KSee you,Sydney.

管理人にとって初めての海外。行き先は、南半球のオーストラリア。

 翌朝。予定より15分遅い5:45頃に起床した。起きて少しすると、館内電話が鳴ったが、すぐに切れてしまった。歯を磨き、制服に着替えた。外は、空が少し明るくなってきたところで、人通りもまばらだった。だが、上半身裸で棒を振り回しながら歩く、明らかに酔っ払いと思われる男が歩道を歩いていた。

 6時過ぎ、再び館内電話が鳴った。担任の先生からで、ちゃんと起きたかどうかの確認だった。忘れ物がないかもう一度荷物を点検し、6:30頃に部屋を出た。ちょうど近隣の部屋のクラスメートが出てきているところだったが、エレベーターは1回で大丈夫だった。一旦、ロビーでバスが来るまでしばらく待機。シドニーは、駐車違反に厳しいらしく、長く停めていると罰金が課せられるそうだ。外はだいぶ明るくなり、車の量も増えてきた。

 7時前にバスが到着した。乗る際に、朝食となるおにぎりとから揚げの入った弁当が渡された。だが、バス車内での飲食が禁止されているので、空港で食べることになった。全員が乗り込んだのを確認し、7:01に出発した。ガイドさんによれば、ここから空港までは2、30分ほどだという。途中、鉄道の高架線に沿って走った。レンガ造りで、日本のコンクリート橋とは趣が違っていた。空はどんより曇り、バスの車内だからなのか、何となく寒かった。

 7:20頃、シドニー国際空港に到着した。バスから荷物を降ろし、コンコースへ。スーツケースを1箇所に並べ、一旦集合となった。この間、搭乗券が配布され、スーツケースには紛失時に照合するためのシールが貼られた。

 点呼を済ませ、スーツケースをカウンターで預けた。そして、手荷物だけを持って、検査場へ。検査場の入り口でガイドさんとはお別れになった。ガイドさんは、1人1人に握手をしながら、「また来てね」などと言っていた。実質わずか3日間だったが、このガイドさんのおかげで、シドニーについて色々と知ることができたと思う。

 荷物検査、出国審査も順調に済ませ、8:10頃、59番搭乗口まで来た。成田行きのJAL772便は、10:30にここから出るのだ。既に飛行機は到着していた。時間から考えて、おそらく行きに乗った飛行機の折り返し便だろう。全員が集合したところで、旅行会社の人から、「皆さんのおかげで、予定より早く着きました。時間がありますので、お弁当を食べた方からお土産などを購入されても構いません」との案内があった。少なくとも1時間半は買い物ができるようだ。往路でパスポートを一時紛失したN君とベンチに腰掛け、おにぎりをほおばった。食べ終わると、土産店に入ったり、飛行機の写真を撮ったりした。この時初めて知ったが、飛行機は2階建てだった。

   搭乗口のすぐそばに土産店があった。日本人の方も働いていて、利用できる通貨は、$はもちろん、日本円も、さらには両方を併用することもできるようだ。私はこの店で、ナッツ入りのチーズ(4.5$)やオーストラリア土産として有名な「ティムタム」(2.6$)と呼ばれるチョコレート菓子を買った。売られていたカンガルーのジャーキーは、昨日ココスで買ったものと同じ商品ながら、こちらの方が高かったものの、ホストマザーが言ったように、安い商品が結構あった。ところが、よく裏を見れば、チーズはオーストラリア産だったが、ティムタムには漢字がびっしり。中国・上海の会社が製造したようだ。北半球で製造されたものが、南半球で売られ、また北半球に戻る。意味不明である。だが、財布の中身を考えると、これくらいしか買えるものがなかった。また、チーズには、悪くならないように氷パックが同封された。

 他の人は何を買っていたのか、と言うと、やはり菓子が多かったのだが、中にはあのベジマイトの小瓶を買う人もいた。帰ってから本当に食べたのだろうか。

 9:30過ぎに一旦集合となったが、飛行機の整備が遅れているらしく、再び解散となった。だが、大半の人が買い物を済ませ、飽き飽きしていたので、トイレに行く人以外は、あまり立つ人がいなかった。

