DBoys,come here!

管理人にとって初めての海外。行き先は、南半球のオーストラリア。

 バスは途中、シドニーでは有名な学校のそばを通った。校門やバス停には、水色の制服を着た中学生くらいの生徒がたくさんいた。ガイドさんが「ちょうど今、学校が終わって皆帰っているところです。シドニーの生徒たちは、週末はスポーツをして楽しみます」と案内した。オーストラリア国民は、概してスポーツ好きであり、ここに来る間も大きな公園では野球の原型と言われるクリケットや、ラグビーを楽しむ姿が見られた。これからお世話になるホームステイの家族も、事前に渡された家族案内の紙には趣味の欄に「サーフィン」とあった。

 バスが赤信号で停まった。突然、ガイドさんが「あーー!あそこに私の娘がいる!!」と叫んだ。クラス全員、誰がガイドさんの娘なのかきょろきょろしていた。運転手さんも運転席から出てきてにやけていた。

 バスが市中心部から離れるにつれて、緑がより多くなってきた。

 沿道には、日本ではあちこちにあるセブンイレブンがあった。だが、中にはガソリンスタンドを併設しているところもあり、日本とはだいぶ違うようだ。

 バスが走ったのは、幹線道路だったので、路線バスとも多くすれ違った。シドニーのバスは、大半が低床車のようだった。驚くべきことに、中には2台連接のバスもあった。日本では、路面電車だと連接車は当たり前になってきているが。

 バスは、緑に囲まれた公民館のような建物の近くに停車した。ここがホストファミリーとの集合場所なのだという。スーツケースとそれぞれトランクから降ろし、一旦屋根付きの場所に置いてから体育館に入った。体育館には椅子がずらりと並べられていて、ここでしばらく待機するようだ。

 全員が着席したところで、対面式が始まった。学年主任の先生から簡単な話があった後、ホストファミリーの代表と思われる女性が歓迎の言葉を述べた。もちろん英語なので、3号車乗務の現地ガイドさんが日本語に通訳した。対面式が終わって、現地ガイドさんが「さぁ皆さん、後ろを見てください。ホストファミリーの皆さんが待っています」と言ったので、後ろを振り返ると、いつの間にかホストファミリーの皆さんが何十人もいて、担当する生徒の名前を掲げていた。

 2〜3人で1グループになってホストファミリーに受け入れてもらっているのだが、今回同じ班になっているF君とホストファミリーを探すのだが、なかなか見つからない。すると、同級生が「お前のファミリー、あっちにおるぞ」と教えてくれたので、言われた方に行ってみると、大人たちの頭の上で、私たちの名前がローマ字で書かれた紙が揺れていた。その紙のところまで行くと、ホストマザー(host mother)らしき人から、“Are you (私の名前)?(あなたが○○さんですか?)”と尋ねられた。

私:“Yes.Nice to meet you.(そうです。よろしくお願いします)”

ホストマザー:“Yeah!Nice to meet you,too.OK,let'go.(ええ、こちらこそよろしくね。では、行きましょう)”

 小学校高学年から中学生くらいの女の子が2人付き添いで来ていて、私たちが来たことをかなり嬉しそうにしていたが、先にもらっていた家族案内の紙には、女の子は1人だけとあったので、もしかすると違うのではないか・・・・・・という不安がよぎった。なお、以降に私が話した英語は、大半がめちゃくちゃなので、はっきりと覚えている会話以外は日本語表記にしたいと思う。

 ホストマザーは、自動車で迎えに来てくれていた。トランクにスーツケースを入れるよう言われたので、2人とも入れた。ホストマザーは、にこにこしながら「重そうね」と入れる様子を見守っていた。オーストラリアでは、自主性が尊重されるそうで、子供でも自分でやるのが普通であるそうだ。

 私は助手席に、F君や女の子2人は後部座席に乗り、自動車は公民館を出発した。出発してすぐ、ホストマザーから自己紹介があって、自分の名前と娘の名前(カトリーナ)を言った後、もう一人の女の子は近所のお友達であることを告げた。なるほど納得である。続いて私も“My name is (私の名前).So,please call me "(私の下の名前)"(私の名前は○○です。なので、<下の名前>で呼んでくださいね)”と自己紹介した。以後は、それぞれの名前を呼ぶときは下の名前、2人まとめて呼ぶときは“Boys”となった。

