか?」 そう言いながら、名刺を懐から出して私に差し出した。まさかの言葉にびっくり。こんなところで取材を受けるとは……。まず、記者さんが写真を撮ることになったが、個室だけの写真ではなく、私がカメラを持って座っているところを撮りたいそうで、何枚かフラッシュを浴びることになった。急に緊張してきて、汗が噴き出してしまい、眼鏡がくもってしまった。その後、「どこまで乗るのですか」「今回はどのような目的でこちら(東京)まで来られたのですか」などといくつか取材された。5分ほどで一通り取材が終わった。残りは後日電話による取材を受けることになり、電話番号を交換して取材は一旦終了となった。私は、列車の撮影を予定していたが、こうなれば仕方ない。むしろ、こちらの方がある意味貴重な経験になったと思う。 後で調べてみると、この記者さんはウィキペディアに項目があるほど有名な方だということが分かった。ちなみに、「はやぶさ・富士」の特集を組んだその週刊誌は、1カ月ほどして実際に届き、そこには小さめながら私が写っていた。 そう言えば、まだ夕食の弁当を買っていなかった。発車までの残り時間10分弱というタイムリミットの中、急いで連絡通路にある最寄りの駅弁屋で弁当を調達し、さらにホームのコンビニで飲み物その他を買い込んで、発車3分前に車内へ戻った。 ホームの喧騒とは違って、壁一つ隔てた個室内は、とても静かだった。ホームでは、大勢の人があっちへ行ったりこっちへ行ったり。空いている個室を車外から撮影している人もいた。18:03、列車は大勢の人に見送られながら、定刻に動き出した。