 本来は出発しているはずの10:30頃になって、ようやく搭乗が開始された。団体客が先に搭乗することになった。放送によれば、満席なのだという。ゲートで搭乗券を機械に通し、飛行機へ。いよいよオーストラリアを離れる時が来た。ちょうど新聞の配布サービスが行われていて、私は朝日新聞(東京版)を受け取った。サッカー東アジア予選日本対韓国の結果のほか、この後上空を通過するサイパン島で逮捕された三浦元社長の記事がトップで載っていた。座席配置は、往路と同じく3―4―3列。残念ながら、座席は左から4列目のど真ん中になった。

 10:57、日本時間8:57、飛行機は定刻より30分ほど遅れて動き始めた。そして、滑走路に入り、11:13(日本時間9:13)、轟音とともに、オーストラリアの地を離れた。ど真ん中なので、外はあまり見えなかったが、一瞬、小さくなるシドニーの街が見えた。しばらくすると、ベルト着用サインが消え、デジカメの使用が解禁された。

   客室乗務員の紹介が始まった。行きと同じで、日本人以外にも中国やタイの人も乗務しており、最後には合掌した人もいた。

 腕時計を日本時間に戻した。戻すことには、抵抗を感じた。もう少し滞在したかったという気持ちがあったからだ。だが、一方でこれで日本に帰れるという安心感もあった。なお、以後の時間は、日本時間で表示したい。

 飛行機は、どんどんシドニーから離れ、日本に向かって一直線に飛んだ。

   私が新聞を読んでいると、近くにいたサッカー部の人から、新聞を読ませて欲しいと言われたので、渡した。サッカーの結果が引き分けだったので、残念そうな表情をしていた。しばらくして、ジュースとおつまみのサービスがやって来た。さらにその1時間後には、早くも「お食事でございまーす」。ポークセットとチキンセットがあったが、カレーの入ったポークセットの方が人気で、私がそれを頼んだときには売り切れだった。なので、チキンセットになった。朝食が少なかった分、こちらは順調に腹の中に納まった。

   機長さんから「間もなく当機は、グレートバリアリーフのそばを通過いたします」との放送があった。なので、テレビ画面を飛行機からの映像に切り替えた。だが、直下しか見えなかったので、あまりきれいだとは思わなかった。

   12:20頃、飛行機はニューギニアに差し掛かった。大雨だったのか、映し出された島の映像には、茶色い川と浸水したと思われる草原があった。

   機内放送で、「現在、飛行機の左手には、ハートマークの形をした島が見えます」と案内された。私はそれを撮影しようと、座席を抜け出したのだが、残念ながら既に通り過ぎていた。近くにいた客室乗務員も見えなかったらしく、残念そうな表情をしていた。

 飛行機は、大海原の上を飛んだ。高度1万mから見る海は、雲の影が映って、ぶち模様になっていた。

 13:19、飛行機は赤道上空を通過した。よく言われるジョークだが、赤道の上に赤いラインがあるわけでもなく、普通の海だった。でも、このラインを境に北半球・南半球に分かれているのだから、重要な線ではある。

 私は、備え付けのテレビでテトリスやオセロをしたり、映画「サウス・バウンド」を見たりしていたが、気づけば周りの人たちは大半が眠っていて、起きて何かしているのは私くらいしかいなかった。なので、一眠りすることにしたが、轟音の中ではあまりゆっくり眠れなかった。

 16時過ぎ、軽食が運ばれてきた。パンにハムやレタスを挟んだものとデザートがあった。後から紅茶のサービスもあった。

 17:30、飛行機はもう日本のすぐ近くまで来ていた。機内放送では「成田到着時刻は、18:10の予定でございます」との案内があった。定刻では18:05着なので、出発が30分遅れた割にはずいぶん時間を短縮していた。言われてみれば、かなり飛ばしていたような気がする。外を見れば、夕日が沈み、だんだん暗くなってきている頃だった(写真は、窓際に座っていたO君に撮ってもらったもの)。

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