@日本脱出!
2008年(平成20年)2月21日(木)
木曜日と言えば、週の後半に入り、疲れがたまって学校に行きたくない日である。もし、次の土曜日が休みならば、少しは気が楽だが、補習や模試があるとこの上なく辛い。 しかし、これが修学旅行の初日となれば、話は変わってくる。2008年(平成20年)2月21日(木)。この日は、楽しみに待っていた豪州修学旅行への旅立ちの日なのだ。目的地は、オーストラリア・ニューサウスウェールズ(NSW)州の州都、シドニー市である。 当日朝。学校集合時間は、10:30。この時間までに来れば良いのではなく、この時間までにスーツケースを福岡空港まで運んでくれるトラックに積み込み、整列しておかなければならない。なので、私は9時過ぎに自宅を出た。学校までは、バスを乗り継いで行った。佐賀駅バスセンター内の某コンビニエンスストアでおにぎりを買った。お昼頃は、福岡発羽田行きの日航機に乗っているのだが、国内線なので機内食が出ない。なので、事前に食料を買い込む必要があった。店内には、私と同じく、スーツケースを引いた同級生が2人買い物をしていた。 乗り継いだバスでは、近くに座っていた年寄りたちが、「近所の○○さんの亡くなんさったてよ(近所の○○さんが亡くなったらしいよ)」「そがんね!?何日か前まであがん元気かったとに(そうなの?何日か前まであんなに元気だったのに)」などと話していた。この人たちが、私がこれから外国に行くなどとは知る由もないが、何か不吉なことの前兆のようで不気味であった。飛行機が落ちるとか、テロに遭うとか。学校に着いてもいないのに、少し不安になってきた。 学校に着いたのは、9:40。既に50人ほどの人が集まっていた。ひとまず、スーツケースはピロティの片側にまとめて寄せ、手荷物といっしょに列に並んだ。担任の先生から、登校の確認とともにパスポートの確認が行われた。10時過ぎくらいから、隅っこに寄せていたスーツケースのトラック積み込みが始まった。 10:20までには、修学旅行に参加する2年生の99%の集合が完了した。ぎりぎりになって、最後の1人が到着した。予定では、10:30から修学旅行結団式だったが、5分早まって10:25に始まった。今回同行する校長先生の話、担当する名鉄観光佐賀支店の添乗員さんの紹介などが終わった後、バスに乗り込んだ。バスは、祐徳観光バスだった。 予定より7分早い10:53にバスは学校を出発した。さすがにマイクをねだる人はおらず、それぞれワイワイ騒いでいた。都市高速を降りてすぐに福岡空港の滑走路が見えてきた。そして、バスは、70分ほどで福岡空港国内線ターミナルに到着した。 トラックからスーツケースを降ろし、添乗員さんの案内に従って並んだ。しばらく待機した後、羽田までの搭乗券が配られた。他の人のきっぷを見比べてみると、どうやら真ん中の座席らしい。残念。 その後、クラスごとにスーツケースを預け、手荷物だけを持って手荷物検査場へ。はさみを入れて引っかかるという去年のようなミスはしなかった。ただ、中にはベルトの金具が大きすぎて、外して通る羽目になった人もいた。そもそも、ベルトの金具で人を殺めることができるのだろうか・・・・・・。それにしても、やっぱり飛行機に乗るのは面倒なことが多い。 予定よりも早く出発ロビーに着けたので、30分ほど自由行動になった。ロビー内の店で軽食を買う人もいれば、「動く歩道」で遊ぶ人もいた。 14:00少し前、日本航空326便羽田行きへの搭乗が開始された。残念ながら、私の座席は、2―4―2列の右から4番目だった。機内は、私の学校の生徒でかなりの座席が埋め尽くされた。座席は、男子と女子で分けられており、この後に乗る飛行機も同様だった。飛行機は、予定通り14:25に搭乗口を離れ、滑走路まで来ると一気に加速して14:40頃、北向きに離陸した。飛行機は、一旦玄界灘に出た後、陸地に戻って一路、東へと向かった。機内では、早速寝ている人もいれば、モニター備え付けのゲームで遊んでいる人もいた。私は、と言うと、修学旅行後にある重要な行事で読まなければならない原稿を書いていた。 飛行機は、太平洋上を飛んだ。途中、機内放送で「富士山が見えます」と案内されたが、通路側ゆえに見ることができなかった。 15:45頃、飛行機は羽田空港(東京国際空港)に着陸した。降り際、客室乗務員から「佐賀県立○○○高校の生徒の皆様、・・・・・・これからの旅が楽しいものでありますよう、客室乗務員一同心より願っております」との放送があった。 スーツケースを受け取って、構内の一角に集合した。今度は貸切バスに乗り換え。