C参りまーす。面接、どうぞ

2007年(平成19年)7月1日、その日は私にとって大変重要な日になった。

 そして、「本日は、高校生部門、熟年部門、一般部門の方が来られておりますが、もし、もしですよ、ここで予選を通過されますと、高校生部門の方と一般部門の方は収録日が決まっておりまして、高校生は8月2日、熟年部門の方は9月○日(よく覚えていない……)となっております。なお、一般部門の方は、予選に通過されますと、1年以内に連絡があれば、本選出場となります。ちなみに、収録日は児玉さんのお仕事の関係で、毎週木曜日となっております」などと収録日や今後の流れについての説明が行われた。そして、横にいた背の高い若いスタッフ(後でディレクターさんにいじられていたので、おそらく直属の部下か?)が、「高校生は、最近参加者が少ないですので、もし予選に通過されますと、本選出場の確率がかなり高くなります」と付け加えていた。すると、私が「と言うことは、最近の高校生は、常識がないってことですか?」と質問すると、ディレクターさんは「ま、まぁそういうことですね」と、高校生部門出場者の実情を認めた。すると、初老の男性が「そうですよ。最近の高校生は受験勉強ばっかりしているから、常識がないんですよ」と言った。私は、全くその通りであるだけに、何も言えなかった。

 私は、アンケート用紙に、持っている限りの資格、特技、担当者の目を引きそうな趣味項目(新聞投稿……)など、あらゆることを書き込んだ。「得意分野・苦手分野」という欄があったが、これは実際に本選出場になったとき、放送作家さんがそれを配慮して出題してくれるのだという。ディレクターさん曰く「せっかく出場していただいたのに、何も解答できないのではかわいそうですから」。そこまで配慮してくれるとは……。ディレクターさんは、「番組の最後にある挑戦権クイズの直前に、児玉さんが挑戦権獲得者と話す場面がありますが、児玉さんはこのアンケートの特技欄などを見て質問していますので、しっかり書いてください。ちなみに、児玉さんとの会話場面は、実際にはもっと長いです。番組の長さの関係でカットされてしまうんですけどね」と言った。数分後、ディレクターさんが「そろそろよろしいでしょうか」と言うと、アンケート用紙が回収された。

 そして、部門別に問題用紙が配られた。そして、ディレクターさんが「問題は30問で、制限時間は8分です」と簡単な説明をして、「それではどうぞ!」という掛け声とともに始まった。1問1答形式で、選択問題や記号問題はなかった。以下で問題文を覚えている限り紹介したい(○は覚えていない)。

・人の話を聞き流すことを、「馬」という漢字を使った四字熟語で何と書きますか?――A.馬耳東風。これは簡単だった。

・ナポレオンが生まれた地中海の島はどこでしょう?――え?地中海……?シ、シチリア島?

・ドイツ語で「木」を意味する、小麦粉やバター、砂糖を混ぜたお菓子は何でしょう?――A.バウムクーヘン。これも何とかクリア。

・「万物の根源は数である」と唱えた古代ギリシャの哲学者は誰でしょう?――古代ギリシャの哲学者?アリストテレスくらいしか知らない。

・「誰がために鐘は鳴る」「老人と海」などで知られるアメリカの作家は誰でしょう?――アメリカの作家?レ、レイチェル・カーソン……?

・社会党委員長で、1947年に連立内閣の首相になった政治家は誰でしょう?――え、分かんない……。鳩山一郎?浅沼稲次郎?

 ディレクターさんが「あと4分です」と告げた。

・まもなく発売される「ドラゴンクエスト○」のサブタイトルは何でしょう?――わ、分からん……。

・中学校の入試問題によく出題され、「きよしこ」などを書いた作家は誰でしょう?――そう言えば、新聞記事で似たような一文を見たな……。「きよしこ」……重松清!A.重松清。

・飛行機を造る材料で、アルミニウムに銅やマグネシウムなどを混ぜた金属は何でしょう?――ん〜……。そう言えば、東京駅丸の内駅舎の屋根には、ゼロ戦を造る予定だったが、太平洋戦争終結で用途がなくなったジュラルミンが転用されたという話を聞いたことがあったな……というエピソードを思い出し、A.ジュラルミンと答えた。

・女性グループ「ギャルル」のメンバーで、大食いで知られるタレントの名前は何でしょう?――え……、ギャルルは聞いたことがあるけれど。分からん。

 すると、最後のあたりで何と鉄道関係の問題が2問出された。

・リニア新幹線の実験場は、何県にあるでしょう?――「山梨リニア実験線」だから、A.山梨県。

 そして、こんな問題も。

・春・夏・冬に発売されるJRのきっぷ「青春18きっぷ」の値段はいくらでしょう?――私が、これで間違えては恥である。A.1万1500円。

 この他にも楽器の名前を答える問題など、結構難しい問題が多く、1回ざっと解いて書けたのは半分よりちょっと多い20問くらい。そして、自身があるのはわずかに10問。こりゃあ、予選突破なんて無理だろう。それでも、勘やわずかな記憶を辿って、最終的に25問くらい埋めた。

