B雪国へ

青春18きっぷで東京、新潟を経由し、京都へ戻る旅をしました。

2010年(平成22年)1月11日(月・成人の日)

 携帯電話の充電が切れそうだったので、洗面台わきにあるコンセントを使って充電した。盗難防止のため、高崎駅に着くまでずっと見張っていた。

 0:59、「ムーンライトえちご」は高崎駅に到着した。高崎駅では、14分も停車する。金沢行きの急行「能登」を先行させるためだ。この「能登」も、先ほどの「北陸」同様、2010年(平成22年)3月のダイヤ改正で姿を消す。なので、私は記録に留めるべく、カメラを持ってホームに降り立った。

 「能登」の先頭車が停まる位置には、既に大勢の撮影者が集まっていた。1:03、489系急行「能登」が高崎駅に入線した。前に大きく突き出たボンネット。在来線車両の現役ボンネット車を見るのは、これが初めてだ。他の撮影者と交代しながら撮影した。人数があまり多くなかったためか、罵声が飛び交うことはなかった。

   「能登」の発車は、1:09。時間があったので、方向幕や横からの姿も撮影した。ただ、満席の「ムーンライトえちご」とは異なり、青春18きっぷが使えない急行「能登」の車内は閑散としていたのは残念だった。

 数分後、「能登」は多くの撮影者に見送られて高崎駅を発車した。私は、「ムーンライトえちご」の先頭車も撮影して車内に戻った。

   高崎駅を出ると、いよいよ車内は寝息といびきに包まれた。私は、なかなか眠れなかったので、窓の外を眺めながら過ごした。

   2時過ぎ、「ムーンライトえちご」はどこかの駅に着いた。駅名表示板を確認すると、水上駅。この駅では客扱いがないので、運転停車だろう。デッキに出て、ドアの窓から外を眺めてみた。川端康成は小説『雪国』の冒頭で「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった」と書いたが、南国育ちの私から見れば、もうトンネル手前にある水上の時点で“雪国”である。そう言えば、水上には、2年前の夏に訪れた。あの時はものすごく暑かったのを覚えている。冬の水上も訪れてみたいものだ。

 列車は間もなく水上駅を発車し、2:10に新清水トンネルに突入した。2:13、突然真っ暗だった車窓が明るくなった。下り線がトンネル内にある土合駅だった。この駅は、上り線が地上に、下り線が地下にある。ちなみに、2008年(平成20年)公開の映画「クライマーズ・ハイ」は、主人公の元新聞記者・悠木(堤真一)がこの駅で電車から降り、長い階段を地上へ向かって上っていくところから始まる。

 駅を通過すると、車窓は再び真っ暗になった。走ること7分、列車はようやく新清水トンネルを抜けた。ついに新潟県に入ったのである。私は、それからしばらく寝たが、長岡駅に着いた頃に目が覚めた。時刻を見れば、3:40。時刻表を確認すると、長岡駅には3:55まで停まるらしい。早速車外に出て、背伸びをしたり、飲み物を買ったりした。

 「ムーンライトえちご」は長岡駅を出た後、見附、東三条、加茂、新津とこまめに停車するようになった。ただ、降りる乗客はとても少なかった。4:42、車内の照明が通常に戻り、メロディとともに新潟駅到着を告げる車内放送が開始された。そして、4:51、列車は新潟駅に到着した。乗客たちは、列車を降りると四散し、快速村上行きに乗り換える人もいれば、改札口へ向かう人、各駅停車の長岡行きに乗り換える人もいた。私は長岡行きに乗り換えなければならないが、時間があるので途中下車することにした。

 始発前の新潟駅構内は閑散としていたが、駅の窓口には駅員さんが既にスタンバイしていたし、売店の前には新聞が積まれ、店内では開店準備が進んでいた。新潟駅は、確実に朝を迎えようとしていた。

 新潟駅南口に出てみた。案外積雪はなく、ロータリーの一角にまとめて捨てられているだけだった。下の写真は、新潟駅南口の様子。  

 今度は、駅の北側に回り、こちらの駅舎も撮影。やはり閑散としていたが、駅前のレストランが開いていて、意外と繁盛していた。

 始発の長岡行きは、5:18発。3番乗り場からの発車である。電車は115系1000番台だった。わずか2両編成しか連結されておらず、車内は「ムーンライトえちご」から乗り換えたと思しき乗客で混雑していた。始発列車なのに、立ち席多数。もちろん、私も立ち席となった。でも、おそらく接続路線が多い新津駅で降車する乗客も多いだろう……と思って我慢した。

 案の定、新津駅で大勢の乗客が下車し、座席にも空席ができた。私は、進行方向反対向きながら、4人掛けボックス席に座れた。長岡駅では、直江津行きの電車に乗り換えた。こちらも115系1000番台だったが、3両編成なので余裕で座れた。

 直江津行きは、6:41に長岡駅を発車した。発車してしばらく行くと、外が明るくなってきた。気づけば、車窓は一面真っ白。本当に雪国へやって来たのだった。

 6:53、電車は来迎寺(らいこうじ)駅に到着した。実は、間もなく来迎寺駅に新潟行きの583系「きたぐに」が到着する。なので、来迎寺駅で一旦電車を降りた。そして、「きたぐに」を撮影できそうな位置へ移動した。先の方を男性が歩いており、話しかけてみたらやはり「きたぐに」の撮影が目的という。

 7:04、遠くに3つ目のライトが見えた。「きたぐに」の到着である。「きたぐに」は、雪が厚く積もった駅に到着し、目の前に到着した。車体色は、関西でもよく見るグレー系だが、JR東日本の車体色に見慣れると、何だか新鮮に見えるから不思議だ。

 間もなく、「きたぐに」は来迎寺駅を発車し、ほんのりとピンク色に染まった朝やけの中へと走り去って行った。

 さて、次の直江津行きまでは少し時間があるので、途中下車してみた。残念ながら、駅事務室は準備中で、途中下車印を押してもらえなかった。駅前に出て駅舎を撮影した。駅前の交差点を見てみると、雪国特有の縦型だった。横型だと雪の重みで信号機が倒壊してしまうので、積もりにくい縦型にしたと中学生の頃に習った。ついでに、駅の自動販売機で温かい飲み物を購入し、改札内に入った。

   駅ホームでは、除雪作業が始まり、除雪機からは勢いよく雪がかき出されていた。これもまた、雪国ならではの風景である。

 7:16、直江津行きの115系各駅停車が入線した。車内は空いており、先頭車にはわずか5、6人しか乗っていなかった。

 しばらく行くと、車窓は再び真っ白になった。それでも、電車は定刻で走る。多くの人が眠っている間に、保線担当の方々が除雪をしてくれたからこそ、定刻で走れるのだろう。

 柏崎駅のあたりでは、雪はほとんど積もっていなかった。通学時間と重なり、車内には居眠りする高校生の姿も見られた。だが、今日は祝日。こんな時間に通学しているということは、補習か部活動だろう。私も、去年の今頃はセンター試験が迫り、ひぃひぃ言っていた記憶がある。

 しばらく行くと、進行方向右手には、日本海が広がった。波は高く、防波堤では白い水しぶきが立っていた。下の写真は、海に近い駅として知られる青海川駅に停車していた時に撮影したもの。新潟県中越沖地震では、青海川駅のそばにある斜面が崩壊し、ホームや線路がのみ込まれたこともある。

8:29、電車は終点の直江津駅に到着した。

C北陸路を行く

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