@山口県は長かった
2009年(平成21年)3月15日(日)
佐賀駅には、午前7時集合としていたので、私は6時台のバスで駅まで向かった。7:15頃までに全員揃い、私はお金を集めてきっぷを買いに、他のメンバーはオープンしたばかりのam/pmへ買い物に行った。2週間ぶりくらいにクラスメートの顔を見たが、中には既に髪を染めた人もいた。なお、メンバーのうちの1人は、どうしても外せない用事があるとのことで、新幹線で私たちを追いかけ、途中の岡山駅で合流することになっている。また、指定席やホテルの予約をした後に、参加予定だった1人が事情により来れなくなり、残念ながら計8人で行くことになった。ちなみに、今回購入した青春18きっぷは、合計5セット。本券1枚に案内券3枚で1セットだったため、合計20枚ものきっぷが出てきた。また、同時に指定席券も発券してもらったが、往復とも大部分が全員通路側で、往路の2席だけが前後並びで窓際だった。 7:39発の813系快速門司港行きに乗車した。幸い全員座れた。このまま門司まで乗っておけば良いので、しばらくは安心して旅ができる。車中の話題は様々だったが、中には原付バイクの免許を取ろうと考えている人もいて、参考書を何人かで見ながら、いろいろ話していた。 10:09、門司駅に到着した。1分の接続で下関行きの415系に乗り換えた。残念ながら、席には座れなかったが、1駅なので問題ない。関門トンネルを抜けて、下関に到着。「やっと本州か〜」とメンバーの1人が言った。まだまだ旅は序盤。これからきつい(経験上)。ここで、乗り換え時間を利用して、買い出しに行く人とホームで待機する人に別れた。買い出し組には、人数分の青春18きっぷを渡し、改札の外のコンビニに行くよう案内した。メンバーの1人、M君だけはホームのうどん屋にひかれて、早速ふく天うどんを注文していた。後で感想を聞いたら、「結構美味かった」とのことだった。 買い出し組が戻って来ないうちに、新山口行きの117系が入って来た。仕方がないので、残っていた私とR君で取り敢えず荷物を車内へ運ぶことにした。 運んでいる途中に、買い出し組が帰って来た。車端部の座席にちょうど全員座れた。電車は、10:34に下関駅を発車した。外は良く晴れ、絶好の旅行日和だった。 乗ってしばらくすると、メンバーの1人が「今どのへん?」と私に尋ねた。「まだ山口県の西の方」と答えると、「まだそんなとこなの!」と呆れていた。その後も、しばしば今の位置を聞かれたが、私が答えた言葉の中から「山口県」というワードが消えることはなかった。 新山口駅で、115系快速糸崎行きに乗り換えた。私が「4時間近くこの電車に乗るよ」と言うと、他のメンバーは全員顔をしかめた。無理もないと思う。おそらく、こんな鈍行旅行は誰もしたことがないはずだ。メンバーの1人が「この旅は、退屈すぎてある意味一生心に残ると思う」と言った。席には取り敢えず全員座れたが、ばらばらになった。 電車は、時々海辺を走った。青い海面の上を、白い波しぶきを立てながら漁船が疾駆していた。山陽本線でも、山口県の戸田付近は、尾道付近と並んで絶景の車窓が楽しめる。 山口県に入ってかれこれ3時間。電車はまだ同県東部の岩国市にも達していなかった。メンバーの中には、既に疲れてきた人やうとうとし始める者もいて、「山口県長すぎ!!」「もう山口県やだ……」という発言まで飛び出した。新幹線「のぞみ」であれば、山口県内を通過するのに最速で45分ほどしかかからないが、各駅停車で来ている上に、山陽本線は海岸線に沿って走っているため、結構時間がかかるのだ。同時に、メンバーの山口県に対するイメージが低下したのも事実である。無論、こんな勝手なことでイメージダウンされてしまっては、山口県民の皆さんにとっても不本意だろう。でも、やはり私にとっても山口県は長いと思う。仕方のないことだけど。 