Hシドニーの街角から

管理人にとって初めての海外。行き先は、南半球のオーストラリア。

 計画では、シティレール(電車)に乗って、ダーリングハーバーにある「国立海洋科学博物館」に行き、モノレールに乗って中心部に戻り、T君推薦の「フェラーリ屋さん」、Y君推薦の「オックスフォード・ストリート」を巡って、再びシティ・レールに乗って、サーキュラーキーに戻ることにしている。

 だが、計画を変更し、お土産を先に買うことにした。まず、中心部にある「ココス」という免税店に徒歩で行くことにした。シドニーは、結構坂が多い。そのため、自転車に乗っている人が少なく、車の数が多い。ビルの谷間から、南半球で一番高いというシドニータワーが見えた。タワーに行くことも検討していたが、展望台まで行くのに30ドルくらいかかることが分かったので、取りやめた。

 ゆるやかな坂を上って、途中で左に曲がり、また右に曲がってしばらく行くと、「ココス」という店があった。

 店自体は2階にあり、階段を昇って入った。階段では、日本人の修学旅行生とすれ違った。年齢的にもほぼ同年代だった。だが、それ以上に、彼らから日本人であること以外に私と同じ何かが感じ取れた。店内には、修学旅行生以外にも、一般の方が何人かいた。店員は、現地の方と日本人が半々だった。「君たちは、どこから来たの?」と、熟年の夫婦から尋ねられた。私が「佐賀県の○○○高校です」と言うと、「あぁそうなの。あっちにいる生徒さんは、大分県の○○高校って言ってたけど。私たちは、福岡県からです」とご主人が言った。なるほど、さっきの人たちから感じ取れた不思議な「何か」は、“九州の雰囲気”だったのか。それにしても、佐賀、大分、福岡と九州人たちが、遠く離れた異国の土産店に偶然集まったというのも、“九州パワー”か何かが働いたのかもしれない。

 この店には、カンガルーのジャーキーやアロマキャンドル、オーストラリア大陸が上に来るように描かれた「逆さ地図」などが売られていた。両替や日本円の使用も可能だったので、私は今後のことを考え、日本円の半分ほどを両替した。私はここでカンガルーのジャーキーを買った。支払いは、日本円とA$の併用も可能だった。だが、このカンガルーのジャーキー、1袋1500円ほどするのだ。高い……。

 全員買い終え、店を出た。ビルの谷間を通り、モノレールの走る通りに出た。左回りの一方通行なので、一本の細いレールがあるだけだった。

   途中、「クィーン・ヴィクトリア・ビルディング」(QVB)のそばを通った。19世紀末に建てられた建物を、1984年にショッピングセンターとして改装したという。

    モノレールが通り過ぎていった。スマートな車体で、1両1両が短いかわいらしい電車だった。日本のように通勤客の大量輸送ではなく、あくまでも観光客の利用を目的にしているようだ。

   ここまで来る間に、交差点をいくつも渡った。シドニーでは、信号機のある横断歩道を渡る際に、必ず押ボタンを押さなければならない。日本のように歩行者用信号機が自動的に変わることはない。なので、近くで待っている他の誰かが押したのかもしれないけど、自分でも一応押してみるのが無難だ。

   ようやくダーリングハーバーに着いた。ちょうどモノレールがダーリングハーバー駅に着くところだった。 

   港には、ヨットやフェリーがいくつも浮かんでいて、港町シドニーらしい場所だった。

 モノレールの通る橋を渡り、対岸へ。2階建ての観光バスも走っていた。イギリスのロンドンに倣ったものだろうか。

 「オーストラリア国立海洋科学博物館」は、橋のたもとにあった。

 早速館内へ。この博物館は、入館料が無料なので、そのまま展示室に入ろうとしたが、警備員に呼び止められ、「あっちで入館票をもらってきて下さい」(もちろん英語)と言われた。カウンターで、4人分のシールをもらい、胸のところに貼って館内へ。入り口付近には、クジラの歯が展示されていた。だが、他の3人はあまり興味がないらしく、ベンチに座ってしまったので、私だけが見て回ることになった。潜水艦の模型やアボリジニの工芸品、昔のシドニー港の写真などが展示されていたが、その中でびっくりするものを見つけた。何と、江戸時代の長崎の出島の地図や佐賀県の有田焼の皿が展示されていたのだ。“The VOC”とあったので、この有田焼の皿は「オランダ東インド会社」が出島との交易で輸入したものなのだろう。だが、説明板には“Deshima Oranda Yashiki kei”とあった。「でしまおらんだやしきけい(?)」と読めるのだが、正しくは「でじまおらんだやしきてい(出島阿蘭陀屋敷邸)」ではないだろうか。それにしても、オーストラリアと航海の歴史がテーマであるだけに、まさか日本のものが展示されているとは思わなかった。