 わずか5分ほどで家に到着した。家は丘の上にあった。面白い構造をしていて、1階部分が半地下室になっており、1階と2階の両方に玄関があった。駐車場に続く1階の玄関から荷物を持って入った。思わず靴を脱ぎそうになったが、欧米がそうだが、オーストラリアでも靴を履いたまま屋内に入るのが習慣になっている。すぐの部屋に案内された。「ここが君たちの部屋ね」とホストマザーが言った。2段ベッドと机、椅子というそう広くはない部屋だったが、寝るだけでは充分だった。

 荷物を置いた後、シャワー室と洗面所、トイレへと案内された。先述したように、オーストラリアは水不足なので、浴槽がなく、シャワーでさえ5分ほどで終えるという。その後2階にあがった。キッチンを通り、その先に広間があった。そして、そこから外を見ると、緑に囲まれた美しい街が広がっていたのだ(下の写真は、翌日撮ったもの)!私は、その光景にしばらく見とれていた。「すごく良い景色ですね」と私が言うと、ホストマザーが嬉しそうに「あそこにシドニータワーが見えるのよ」と指差した。確かに、ずっと先のほうに午前中に通ったシドニーの中心街が見えた。

 反対側の窓からは、タスマン海が見えた。夕方に差し掛かって海面はいよいよきらきらと輝いていた(下の写真も翌日撮ったもの)。

 ブルースポイント付近の景色を楽しもうと、そこに住みたいという人が多くいるように、私たちを迎え入れてくれたホストファミリーも住環境を一番に考えたようだ。テーブルに座れば、景色を見ながら食事を楽しめるという、まさに憧れの生活がここにはあった。

 ベランダには、セインリーという白いオスの犬と、ロクシーという黒いメスの犬がいて、セインリーが私たちの方に来てズボンをペロペロなめ始めた。すると、ホストマザーが「セインリー!!」と叱った。しつけはよくできているようで、怒られるとすぐにおとなしくなった。おとなしいロクシーの方が、ボスなのだという。

 テーブルに私たち2人とホストマザーが着いたところで、レモン風味の炭酸ジュースを飲みながら話を始めた。ホストマザーからは、年齢や趣味、今何年生なのか、日本の教育制度はどうなっているのか、ということを聞かれた。私のたどたどしい英語でも、ホストマザーは真剣に聞いてくれた。時々、どうしても何と言ってよいのか分からなくなった時でも、“Sorry,I cannot speak English well.(ごめんなさい、よく英語をしゃべれなくて)”と言うと、ホストマザーは優しく“Don't worry.(気にしないで)”と言ってくれた。この言葉には、この後のホームステイでも本当に助けられた。明日の予定については、「朝は何時に起きても良いけど、昼間は買い物に行くからね。その後泳ぐ予定なんだけど、海水パンツは持ってきてないわよね?じゃあ、買い物のときにビーチサンダルと海水パンツを買ってね」と言われた。

 ホストマザーは、オーストラリアの教育制度について語ってくれた。その中で、聞き間違いかもしれないが、「授業料は、公立校だったら大学までほとんどお金がいらない」と言っていた。ホストファミリーには、2人の息子さんがいるのだが、どちらも大学生なのだという。日本だったら、一般家庭では学費が高くて子供を2人も3人も大学に送り出すのは難しいことだろう。もし、これが本当だとしたら、是非とも日本の国公立大学もそうして欲しいものだ。ちなみに、2人の息子さんは大学が夏休みらしく、サーフィンに行っているそうだ。

 さて、一通り話した後、ホストマザーから「下で着替えていらっしゃい。海に連れて行ってあげる」と言われたので、さっきの寝室で着替えた後、カメラを持って再び2階に上がった。キッチンに、息子さんがいたので、“Nice to meet you.”と挨拶をした。息子さんも“Nice to meet you,too.”と返し、握手した。サーフィンから帰ってきたばかりらしく、パンツ一つで手はとても冷たかった。 車のキーをチャラチャラさせて、ホストマザーが“Let's go,boys.(君たち、さぁ行くわよ)”と待っていた。今度は2階の玄関から外に出て、自動車に乗った。公民館から乗ったときは気づかなかったが、自動車は日本の「SUZUKI」製だった。

 自動車は、坂を下った。路肩に停まっている自動車も、日本車が結構多い。大通りを渡ってさらに進むと、駐車場になっていた。駐車場には、サーフボードを持った人が何人か歩いていた。車を降りると、ホストマザーは既に先の方を歩いていて、“Boys,come here!(君たち、こっちに来て!)”と手招きした。その先は展望台のようになっていて、真っ青なタスマン海がどこまでもどこまでも広がっていた。

