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J二大女王のご対面

管理人にとって初めての海外。行き先は、南半球のオーストラリア。

 集合時間まで、あと1時間以上あったので、免税品店へ向かうことにした。その前に、近くの店で1$の水を購入。乾燥しているので、どうしても喉が渇くのだ。

 目的地の免税品店は、「DFSギャラリア」。もっとも、私はお金があまり無かったので、買うつもりはなかった。シティレールと高速道路のガードをくぐってすぐのところにDFSギャラリアがあった。

 土産店街を歩いてみるのだが、何だか高そうなものばかり……。エスカレーターで最上階に行ってみた。こちらは安めのものが多かった。結局、1階に戻った。T君が、革製品店に並べてあった財布を見ながら、「これいくらか(店員に)聞いて」と私に言ってきた。というわけで、奥のカウンターにいたアジア系の女性店員に“Excuse me.How much is it?(すみません。それはいくらですか?)”と尋ねた。向こうの言っていることはあまり分からなかったが、何となく高そうだったので、T君も諦め、“Thank you.”と言って店を出た。

 集合場所である公園のそばのガード下で、集合時間まで待った。その間、私はコーラを買うために、さっき水を購入した店や、トイレに行ったりした。サーキュラキー駅構内の公衆トイレを利用したのだが、「小」用の便器は金属で、隣との仕切りがなかったのだ。それでも、現地の人にとっては当たり前のことなので、普通に利用していた。日本の方が意識しすぎているのだろうか。

 時間が経つにつれて、班別研修から帰ってくる人が増えてきた。集合の15分くらい前になると、先生集団もやって来て、「クラスごとに並んで」と指示を出していた。

 豪華客船を見ようと集まってきた人は増える一方で、岸壁では群集が押し合いへし合いしていた。一方で、公園の芝生では中年の男性2人がごろんと寝転がっていた。こんなに騒々しいところで寝られるとは……。

 17:40には全員の集合が完了し、レストランへと徒歩で移動した。5分ほど歩いて、ロックス地区にあるレストランに到着。レストランは、古い建物を改装したようだった。私のクラスは、一番奥へと案内されたが、運良く一番シドニー湾の望める部屋だった。ガイドさんによれば、この後、目の前で二大豪華客船、「クィーン・ヴィクトリア号」と「クィーン・エリザベスU世号」が顔を合わせるという。前者は今回が初航海、後者は今回で退役する、つまり、これが最初で最後の顔を合わせになるそうだ。まさに、歴史の1ページがこれから繰り広げられると、ガイドさんが自慢げに話していた。料理が来るまで時間があったが、その間に、「クィーン・ヴィクトリア号」は、汽笛を鳴らしながらゆっくりと出港。フェリーや岸壁からは、大勢の市民や観光客が離れ行く船を見送っていた。上空には、何機ものヘリコプターが飛び交っていた。警備や報道のヘリだろう。ガイドさんは「夕方のニュースのトップを飾るのは間違いないわね」と言っていた。こんな一大イベントを、私たち一行は特等席から眺められたのだ。日本の田舎都市に住む高校生にとっては、最初で最後のことだと思う。一体、名鉄観光佐賀支店は、どのような方法でこのレストランを押さえたのだろうか。そこが一番気になるところである。

 出港の間、どのクラスの人もさかんにシャッターを切っていた。私も、頭越しに撮りまくった。だが、ちょうど目の前に、にこやかに笑うおじさんの旗があり、女子の間からは「あのおっさん邪魔!!」との声があがっていた。

 別の小型船が、水か煙のようなものを巻いていた。ガイドさんに尋ねてみたところ、誘導用のものではないか、とのことだった。すると、オペラハウスの影から、「クィーン・エリザベスU世号」が顔を出した。

 岸壁の市民たちの興奮は最高潮に達し、ほとんどの人がカメラを構えて撮影していた。

   ついに、シドニー湾で二大豪華客船、いや、海の二大女王が対面した。この時間帯に、これほど良いところからこの歴史的瞬間を眺めた日本人は、おそらく私たち一行だけではないだろうか。

   ちょうど、カレースープが運ばれてきた。船を見飽きた人から先に料理に手をつけていた。コーラやレモンソーダもあったが、こちらは飲み放題で、ウエイターさんたちが無くなり次第さっと片付け、満杯のポットを持ってくるのであった。