 30分ほどで見終わり、3人と合流して展示室を出た。ミュージアムショップでガラスの置物やボールペンを買い、外に出た。昼食をとるために、モノレールを挟んで向かい側にあるショッピングモールに入った。奥に進んでいくと、フードコートがあり、ケンタッキーやサンドイッチ屋があった。他の3人は、ケンタッキーを頼んでいたが、私はせっかくなのでサンドイッチ屋に行った。まず、店員からパンの種類を尋ねられたので、食パンタイプを選んだ。次に、具を選ぶ。指差しながら、“This one,please(これ下さい)”とか、“Chicken,please.(チキンを下さい)”などと言うと、店員がそれに従って具を盛ってくれた。結構通じるもので、「マーガリンを塗りますか?」「焼きますか?」「胡椒はどうしますか?」などと注文を聞かれても、“Yes,please.(はい、お願いします)”、“No,thank you.(いいえ、結構です)”と答えれば十分だった。私が選んだ具は、チキンとレタス、それにチーズの3品で、パンにマーガリンを塗ってもらい、具の上から胡椒を振りかけてもらった。パンは焼かなかった。サンドイッチを2つにカットしたところで、「4.75$になります」と店員から言われたので、5$紙幣を差し出した。日本円だと、だいたい500円弱といったところだろうか。他の3人と合流し、開いた席を見つけ、そこでサンドイッチをほおばった。

 全員食べ終わり、モノレールの駅へ。階段を昇ると、すぐに改札口があった。

 窓口で、トークンと呼ばれるコインを購入した。日本で言えば、きっぷに相当する。全区間4.8$均一で、割高だった。なので、Y君とT君が難色を示したが、帰りに乗るシティレールのきっぷを私が出すことで納得してくれた。

 改札口にトークンを入れると、レバーが回転した。そしてホームへ。3分ほど待つと、モノレールがやって来た。前面にはカメラのようなものがついていた。

 モノレールは、ダーリングハーバーを回り込むように走り、比較的短い間隔で駅に停車した。車窓は当然ながら日本と違う。テレビ朝日「世界の車窓から」のあの音楽や石丸謙二郎さんのナレーションを思い出してしまった。途中、路面電車(ライトレール)の線路と併走した。だが、残念ながら路面電車の姿は見られなかった。

 モノレールは市中心部に戻り、ビルの谷間を走るようになった。そして、シティセントラル(City Centre)駅で降り、T君推薦の「フェラーリ屋さん」へ。彼は、車好きで、フェラーリ屋さんでは車の写真を撮るだけで良いとのこと。徒歩で「フェラーリ屋さん」へ向かった。

 途中通ったハイドパーク(Hyde Park)では、市民が散歩やおしゃべりを楽しんでいた。すぐ近くにはオーストラリア博物館があった。私は、最初、ここに行きたいと主張したのだが、Y君たちが「入館料が高い」(実際には7$くらい)などと言ったため、取りやめとなった。

 道を歩いていて、気づいたことがある。一昨日、バスで通った道だった。フェラーリ屋さんの場所を確認しようと、地図を広げていると、後ろに男性が立っていた。4人が横に並んでいたので、邪魔になっていたのだ。私が“Sorry.(ごめんなさい)”と謝ると、その男性は“Your welcome.(いえいえ) ”とにこやかに返した。日ごろからこのくらいの余裕も持ちたいものだ。

 フェラーリ屋さんに着いた。だが、夏の強い日差しがショーウィンドウに反射して、中がよく見えなかった。これにはT君もがっかりしていたが、カメラをガラスに付けて撮影していた。ここはちょっとした名所になっているらしく、私が撮影している間も小さな子供が中を見ながら何か言っていた。

 続いて、Y君推薦のオックスフォード・ストリート(Oxford street)へ。この日、この通りでは、年に一度の世界的にも珍しい祭りがあるという。その祭りは、正直言って教育上よろしくなく、Y君以外はあまり乗り気でなかったが、彼が興味本位でどうしても行きたいと言うので、仕方なく付いて行くことになった。

 ゆるやかな坂道を上り、オックスフォード・ストリートを目指す。

 徒歩10分ほどでオックスフォード・ストリートにぶつかった。だが、特にお祭りがあっている様子はなく、ごくごく普通の通りだった。

 だが、さっきのハイドパークに向かって歩いていく間に、奇声をあげながら横断歩道を渡る男女の集団を目撃するなど、他の通りとは違う雰囲気があったのも事実で、だんだん怖くなり、早めにこの通りを脱出することになった。

 沿道には、牛丼の吉野家があった。よく見たら、店内には漢字で「吉野家」と書いてあるし……。

 ようやくオックスフォード・ストリートを脱出し、市民の憩うハイドパークに到着した。振り返って、今まで歩いてきた道を見てみたが、別に何ら変わりなかった。本当にこの通りが、その祭典の会場なのだろうか。

次回は、サーキュラーキー港周辺を巡ります。

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