 もっと良いところがあると言うので、岬の先端へと続く道を歩く。途中、不思議な石の置物があった。何だろうと思っていると、“This is a shell.(これは貝ね)”とホストマザーが言った。よく見れば、確かに巻貝だった。上空を、赤いグライダーが飛んで行く。風に吹かれて気持ち良さそうだった。岬の先端まで来た。もうそこは360度の大パノラマだった。前方には海、振り返れば西の空に傾いた太陽。浜辺には、サーフィンを楽しむ人たちの姿があった。おそらく、ホストマザーはこれを見せたくて、この時間帯に連れて来てくれたのだろう。この心遣いは、本当に嬉しかった。

 尾翼の赤い飛行機が飛んでいた。“That's the Qantas.”とホストマザーが言った。カンタス航空と言えば、今朝シドニー国際空港でたくさん並んでいた飛行機である。

 海を見ていると、向こう側から日本人が2人歩いてくるのが見えた。どこかで見た顔だな、と思っていると、同級生だった。その後ろからは、彼らのホストファザーが歩いてきていた。“Are they your friend?(お友達?)”とホストマザーが言ったので、“Yes.(そうです)”と答えた。

 そこからさっきの駐車場に戻ることになったのだが、私たちのホストマザーと彼らのホストファザーは、初対面であるはずなのに2人とも親しげに話していた。一方、私たちは4人でお互いに「(ホストファミリーの家は)どのへんなの?」などと話した。

 駐車場に戻って、車に乗った。すると、ホストマザーが“Do you like pizza?(ピザは好き?)”と聞いてきた。ピザは好きなので、「いいですよ!」と答えた。ホストマザーは「じゃあ、今晩はピザね」と言って、携帯電話を取り出し、ピザ店に電話をかけ、店員と相談しながら“Fantastic!(いいわね!)”「店まで取りに来ます」などと答えていた。注文が全部済んでから、駐車場を出発した。こちらでも携帯電話は結構使われているのだろうか。私は尋ねてみた。

私:Do you often use a cellphone?(携帯電話はよく使うのですか?)

ホストマザー:Yes.Everyone use it.(ええ、皆使ってるわよ)

 携帯電話は、オーストラリアでも結構使われているようだ。車は大通りに出た。郊外の幹線道路でも、片側3車線は当たり前だった。車は路肩に停車した。シドニーの道路は、どこも広いので、路肩に駐車するスペースが結構あった。時計を見れば、既に18:40を過ぎていた。だが、夏なのでまだまだ日は長い。

 ホストマザーが、ピザの箱を5つも抱えて戻ってきた。そして、家に着くまで私のひざの上で抱えておくことになった。家に着いて、ピザをテーブルの上に置いた。ピザの良いにおいが漂ってきた。箱を開けて、ホストマザーがピザを切った。「どれでも好きなだけ召し上がって」と言われたので、まずは3枚ほど皿に取った。ジュースと皿を持って、リビングへ。リビングでは、カトリーナや息子さんたちがアニメを見ながら笑っていた。ソファに座り、私もピザを食べた。ピザのサイズは結構大きかった。パイナップル入りのピザもあった。

 私もアニメを見たのだが、言葉がよく分からない上に、私の感覚からしてそう面白そうには見えなかった。でも、これはやはり国民性の違いなのだと思う。その間、ホストマザーは何をしていたのかと言うと、海の見えるソファのところでテレビを見ていた。

 20:30頃、路線バスの運転手をしているというホストファザーが帰ってきた。そして、さっきのように挨拶し、握手を交わした。その後、私たち2人は、カトリーナ、それにカトリーナのお友達と一緒に物置にある冷蔵庫にアイスクリームを取りに行った。夜空を見上げると、星が輝いていた。「あ、オリオン座だ」と私が言うと、ホストマザーは「日本でも同じように見えるの?」と聞いてきたので、「同じです」と答えた。でも、上下が逆のような気がする・・・・・・。しかも、日本では今の時期は南の空なのに、北の空に出ていた。よくよく考えてみれば、南半球にあるオーストラリアからは、日本にいるときとは逆立ちして見ているのと同じであり、上下が逆になっているように見えるのは、当然と言えば当然だ。