岩国駅を出ると、快速運転に入った。途中の宮島口駅付近では、ビルの間から宮島の赤い鳥居が少し見えた。広島電鉄の路面電車と並走を始めると、広島駅はもうすぐである。広島も大きな都市なので、次第に乗客も増えていった。 広島駅を出ると、瀬野駅まで一切停車しない。瀬野駅から1時間弱で三原駅に到着した。三原駅の次が、終点糸崎駅なので、私は寝ているメンバーを起こして回ったり、離れた席に座っているメンバーに降りる準備をするように言ったりした。糸崎駅で、今度は115系岡山行きに乗り換えた。最初は、何人かが座席に座れなかったが、後で全員座れた。電車は、糸崎駅を発車して間もなく、尾道市に入った。車窓は、青い瀬戸内海とその島々。遠くに「しまなみ海道」の道路橋も見えた。 福山駅を出て3駅目の笠岡駅から岡山県に入った。窓から夕陽が差し込んできた。終点の岡山駅には、17:06に到着した。次に姫路方面へ向かう各駅停車は約1時間後。なので、ここで食料の調達と、遅れて新幹線で追いかけてきたもう1人と合流を行う予定だ。まず、新幹線改札口前でもう1人のメンバーを待った。その1人がやって来る間にトイレ休憩をする人もいて、合計7人分の荷物が並べられた。1人分は、片手でも持てるくらいだが、7人分が集まるとなかなか凄い光景だった。 間もなく、もう1人のメンバーがやって来て、無事合流できた。続いて食料調達へ向かった。レストランで食べるのは、時間が間に合うかどうか分からなかったので、取り敢えず駅前広場で何を買うか臨時会議となった。駅前には桃太郎の像があり、メンバーの2人が記念撮影をしようと試みていたが、恥ずかしかったのか、結局撮らずに戻って来た。最終的に、出口付近のマクドナルドでそれぞれセットを購入した。中には、夜中食べようと単品を追加で買った人もいた。下の写真は、岡山駅前の様子。左下に桃太郎の像がある。 ホームに戻り、次の姫路行きを待った。17:59、姫路行きの115系が入線した。しかし、車内は満席で、やむを得ずトイレ前の車いすスペースで立つことになった。もちろん、車いすの方がいないことを確認した。電車は、18:01に岡山駅を発車した。車窓は段々暗くなり、夜の色が強くなってきた。各駅停車なので、少し行けば大勢の人が降りるだろうと予想していたが、この日は日曜日。よく見れば、行楽帰りのおばちゃんの姿が目立った。 結局、終点姫路駅まで1時間25分も立ちっぱなしになった。誰も不平不満を言わなかったが、計画を立案した私としては、こんなに疲れさせてとても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。このようなグループ旅行で一番怖いのは、仲間割れでバラバラになってしまうことだ。幸い、この後も仲間割れが起こらず、何とか乗り切ることができた。 姫路駅では、米原行きの223系新快速に乗り換えた。しかし、既に座席は満席だった。車内をいろいろ見回ったが、どこも空いていなかった。電車は2編成連結で、中間の運転席部分で通り抜けができなかった。しかし、運転席を隔てたもうひとつ向こう車両はより空いていそうだったので、私は全メンバーに対し、次の加古川駅で一旦ホームに降りて車両を乗り換えることを指示した。そして、わずかの停車時間で、全員乗り換えることに成功した。だが、乗り換えた車両も席が埋まっていて、やむを得ず最後尾へ、最後尾へと移動した。そして、最後尾車両で8人分の空席を見つけ、ようやく座れた。時刻は既に20時近くになっていた。ここで岡山駅で買ったハンバーガーを食べることになったが、もちろん既に冷めていた。しかし、わがままは言っていられない。一通りほおばって、ようやく各々腹を満たすことができた。 ところが、途中で電車に遅れが発生してしまった。大都市に近づくにつれて、乗客も増えてきた。また駆け込みがあったのだろうか。だが、混雑は大阪駅までで、同駅で大部分の乗客が下車した。