バス会社は、東都観光バスだった。ところが、バスのトランクにスーツケースが入らず、やむを得ず座席に置くことになった。これにより、何人かは補助席に座ることになった。そう言えば、さっき集まったときに「何人かは補助席になるけど・・・・・・」と担任の先生が言っていたような気がする。バスは、17:00前に羽田空港を出発した。 私の予測が正しければ、このあとバスはお台場を通るはずである。このことを何人かに話したら、「フジテレビ(のビルを)撮る!」「レインボーブリッジは通るのかな!?」などと大騒ぎになった。初めて東京に来た人も多かったようだ。それゆえ、「東京で1泊して観光させてくれたらよかったのに」と嘆く人が続出。中には「オレ、もうオーストラリア行く気なくした」という人もいた。 バスは、首都高速に入った。 海底トンネルを抜け、お台場に入った。残念ながら、フジテレビの社屋は道路と近すぎて少ししか見えなかった。それにしても、東京はやっぱり九州とは雰囲気がぜんぜん違う。 途中、りんかい線と併走した。東雲駅には、JR東日本所属の埼京線205系が停まっていた。バスは千葉県に入った。今度は京葉線と併走。運の良いことに、バスは特急「ビューさざなみ」のE257系500番台とほぼ同じ速さで走った。後ろの座席からは、「あの電車かわいーい!!」との声も聞こえてきた。まぁかわいくないこともないが、最近、何かを見つけるとすぐに「かわいい」と言う人が多い。不思議である。しかし、ディズニーランドの近くを通る頃から特急が加速してだんだん引き離され、見えなくなった。高速道路からは、シンデレラ城も小さく見えた。 高速を降りて成田市内に入る頃には、もう真っ暗になっていた。この後、私たちは市内の「米屋観光センター」で夕食を取り、そのまま成田空港(新東京国際空港)に行って、21:25発の日航機でシドニーへ旅立つことになっている。 18:00前、米屋観光センターに到着。2階の広間には、既に料理が並べられていた。 学年主任の先生や添乗員の方から短く話があった後、合掌して「いただきます」。クラスの撮影班なので、私はクラスメートが食べているところも撮った。その後、ようやく席に着けた。男子は食べるのが速く、炊き込みご飯の釜はすぐに空になった。すると、食堂のおばちゃんたちがそれに気づいて、最初と同じ量の炊き込みご飯を持ってきた。しかし、それも最終的には全てなくなってしまった。また、なめこと豆腐の入った味噌汁は、東京なのになぜか白みそ。九州から来たということで、配慮してくれたのだろうか。でも、個人的には赤みそでも良かったのであるが。 19:00頃、バスは「米屋観光センター」を出発した。バスの車内で、パスポートときっぷ、それに飛行機の座席表が配られた。これは、きっぷの座席は、概ねクラス番号通りなのであるが、この場合、男子と女子が混在するので、男子の区域、女子の区域で分けた座席表通りに座るようになっているのだ。 成田空港に到着した。入る前、バスは検問所で一旦停車。バスの周りを係員と犬がうろうろして検査した。無事に検問を通過した。それにしても、結構厳しいなぁ。スーツケースをトランクから降ろす。これは男子の仕事だ。全員分降ろした後、添乗員さんに付いて行く。あたりにはゴロゴロゴロゴロという鈍い音が響いた。 細い通路を通ると、早速荷物検査場があった。難なく通過し、その先の窓口でスーツケースを預けた。身軽になってさらに進むと、添乗員さんがいて、ターミナルの隅に集合するよう指示された。そこで全員到着するのを待って、先に進んだ。いよいよ、出国の時が近づいてきた。まず最初に手荷物の検査が行われた。パスポートも見せた。そして、いよいよ出国審査場が見えてきた・・・・・・ところで、一緒に歩いていたクラスメートのN君がパスポートの紛失に気づいた。慌てて戻り、手荷物検査場の係員に探してもらったが、見つからない。N君の顔がみるみる内に元気を失っていくのが分かった。すると、出国審査場の方から、これまた同じクラスのW君がやって来て、「これ、間違えて持っていっちゃった」と、N君のパスポートを差し出した。私もN君も絶句。怒る気も失せたN君と一緒に、今度こそ出国審査場へ。ちなみに、私は首から提げた袋の中に隠すようにしてパスポートを入れていたので、旅行中、1度も紛失することはなかった。 出国審査場では、パスポートなどの関係書類を見せた。係員が私の顔とパスポートを見比べ、同一人物であるかどうかを確認し、はんこを押した。ゲートを抜け、出国に関係する手続きは全て終了した。パスポートは、その後担任の先生が全員分を回収した。