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FGood bye,my host family.

管理人にとって初めての海外。行き先は、南半球のオーストラリア。

 家に戻って、早速海行きの服に着替えた。だが、海水パンツやビーチサンダルには値札がついたまま。キッチンにいた息子さんに「はさみを貸してください」とジェスチャーを交えながら言って、値札を切った。これで準備完了。そして、ホストマザーとカトリーナ、F君の4人の準備が揃ったところで出発した。目的地は、家から車で10分ほどのところにある“The Culy Beach”。浜辺では、多くの人々が海水浴を楽しんでいた。だが、観光地ではないためか、日本人の姿は他に見られず、どうやら市民専用のビーチらしい。

 波のかからない岩場のところで上のTシャツを脱ぎ、海パン一つになった。ホストマザーも水着になり、先に海に入った。続いて私も入ったが、そのとたん、大きな波が襲ってきた。この海水浴場は、外海と直接接しているせいか、波がかなり高い。サーフィンをする人が多いというのも納得だ。それも、小学校低学年くらいの子供までやっているというから驚きだ。

 波が来ると、ジャンプして避けた。波が襲い掛かるたびに、海底の砂が巻き上げられ、ブルーの海面は一時的に茶色になった。その砂が体に当たると、なでられるような感じで、結構気持ちよかった。だが、私の買った海水パンツは、若干大きかったらしく、大きな波が来るとすぐに脱げそうになった。脱げないようにもじもじしている私を見て、ホストマザーが“Too big!(大きすぎね!)”と笑いながら言っていた。カトリーナやF君が沖の方に行こうとしていたので、私も行こうとしていると、ホストマザーから“Stop!(止まって!)”と注意された。「○○(私の名前)、F君とカトリーナに戻ってくるように言って」と頼まれたので、叫んで呼んだ。

 15分ほど波にもまれ、その後海からあがった。そのまま岩場を通り、プールへ。岩場はぬるぬるしていて、ホストマザーから“Watch your step!(足元をよく見て!)”と注意を促された。プールは、海とつながっていて、一応コンクリートで囲いがされてあるものの、海底部分はそのままなので、水深は深いところで2mほどあった。ホストマザーはプールには入らず、外から見ていた。時折、高い波がプール内に入ってきた。その度に、プール内にいた人たちからは歓声が上がっていた。

 カトリーナが、貝を拾った。サザエだった。カトリーナは、指にサザエをくっつけて“Look!(見て!)”と言った。今時の日本の中高生で、貝に触れる人はどれくらいいるだろうか。虫を見ただけで悲鳴を上げる人もいるが、それを見ていると、カトリーナは本当にたくましいと思う。それは、こうして海が近くにあり、幼い頃から積極的に海やそこにいる生き物と遊んできたからではないだろうか。私も触ってみたが、指に吸い付いてさかさまにしても落ちなかった。

 プールで20分ほど遊ぶと、「そろそろあがりましょう」とホストマザーが言ったので、すぐにあがった。時間は、既に18時近くになっていたが、まだまだ太陽は西の空の高いところにあった。

 体を簡単に拭いて、駐車場へ。カトリーナとホストマザーが何やら話し合いをしていた。どうやら、息子さんに頼んで、家から犬のセインリーとロクシーを連れてきてもらうらしい。ホストマザーが携帯電話を取り出し、自宅に電話していた。息子さんやセインリーたちが来るのをしばらく駐車場で待った。ホストマザーが思い出したように、「日本に帰ったら、あなたのお母さんに海水パンツのゴムを替えてもらいなさいね」と私に言った。細かいところまで気にしてくれる心遣いが、私にはとても嬉しいことだった。

 犬を車に乗せるのに時間がかかっているのか、息子さんはなかなかやって来なかった。その間、駐車場には何台もの車が出入りしたが、中には高級車の車列もあった。どうやら新婚旅行の車らしい。また、駐車中の車のナンバープレートには、「BBQ」(バーベキュー?)というユニークなものもあり、それを見てカトリーナとワイワイ言ったり、日本車を見つけて回ったりした。ビーチの内側にある池のようなところを指差して、ホストマザーが「あそこが犬専用のビーチよ」と言った。水深はそう深くなさそうで、確かに犬向けではあった。