20:59、電車は京都駅に着いた。すると、メンバーの1人がふらりと席を立って、電車を降りたではないか。一瞬焦ったが、そのメンバーはホームを数歩歩いただけで、車内に戻って来た。本人曰く、「1回、日本史の主要舞台になってきた京都の地を踏みたかった」とのこと。その気持ち、本当によく分かる。私も過去に数分間の停車時間を利用して何回かやったことがあり、その街に来た気分になったものである。ただ、ここに来て少し頭痛がしてきた。疲れが溜まっていたのだろう。持ってきた頭痛薬を飲んで安静にすることにした。 さて、電車の遅れはいっこうに改善されないので、巡回中の車掌さんに米原駅で次の大垣方面行きに接続できるかどうかを尋ねてみた。車掌さんは女性の方だった。車掌さんによれば、ちゃんと接続できるという。これを逃すと、今晩の宿である快速「ムーンライトながら」に接続できなかったので、取り敢えず安心した。 ところで、ここ数年間で、鉄道業界に女性がかなり進出してきたと思う。“男女平等”のスローガンのもとに進められたことが大きいだろう。女性客が困った時に、女性の車掌なら声をかけやすいというメリットもある。だが、一方で従来男性ばかりだった職場に女性が入ってきて、果たして現場の設備や勤務体制が対応できているのかどうか疑問だ。また、鉄道では色々なお客さんが利用する。変なおじさんやファンが女性職員を追いかけまわしたり、名前を控えたりという事案がないとは言えない。非常に難しいところだが、こうした事案を防ぐ対策はないものだろうか。人目の少ない早朝・深夜勤務を避けたり、客扱いは運転士のそばで極力行ったり……。無論、変態な人間がいなければ、こんなことは別にする必要はないのである。 1999年(平成11年)には労働基準法の「女子保護規定」が撤廃され、雇用者がしようと思えば、女性でも男性並みの長時間労働が可能になった。トラック運転手のように、徹夜で働く女性もいる。しかし、肉体的に男女差があるのは、長い人類の歴史で作り出された“特性”であり、簡単に変えられるものではない。女性の身体に特有の現象もある。名前からすれば確かに女性差別的な印象だが、中身そのものは女性に配慮したものであるように思う。賃金や昇給で男女平等を目指すのは大いに歓迎すべきだが、元々男性中心で、かつ体が資本となる職業については、現場や法制度の状況を考慮しながら女性の進出を図っていくのが望ましいのではないだろうか。 話を戻して、新快速車内。後ろに座っていた男性から「君たちも『ながら』で東京に行くの?」と尋ねられた。その男性もどうやら同じく「ながら」に乗るらしい。ただ、今乗っている車両が最後尾なので、その男性に「次の大垣方面行きはホームのどのあたりに停まっているかご存じですか?」と聞いてみたが、分からないとのことだった。なので、彦根駅の手前から編成の中央部を目指して車内を移動した。 新快速電車は終点の米原駅に到着した。移動したのは正解で、ちょうど真向かいに豊橋行きの313系が停まっていた。それに乗ったが、やはり「ながら」に乗り換えると思われる人が多かった。座席にはメンバーの多くが座れなかった。だが、大垣駅までは約30分だ。いろいろ話しているうちに、大垣駅に到着した。一旦、「ながら」が到着するホームに移動して荷物を置いた後、飲み物の調達やトイレへ行くために一旦解散となった。もちろん、残留組を置いて荷物の見張りも行った。既に電光表示には「ながら」の案内が出ていたが、今年のダイヤ改正で臨時化されたため、「臨時ムーンライト」という名称だった。 ちょうど反対側のホームには117系が停まっていた。白地にJR東海のコーポレートカラ―のオレンジ帯を巻いた姿は、今朝乗ったJR西日本車とまた違う雰囲気だった。 22:30過ぎ、快速「ムーンライトながら」の入線を告げるアナウンスが流れ、遠くにらんらんと光るライトが見えた。