   一方、「クィーン・エリザベスU世号」は、ほぼ直角に方向転換して港に入ってきた。

 

   船の甲板や展望スペースには、大勢の乗客が集まり、市民の歓迎を受けていた。豪華客船で世界を一周するのは、そうそうできることではないが、一生に一度はしてみたいものである。

 

   船が港に着岸した頃、メインディナーが運ばれてきた。おいしくなくはなかったが、サーモンの味がうすかった。

   全員がメインディナーを食べ終わった後、デザートが出てきた。このレストランで出された食べ物の中では、これが一番おいしかった。

   19:50頃、レストランを出た。外はもう薄暗くなっていた。バスに乗り込み、ホテルへと向かう。今夜の宿は、「メトロホテルシドニーセントラル(METRO HOTEL SYDNEY CENTRAL)」。地図で言えば、シティレールや長距離列車の発着するセントラル駅に近い。部屋番号の書かれた紙が回ってきた。それによると、私の部屋は412号室。ホストファミリーの班に従うので、2〜3人に1部屋だった。なので、同じ部屋にはF君も泊まる。

 暗くなった中心街では、これから飲みに行くのか、若者の姿が目立った。車内では、ガイドさんが、「水は使い過ぎないように」といったホテルでの注意や、明朝の動きについて説明した。だが、バスの後ろの方に乗っていた人たちが勝手におしゃべりをしていて、ざわついた雰囲気だった。たまたま同乗していた学年主任の先生が、それについてびっくりするほど大きな声で怒った。話を再開したガイドさんも、驚きすぎたのか、少し動揺したようだった。確かに、ホームステイや班別研修が終わって、クラス全体に安堵感が広がっていた。びっくりしたということは、私にも気の緩んでいた部分があったということだ。あとは帰るだけなのだが、また出国検査や重要書類の提出があり、往路と同等の注意が求められる。

 ホテルに到着し、荷物をトランクから降ろした。一旦、ロビーに集まり、部屋のカードキーが配られた。女子から先にエレベーターに搭乗したが、3台のエレベーターのうち、1台は一般客用なので、2台がフル稼働で運んだ。結局、私は一番最後のエレベーターに乗ることになった。エレベーターは、客室のカードキーを差し込まないと動かない仕組みになっていたが、誰かが差し込んでくれたらしく、行きたい階のボタンを押すだけで良かった。

 部屋に着いた。そう広くはなかったが、ベッドやテレビ、洗面所、風呂はもちろんあった。

   時計を見れば、20:30。カーテンを開けると、すぐ下はバスも通る比較的賑やかな通りで、多くの人が歩いていた。オーストラリア人は、早めに寝る人が多いそうだが、都市部ではそうとは限らないようだ。

 デジカメの電池が切れそうだったので、充電することにした。オーストラリアのコンセントは、日本と違うので、変換器を差し込み、そして充電器を繋いだ。シャワーを浴びた後、窓の外を眺めた。空を見ると、街明かりに照らされた雲がゆっくりと動いていた。昨日今日が晴れた分、明日は、曇りか雨になるのだろう。

 22時近くになると、人通りもだいぶ減ってきて、街がだんだんと静寂に包まれていくのが分かった。

 

 だが、テレビでは野球……いや、クリケットの試合を放送していて、こちらは街の静けさとは対照的に大歓声だった。だが、クリケットは野球に比べるとテンポが遅いような気がして、あまり面白そうには見えなかった。

 明朝は、朝食も食べずに出発するので、5:30には起きなければならない。私のクラスは、6:30から1階へ移動を開始するが、人数が多いので、余裕を持った行動が必要になる。寝る前に、チップを置こうと財布を取り出した。旅行会社の人から1$ずつ置いておくように言われていたからだ。だが、あいにく1$硬貨を持っておらず、F君に5$札を両替してもらった。その両替してもらった硬貨の中に、「APEC」の文字が入った1$硬貨があった。よく見れば、他の1$硬貨とはデザインが違う。APECと言えば、ニュースでもよく聞く「アジア太平洋世界協力(会議)」のことだが、もしかすると、この硬貨は記念硬貨なのかもしれない。そう思って、これは使わないことにした。そして、ジョークのつもりで、10¢をプラスして、小さな棚の上に置いた。

 修学旅行最後の夜。もっと夜景を眺めたいところだが、寝坊するのは嫌なので、23時には就寝した。

KSee you,Sydney.

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