 5人で夜景を見ながらアイスクリームを食べた。ホストマザーは、白ワインも飲んでいた。セインリーやロクシーも一緒で、セインリーはまた私のズボンをペロペロなめ始め、そしてまた怒られるのであった。カトリーナがセインリーにアイスのコーンをあげると、一口で全部食べてしまった。

 テーブルに着いて、4人でいろいろな話をした。カトリーナとそのお友達が、本を持ってきた。見れば、ひらがなの練習帳らしい。“Is this homework?(宿題ですか?)”と尋ねたが、ホストマザーは「違うけど、教えて欲しいの」と言った。なので、日本語について、悪い発音ながら教えることになった。

 練習帳には、ちょうど簡単な日本地図が載っていて、東から「ここが東京、ここが京都、ここが大阪、そして、ここが佐賀です」と指差しながら位置を教えた。その後、簡単なひらがなの言葉の発音を教えた。ノートには、ひらがながずらりと並んでいた。「えんぴつ」や「はさみ」、「ねこ」などの発音は簡単だったようだが、「かっぱ」や「とって」のような詰まる発音を含む言葉には苦労していた。さらに、その意味を尋ねられたのだが、「かっぱ」はレインコートのことなのか、妖怪のことなのか、「とって」は「取ってほしい」の「とって」なのか、ドアの「とって」なのか分からなかったので、どちらか先に思いついた方をジェスチャーを交えながら教えた。同時に、私は表意文字である漢字のありがたさをしみじみと感じたのであった。

 ホストマザーやカトリーナの発音を聞いているうちに、どうやら「ナ行」と「ラ行」の発音に難儀していることに気づいた。例えば、ナ行だと、「いぬ」は「いでゅ」となってしまうのだ。ラ行は、舌の巻き方が難しいらしく、私の口の中をのぞき込んで復唱していた。でも、最終的にはきちんとした発音をマスターしていた。外では、セインリーたちがうろうろしていたのだが、それを指差してカトリーナやお友達が「いぬ!いぬ!」と言っていた。

 面白かったのは、「いもうと」(妹)という言葉について教えていたときだ。ホストマザーが、「“いも=younger、うと=sister”なのですか?」と尋ねてきた。「いもうと」は、英語で“younger sister”である。英語は、独立した単語が合わさって意味を成すものが多く、この“younger sister”の場合は、2つの単語で成り立っている。つまり、ホストマザーは、日本語も2つの単語に分かれていると思って、「いも=young」、「うと=sister」だと思ったのだ。私は、漢字では「妹」であり、一つの言葉で“young sister”を表すということを何とか説明した。ホストマザーは、何となく分かったような顔をしていたが、「英語圏の人はこういう解釈をするのか」という発見に私自身、良い勉強になった。

 電話がかかってきた。カトリーナのお友達の保護者の方らしく、「そろそろ帰ってくるように言ってください」という趣旨の電話だったようだ。ホストマザーが相手に“Japanese(日本語、日本人)”などと言っていた。「今、日本人のお客さんが来ているのよ」と話していたのだろうか。

 その後、私はシャワーを浴びた。部屋に戻ったついでに、日本からのお土産を取り出して家族のところへ持っていった。扇子やうちわ、それにちょうどひな祭りの季節でもあったので、カトリーナには小さなひな人形を渡した。ホストマザーには、桜の絵柄のついた皿を渡した。どちらも“Thank you!(ありがとう!)”と言って、とても喜んでくれた。ただ、皿は、食事で使うには小さすぎたらしく、翌日には部屋の飾り物になっていた。でも、飾りとして使っても悪くはなかった。

 私は、リビングでホストファザーと一緒にラグビーの試合を見ていたのだが、疲れがたまっていたので、だんだんうとうとしてきた。ホストファザーが、部屋に入ってきたホストマザーに「彼、眠たそうだよ」と言ったので、ホストマザーから「○○(私の名前)、もう寝たら?」と優しく促された。1階に行く前に、「喉が渇くから」とホストマザーから水の入ったポットとコップを2つ渡された。確かに、さっきシャワーを浴びた後、ドライヤーをしていないのに髪の毛がすぐに乾いた。気候が日本とはぜんぜん違う(当たり前だが)。

 私は、歯磨きをした後、水を3杯も4杯も飲んでベッドに入った。ベッドにはキャラメル入りのチョコレートが置かれていた。おそらくカトリーナが置いてくれたのだろう。優しいホストファミリーの人たちで本当に良かった。そう思っているうちに、いつの間にか寝てしまった。

 

EThe Manly

旅行記&特集へ

トップへ