 ようやく息子さんがやってきた。ホストマザーは、自分の車のカギを息子さんに渡し、私たちは息子さんの車に乗ることになった。トランクでは、犬がおとなしく座っていた。ビーチ沿いに車を走らせ、“Dog only”の池の反対側に行き、緑の丘を越えて池のほとりまで来た。2匹ともヒモで繋がれていたが、外されるや否や、セインリーが一目散に駆け出し、池の中へざぶんと行ってしまった。ロクシーは、「ボス」と呼ばれるだけにおとなしかったが、楽しそうに遊ぶセインリーを見て、少しだけ水に入った。だが、セインリーの方はお構いなしに他の人の犬にいたずらしたり、私たちに砂をかけてきたりした。怒った他の人の犬は、セインリーを追い掛け回し、飼い主の周りをぐるぐる回って砂をかけるなど、迷惑な行為を連発した。ホストマザーやカトリーナが「セインリー!」と叱るが、やめる様子はない。あぁあの飼い主から怒られる・・・・・・とどきどきしていたが、飼い主は椅子に座ったまま、一連の“騒動”を眺めていた。日本だったら「何をするんだ!」と怒るのが普通であるが、オーストラリア人はこのくらいでは怒らないらしい。こういう国なら、今の日本のように、些細なことで裁判になるようなことはないだろうな、と思った。

 いつのまにかセインリーの姿が見えなくなった。カトリーナが心配して丘の頂上から探したが見つからない。いよいよ心配になってきた頃、丘の影からセインリーが出てきた。ホストマザーが「家に帰りましょう」と言ったので、帰ることになった。日はだいぶ西に傾き、空が黄金色に染まっていた。時刻は、もう19時を過ぎていた。

 帰る途中、ガソリンスタンドに寄った。ガソリンスタンドは、日本でも普及しつつあるセルフサービスで、昨日、観光バスの車内から見たような、コンビニと合体しているタイプだった。自分でガソリンを入れるのはもちろんだが、オーストラリアではT字型のモップを使って窓を磨く。そして、洗浄用のモップで洗剤を落とし、洗車完了となる。ホストマザーが、店の方で清算を済ませ、ガソリンスタンドを出発した。これを見ていると、日本のガソリンスタンドはサービスし過ぎではないか、と思えるほどだった。

 家に着いて、そのままシャワー室に行ってシャワーを浴びた。そして、部屋に戻り、普段着に着替えた。もちろん、海水パンツは日本に持って帰るので、スーツケースに入れた。乾燥しているので、乾くのが早く、ビニール袋に入れる必要がなかった。カメラと、食事中のネタにするために地図帳と写真、それに日本の硬貨を持って2階に行くと、ホストマザーがスパゲッティとミートソースを作っているところだった。その間、私はフォークを並べたり、ジュースを出したりした。テラスに出てみた。日が没し、街はだんだんと夜の雰囲気に包まれていくところだった。

 料理ができ、私はF君やカトリーナと一緒に皿を持って並んだ。少し多めに入れてもらった。そして、ホストマザーが、テーブル上の4つのガラス容器に入れられたキャンドルに火を灯した。電灯はもちろんあるが、キャンドルに火を灯すことで雰囲気をさらに出す。ちょっとした工夫でも、より良い食卓にできることをここで知った。

 ようやく、全ての準備が整った。

   食事は静かに始まった。私やF君が日本で食べているようにフォークでそのまま食べていると、ホストマザーが「こうやって食べるの」と言って、スプーンの上でフォークを回転させて麺を絡め、そして口の中に入れた。食事を食べる時間は長くなるが、ゆっくり食べることでお腹を満腹にさせるということだろうか。他にも、手作りのマヨネーズパンなどをおいしく頂いた。ポテトチップスが2種類出されたが、私はレモン味の方がおいしいと言ったが、F君やカトリーナはハーブ風味の方がおいしいと言っていた。ただ、どちらも日本のポテトチップスよりサイズが大きかった。

 ある程度食べたところで、私は地図帳と写真を取り出し、ホストマザーに見せた。私が持っていった写真は、佐賀城や天山などの佐賀名物ばかりで、“This building is the gate of the saga castle.(この建物は、佐賀城の門です)”とか“This mountain is a symbol of Saga.(この山は、佐賀のシンボルです)”などと紹介した。ホストマザーは、写真を見ながら、「どのくらい前に建てられたの?」「冬には雪が積もるの?」などと私に質問したり、カトリーナに見せながら「佐賀のお城だって」などと言っていた(下の写真がホストファミリーに見せたもの。他にも梅の花や「白いかもめ」、佐賀ではないが、富士山の写真も見せた)。

