B大畑探検

「佐賀発大畑行き」。このような物好き以外は絶対買わないようなきっぷを買ったのは、おそらく私だけではないだろうか。

 まもなく建てられて100年になる木造の駅舎内は、ひんやりとしていた。壁には、この駅を訪れた人々の名刺やきっぷがいっぱいに貼り付けられていた。中には、「終戦時に大畑駅の水に助けてもらった」という手書きの貼り紙もあった。戦前、戦中、戦後、そしてSLが消え、ディーゼルに変わり、平成に入ると観光路線として脚光を浴びることになった肥薩線と、ともに激動の歴史を歩んできた大畑駅。名刺の数を見る限り、大畑駅は多くの人々の心に思い出の駅として刻まれたのだろう。

 ホームに出てみた。夏の日差しがまぶしい。レールに触ってみると、じわ〜という熱が伝わってきた。

 続いて、湧き水のところに向かった。立て札によれば、残念ながら飲めないらしい。しかし、手を入れてみるととても冷たく、手や顔を洗う分にはちょうど良さそうだった。

 その先はスイッチバックの終点になるのだが、少し先があるようだったので、足を踏み入れてみた。普段は2両で運転されている列車がここに入ってくることはまずなく、レールは廃線跡のように錆びていた。

 ホームから、100〜200mほど先に終点があった。かつては肥薩線にも貨物列車が走っていたそうなので、このくらいの長さを用意しなければ対応できなかったのだろう。

 しばらく駅舎の中で休んだ。

 駅には郵便ポストが設置されていた。驚くべきことに、平日も休日も必ず郵便物の収集に来ることになっているようだ。一体、この山奥で手紙を出す人はどれくらいいるのだろうか。

 駅舎や給水塔の撮影をして、線路を渡り、肥薩線の工事に従事して亡くなった人を祀る慰霊碑のところに向かった。

 慰霊碑までの道は整備されていなかったが、その周辺にはなぜかベンチらしい石と木でできたものがあった。しかし、朽ち果てていたが。慰霊碑のそばには、蒸気機関車の動輪も展示されていた。

 慰霊碑は、ループ線のすぐそばにあり、撮影にはなかなか良さそうなところだった。

 大畑を出発する前に、ここで撮影して駅に戻ろうと考えたが、先述したように駅に戻るには踏切のないところを渡る必要がある。もし、列車の運行に支障を与えてしまっては大変だ。ということで、私は大畑ループを俯瞰撮影できる有名ポイントを探しに出かけた。

 駅前のちょっとした空き地に軽自動車が止まっていて、中年の男女が歩いていた。私は会釈をして彼らのそばを通った。やはり、ここに来る人は、列車ではなく、マイカーの方が多いようである。駅前の道をまっすぐ行き、薄暗い木のトンネルを抜けると、左手に民家らしき建物があった。しかし、民家を過ぎると再び細い一本道だけになった。

 道端からは、虫の鳴き声が聞こえてきた。しばらく行くと、二車線の道路に出た。軽トラックが一台通った。そこから右折し、さらに坂を上った。この辺かな?と思って、わき道にそれたりジャンプしたりして探したが、樹木にさえぎられて、レール1本見えなかった。仕方なく、駅に戻ることにした。

 先ほどの小道の途中にゴミ集積場があった。その脇からは、何やら荒れ果てた道が続いていたが、蛇が出てきそうなので、それ以上は踏み入らなかった。ただ、位置的には撮影ポイントに近いところで、ここだったのかもしれない。しかし、やはり雑木で大畑駅付近は見えなかった。そう言えば、大畑ループの俯瞰写真は、秋や冬の写真が多かった。どうやら、夏場の撮影には向いていないようだ。

 駅に戻ると、また自動車がやって来た。今度は親子連れらしい。その中のお父さんらしき男性から、「次(の列車)は何時ごろですか?」と尋ねられた。次の列車は、私が乗る「しんぺい」なので、「あと1時間後ですけど……」と答えると、「1時間後だってぇ」「すぐ来ると思っていたんだけどなぁ」と家族でわいわい言い合っていた。いつの間にか、その家族は帰っていた。

 列車が来るまでまだ時間がある。その間、私はホームの湧き水に手を浸し、暑さを凌いだ。それにしても、とても冷たい水だった。昔は、機関士が煤で汚れた顔を洗っていたという。

 

「C集中豪雨の帰路」へ

旅行記&特集へ

トップへ