A朝まで列車、朝から東京

高校卒業記念として、私は同じクラスだった男子と一緒に東京まで旅行しました。

 ところがやって来たのは、JR東日本所属の189系。確かに、JR東日本所属の183・189系は臨時の「ムーンライトながら」として運行されてきたが、これは373系による定期「ながら」が純粋に廃止されたことを意味する。メンバー全員を座席に案内した。幸い、席は皆近く、うち4人は固まって座れた。もう後は乗り換えなしで東京まで行けるので、メンバー全員がやっと安心できた。しかし、中にはここに来て初めて「ベッドじゃないの?」と、座席車であることを知った人もいた。と言うのも、寝台列車に乗ると思っていたようなのだ。私も説明不足である。だが、やはり座席より横になれる方が良いに決まっている。このわずか1日前に寝台特急「はやぶさ・富士」が廃止されたが、もし、もっと長く存続していたなら、全員寝台特急で旅行したのかもしれない。

 発車までの間、私は車外の撮影を行った。不思議なことに、方向幕はなぜか「快速 銚子」を表示していた。後に車内放送で案内されたが、方向幕が故障しているということだった。

 電車は、定刻の22:48に発車した。まだ始発駅なので、空席も多かったが、岐阜、名古屋と停まるうちに乗客が増えてきた。私の隣にも名古屋駅から初老の男性が座った。

 夜中の東海道を「ムーンライトながら」はひた走った。残念ながら動力車で、おまけに車端部の座席だったため、モーターの唸りとドアの開閉音であまり良い環境とは言えなかった。メンバーたちもなかなか寝られないのか、しばらく小声でおしゃべりしている人が多かった。とは言え、1日中電車に乗り続けたので、私も他のメンバーもかなり疲れており、段々話し声がしなくなった。だが、寝るわけではなく、本を読んだりゲームをしたりしていた。

2009年(平成21年)3月16日(月)

 あまり深く眠れないまま、日付が変わった。間もなく、「ながら」は豊橋駅に到着し、そして発車した。さすがにまぶたが重くなってきて、私は静岡県に入ったくらいから寝てしまった。そして、次にはっきりと起きたのは、沼津駅だった。沼津駅では、隣に座っていた男性が電車を降りた。箱根の方へ行くのだろうか。

 沼津駅を出ると、次は横浜駅に停車する。それを考えると、東京は(感覚的に)もうすぐである。横浜駅を発車してから手を洗いに行き、降りる準備を始めた。品川駅を出ると、終点の東京駅に着くというアナウンスが流れ、車内がより騒がしくなった。佐賀を出て約21時間半。やっと目的地に到着した。

 電車を降りたメンバーはそれぞれ荷物を点検したり、伸びをしたり。私は、今まで乗ってきた189系の撮影を行った。一方、隣のホームには373系が停まっていた。東京まで足を延ばす運用は、定期「ながら」時代の名残とも言える。これに関する特集は<こちら>

 さて、メンバーで話し合った結果、早速東京観光に乗り出すことになった。時刻はまだ5:30にもなっていない。人のまばらな東京駅の連絡通路を歩き、まず大きな荷物をロッカーに全員預けた。そして、いったん改札口で青春18きっぷに改札印をもらった。「ながら」車内で車内改札がなかったからだ(ただ、メンバーのうちの1人は、深夜に車掌さんがやって来たと証言した)。その後、必要最小限の荷物を持って山手線ホームへ。実は、メンバーの中に2、3人ほどアキバ目当ての者がおり、取り敢えず秋葉原へ行くことになったのだ。早朝の山手線車内はがら〜んとしていて、最後尾は貸し切りになってしまった。途中神田だけに停まって、秋葉原駅に到着した。

 秋葉原に来ても、駅前は閑散としていて、かなり寒かった。だが、メンバーのうちの2人は、どうしてもあるところに行きたいという。その場所とは、2日後(東京を出発する日)に参加予定のアイドルのショーが開催されるビルなのだという。そこまで準備するとは……。というわけで、その2人の先導でようやく明るくなりだした秋葉原の街を歩いた。だが、結局場所が分からず、途中のコンビニで道を聞く羽目に。聞きに行った1人は、「教えてくれた店員もオタクぽかった」と興奮していた。そこまで興奮するのもなのだろうか……。

 しかし、やはり道に迷ってしまい、やむを得ず、私が地図を頼りに先導することになった。あちらこちらをぐるぐる回り、本物のオタクっぽい人がいたの何のと誰かが騒いでいるうちに秋葉原をほぼ一周してしまった。

 そして、ようやく目印となる建物を発見し、そこから徒歩5分ほどで目的地に到着した。無論、そのビルはシャッターが閉まっていたが、道沿いに掲げてあったアイドルの旗やポスターを見つけては、その2人だけ大興奮で、記念撮影していた。これが大勢の人の前でなくて本当に良かった……。早朝だからできることである。