 

   続いて、中学生の頃に使っていた地図帳を開いた。まずは、世界地図を見せた。そして、佐賀を出発して東京経由でシドニーに着くまでの道のりを指でなぞりながら示した。ちなみに、これは後でバスガイドさんが教えてくれた話だが、南半球にあるオーストラリアでは、日本で一般的に使われている北を基準にした地図だと、下の方になってしまうので、「これでは屈辱的だ」とオーストラリア大陸が地図の上に来るように南を基準にした地図をよく使うそうだ。この地図の場合、「ノ」の字の日本列島は逆「ノ」になり、北海道が下、九州が上になる。オーストラリアの地図だと、九州が上になるのでそれはそれで嬉しいのだが、北半球基準の九州の形の方がやはり見慣れているので、やっぱり北半球用の地図が良いと思った。

 さらに、日本列島全図を見せ、北海道から九州まで、主要都市を指差しながら教えていった。九州北部の拡大地図を見せ、「ここが佐賀市で、私の家や学校があります」と教えた。佐賀のことをある程度説明した後、近隣都市のことについても話した。“Fukuoka is the biggest city in Kyushu.(福岡市は、九州最大の都市です)”と言うと、何とホストマザーはホストファザーと一緒に福岡を訪れたことがあると言ったのだ。「カトリーナがまだ小さいころだったわ」とジェスチャーを交えながら言って、懐かしんでいた。東京からは、新幹線で来たとも言っていた。

 シドニーは雪がほとんど降らないためか、結構雪のよく降る地域についての質問も多かった。ホストマザーの「北海道が一番雪が降るの?」という質問には、「北海道はもちろん雪が降りますが、一番多いのはこのあたりです」と新潟県や富山県のあたりを指差して説明した。英語は、半分くらいが単語を繋ぎ合わせただけになったが、ホストマザーは一生懸命に聞いてくれた。

 地図帳を見せ終えた後、日本の硬貨を見せた。これが1円玉から100円玉まで全部見せた。私は、5円玉を見せながら、“This coin means friendship.(このコインは、友情を表します)”と言ってプレゼントした。「5円」は、「ご縁」に通じるのだが、「ご縁」を意味する英単語を知らなかったので、“friendship(友情)”に置き換えた。穴の開いたコインは珍しいものらしく、いろんな方向から眺めて、“Thank you!(ありがとう!)”と嬉しそうに言った。もうこの際なので、1円玉、10円玉、50円玉、100円玉も全部プレゼントした。ホストマザーから「1円玉は、オーストラリアドルでどのくらいの価値があるの?」と言われ、「約1セントくらいだと思います」と答えた。他にも、500円玉や1000円札、2000円札、5000円札、1万円札があることも言った。1万円札は、約100ドルに相当すると言うと、「高いわね」と言っていた(翌朝、1000円札を見せると、そのデザインに驚いていた)。

 100円玉の「昭和56年」という文字を見て、“What does this word mean?(この言葉の意味は何?)”と質問された。私は“This coin was made during the showa era.But,Japan is in the heisei era now.(このコインは、昭和時代に作られました。ですが、今、日本は平成時代です)”と答えると、“Oh,too old.(あら、かなり古いわね)”と驚いていた。また、10円玉の表の建物については、“What is this building?(この建物は何?)”と尋ねられたので、「これは、京都にある平等院鳳凰堂という建物です」と答えた。「びょうどういんほうおうどう」という発音が難しいらしく、私の言った言葉を何度か復唱していた。

 その後、トランプゲーム(オーストラリアではトランプをcardと言っていた)をすることになった。「あなたも知っているゲームよ」と言っていた。実際には「K(キング)並べ」で、最初に各人に4枚ずつ配り、手札から出せるものを全部出していく。出し終えたところで、残っているカードを1枚ずつ引いて、もし隣り合う数があったら出す。そして、一番最初に手札が全部なくなった人から勝ち抜け、というルールだった。合計で3、4回したが、1度も優勝できなかった。結構盛り上がったが、21:40を過ぎていたので、やめることにした。

 一旦テラスに出てみた。セインリーたちは、昼間はしゃぎ過ぎて疲れていたのか、もう寝ていた。シドニーの街は、ますますきれいに輝いていた。シドニー国際空港に着陸したり、離陸したりする飛行機が、光の点になって低い空をゆっくりと動いていった。