 「はい、終了です。それでは、問題を回収して下さい」とディレクターさんが言って、問題用紙が回収された。そして、「それでは、ただ今より採点をいたしますので、15分ほどお待ちください」と言って、ディレクターさんら3人が部屋を出て行った。

 ちなみに、上の問題の答えであるが、直後に電子辞書で調べたり、隣の方と答えあわせをしたりしたところ、ナポレオンが生まれたのはシチリア島ではなく「コルシカ島」、古代ギリシャの哲学者はピタゴラス(この数日後、私は世界史で習った……)、アメリカの作家は「ヘミングウェー」、首相の名は「片山哲」、ドラゴンクエストは結局分からず、「ギャルル」のメンバーは「ギャル曽根」(このことを後日、クラスメートに話したら、常識問題だと言われた。情けない……)。隣の方は、福岡県の吉富という町から来られていて、高校3年生なのだと言った。

 15分後、ディレクターさんたちが戻ってきて、「それでは、筆記試験を見事突破し、面接試験に進むことになった方を発表します。ただ、残念ながらお名前を呼ばれなかった方は、また今度、となりますのでご了承ください。それでは発表します」と言った。

 私は、筆記予選落ちを覚悟していたので、既に筆箱や特製ボールペンをバッグの中に片付け、帰る気満々でいた。隣の方は、既にバッグを肩に掛けていた。

「では、行きます。7番◆◆さん、4番○○(私の名前)さん、……」。正直、エッ!!と思った。周りの人たちが「おめでとう」「すごいじゃん」と言ってくれたので、私は「ありがとうございます」と返した。筆記試験通過者が全て発表された。50人いた挑戦者は、私を入れてわずかに11人に。高校生部門に至っては、何と私1人だけだった。つまり、高校生部門は福岡・佐賀地区で1人だけ面接進出ということである。ディレクターさんが「それでは、先頭列左側のお席よりお詰め下さい。7番の◆◆さんと4番の○○さんから、アンケート用紙に貼ります顔写真を撮りますので、こちらに来てください」と指示した。部屋の隅で、7番の方と私は一緒にポラロイドカメラで撮影された。11人全員が撮り終わると、面接開始である。前後ろの2列に11人が座り、前列左側からすることになった。よりによって、私が最初に。

 ディレクターさんが「それでは、高校生の○○さんから面接を始めたいと思います」と言って、質問が始まった。簡単な自己紹介の後にアタック25に挑戦しようと思ったきっかけ、特技などごくごく普通の項目が質問された。この場では自分をいかにアピール(自慢)するかが鍵になると思ったので、ホームページをやってますとか新聞投稿で合計16回載りました、写真コンクールでは県知事賞や入選をいただきました……などと淡々と話していると、ディレクターさんが目を丸くして「お前すごいな!」と言った。突然の言葉に、こちらが驚いてしまった。「写真はどこで撮ったの?」と聞かれ、「入選の方は、広島市で撮影しました。胡町あたりの歩道橋からです」と言うと、ディレクターさんはかつて広島に住んでいたことを明かし、私の話に興味を持ってくれた。他にも私の通う高校について、「普通科□□コースってどんなコースなんですか?」(□□の内容をここで明かすと高校が特定されるため、非公表)と聞かれた。ただ、「私」「私」と丁寧な言葉を使っていたので、ディレクターさんが「私じゃかたいから、『おれっち』って言っても良いよ」とアドバイスしてくれた。しかし、それから『おれっち』を使うこともなく、「それでは、もし面接に合格されますと、7月17日までに電話がかかってきますので、その日までどきどきしながら待っていてください」ということで面接は終了した。面接は5分くらいだった。福岡県にお住まいの方ばかりで、佐賀県在住は私一人だった。中には、アタック25常連の方もいて、ディレクターさんと友達感覚で話していた。前列が全員終わると、「前列の方はこれにて終了です。お疲れ様でした」という指示が出て、私は帰ることになった。

 テレビ局入り口には、14:00からのアタック25予選に出場する方々が待っていた。女性の割合が多く、次の予選は一般出場者限定のようだった。建物を出ると、むわっという熱気が体を包んだ。天神駅に戻る道の途中で自宅に電話をかけ、「本当に予選を通過してしまったかもしれない」という旨を伝えた。「かもしれない」としたのは、7月17日までに電話がかかってこなかった場合は、「残念!また来年!」だからである。

 その後、7月17日までに朝日放送(大阪)から電話がかかってくることはなく、あとちょっとのところで本選出場できず、となった。やはり、面接で言葉や表情が硬すぎたからか……。でも、クイズ番組の予選に参加できただけでも良い経験になったし、参考になった。来年は3年生だが、できることならば、来年も応募して、今度こそ本選出場を果たそう。絶対に……。

「Dあれから3ヶ月が経ちました」へ

旅行記&特集へ

トップへ