   皿を片付けた後、デジカメに入っていた画像を全部見せた。私の自宅や飼っている文鳥や昨日行ったオペラハウスの写真を見せた。OfficeWorksの看板が出てくると、苦笑していた。

 すると、私の耳元で「プーン」という体のかゆくなるような音がしたかと思うと、首のあたりに激痛が走った。触ると、ぷっくりふくれている。蚊にさされたらしい。ホストマザーがすぐに塗り薬を持ってきてくれた。すぐに処置をしたおかげで、しばらくすると痛みが引いてきた。

 昨日のように水を入れたポットとコップを2つ渡された。明日の起床時間と集合場所への出発時間を確認して、部屋に戻った。明日は、8:45までに昨日の公民館に集合しなければいけないので、7:30に起きることにした。荷物をまとめ、23時頃にベッドに入った。昼間遊んだ浜辺の音が、まだ頭の中で響いていた。充実した一日だった。でも、明日の朝でホストファミリーとお別れになる。早かったなぁ・・・・・・などと思っていると、いつの間にか眠りに落ちていた。

2月24日(日)

 私は体内時計が正常に働いてくれたおかげで、7時過ぎに“無事”起床できた。ベッドメイキングを済ませ、ジャージから普段着に着替え、2階にあがった。外は完全に明るくなっていた。テーブルのところにホストマザーが座っていて、昨日と同じように“Good morning!”と迎えてくれた。空は晴れていて、今日も暑くなりそうだ。シドニー中心街のビル群は、朝日に照らされて輝いていた。セインリーたちは疲れ気味らしく、目がとろんとしていた。

 「朝食は何にする?」とホストマザーが言った。私は、不思議な形をしたシリアルを選んだ。ミルクコーヒーもいただいた。ホストマザーによれば、オーストラリアでは毎朝のようにシリアルかトーストを食べると言った。

 そう言えば、オーストラリアの朝食と言えば、ベジマイトと呼ばれる調味料(?)が登場するという。それをパンに塗るのだが、ものすごく塩辛く、臭いそうだ。外国人が、納豆を食べる感覚と言えば、大体想像できるだろうか。私は、もしかするとホームステイの朝食でこれが出るのではないか、と心配していたのだが、結局出なかった。なので、ホストマザーに“Do you like Vegemite?”と聞いてみた。すると、ホストマザーは“I don't like it!(私、それ嫌いなの!)”と渋い顔をして答えた。「国民食」とまで呼ばれるベジマイトだが、日本にも納豆が嫌いな人がいるのと同じで、オーストラリア人も全員がベジマイトを好んでいるわけではないようだ。

 ホストマザーと一緒にミルクコーヒーを飲みながら、私は今後の予定について話した。「今日は、動物園とシドニー中心部に行き、明日は朝の飛行機で日本に帰ります」と言うと、「月曜日には日本に着くの?」とさらに質問された。「ええ、そうですね。しかし、深夜になります」と言うと、「あら、大変ね」とホストマザーは言った。そして、「あ、お土産を買うなら空港が安いわよ」と教えてもらった。

 F君が起きてきて、早速朝食を食べ始めた。私は部屋に戻り、忘れ物がないか最終確認した。今日は、午後から班別行動なので、カメラや筆箱、財布などは手持ちバッグへ、お土産や学校の制服など、今日1日使わないものはスーツケースに入れた。8時過ぎ、出発の支度が済んだ。出発前、私はホストマザーと一緒に家をバックに記念撮影した。F君がシャッターを押してくれた。今度は逆に私がF君とホストマザーをバックに撮影した。

 トランクに荷物を積み、車に乗り込んだ。8:13、家を出発した。カトリーナはまだ寝ているのか、会えなかった。ホストファミリーと過ごした時間は、私にとって大変貴重なものだった。ホストファミリーの皆さんは本当に親切で、何から何までお世話になった。

 8:17、公民館に着いた。既に何人かは到着していた。ホストマザーは、公民館の建物のそばまで見送ってくれた。最後に、私を軽く抱きしめて別れを惜しんだ。私が、“Thank you for everything.Say hello to your family.(何から何までありがとうございました。ご家族によろしくお伝えください)”と言うと、“OK.(分かったわ)”と笑顔で答えてくれた。そこでお別れとなり、私はバスの方へ、ホストマザーは車の方へ戻っていった。

 本当に、何から何までありがとうございました。

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