 「次はどこに行こうか」とメンバーで話し合った結果、渋谷へ向かうことにした。時刻は6時を過ぎており、山手線車内は人が多かったため、立つことになった。渋谷駅には、6:45頃到着した。やはり1時間前に比べると、歩く人の数が多かった。メンバーの1人の提案で、まず有名なハチ公像で記念撮影した。だが、意外にも小さかった。

 それよりも興味深かったのは、ハチ公像の向かい側に設置されている元東急の5000系電車である。ごちゃごちゃした風景の中、緑一色の車体はある意味で浮いていた。

 先ほど「ハチ公前に行こう」と提案したメンバーが、今度は「モヤイ像の前に行こう」と言いだした。というわけでモヤイ像前に行ってみたが、こちらも思ったより小さく、そのメンバーに対し、「お前の言ったところはどこも思ったより小さいな」と皆から野次が飛んでいた。さすがに全員興ざめして、記念撮影には至らなかった。

   腹が減ってきたので、何か食べようと思い、取り敢えず109の方向へ足を進めることにした。朝から晴天で、109がビルごと吸い込まれそうな気持ちのよい青空だった。交差点の前には、化粧室らしきものがあるマイクロバスが停まっていた。もしかすると、芸能人が乗るロケバスだったのかもしれない。

   109のふもとに牛丼の「吉野家」があったので、そこに入った。私が吉野家を利用するのは初めてである。店内はそこそこ空いていて、ちょうど全員座れた。噂や報道の通り、やはり安い。だが、私は牛丼ではなく、豚丼を注文した。2、30分ほどで食べ終わり、店を出た。再びメンバーと話し合った結果、お台場へ向かうことにした。なので、山手線品川・東京方面ホームへ向かった。ここから大崎駅まで乗り、一旦下車してりんかい線用のきっぷを買い直した(もしかすると、そのままきっぷを持って清算できたかも……)。そして、今度はりんかい線ホームに降りた。ちょうど階段を降りているときに、新木場行きの電車が発車してしまったので、7分ほど待つことになった。時刻は既に8時を過ぎていた。

   やって来た次の新木場行きは、埼京線から直通する205系だった。月曜日の朝とあって、車内は結構混んでいたが、大崎駅で降りる客が多かったので、先頭付近に並んでいたメンバーの何人かは座席に座れた。私も席にありつけた。だが、後から後からどんどん客が乗って来て、他のメンバーは立ちっぱなしになった。だが、この後、ちょっとした事件が起こる。

   次の大井町駅で、大勢のお客さんが乗ってきた。ところが、立席になったメンバーは、ドアの前や周辺にに立ったままで、乗降が始まっても通り道を開けなかったり、奥へ詰めようとしなかったのだ。私は、そこから少し離れた席に座っており、人の隙間からその様子を伺っていたが、乗ってくる人のほぼ全員が顔をしかめていた。注意しようかと思ったが、乗ってくる客には逆らえず、座ったまま身動きが取れなくなった。そして、乗ってきたある男性が私の前に立ち、連れの女性にこう言った。

「都会の電車の乗り方を知らない田舎の高校生だな。どうせ武蔵野線沿線とかから休みだとか言ってやって来たんだろ」

 JR武蔵野線沿線の高校生の方には申し訳ないが、実際に男性はこう発言した。さすがに、男性は、私たちが武蔵野線沿線どころか遠く離れた九州からやって来たというところまでは見抜けなかったようだ。しかし、私は「しまった!」と思った。東京に着くまでの間に、「エスカレーターは右側が追い越し用」「電車を待つ人が多い時は、階段から離れたところの方が概して空いている」「現金は、スリ被害防止のため、2か所以上に分けて所持した方が良い」といったことは、私の経験や見聞をもとにメンバーへ注意を促していたが、「電車に乗ったら奥の方まで詰める」という点は、何も言っていなかった。おそらく、そのドアから乗った客のほぼ全員が、男性と同じ気持ちだっただろう。私があれこれ考えているうちに、男性の会話は別な方向へ飛んで行っていたが、私は東京テレポート駅に着くまでずっと気まずい気分だった。

 映画「踊る大捜査線」オープニングテーマのメロディとともに、東京テレポート駅に全員降り立った。改札を出て、長いエスカレーターで地上に出た。出てすぐの空いたスペースで、一旦小休止。そこで私は先ほどの事件をメンバーに話し、「座っていた人は良いけど、さっき立っていた人は、迷惑になっているみたいだったから、電車が混んでいる時は奥に詰めてね」と注意した。

 再び歩き始めた。首都高速の上を渡り、フジテレビ本社屋の入り口まで来た。だが、時刻はまだ8:30を過ぎたばかり。当然、フジテレビ内の飲食店や展示施設は営業時間外なので、エスカレーターも動いていなかった。時間的には、ちょうど「とくダネ!」が放送されている時間帯で、私は、あの気象予報士がどこかにいないか、ときょろきょろ探した。

 ペデストリアンデッキに出ると、都心方向にレインボーブリッジが見え、その奥には東京タワーがあった。レインボーブリッジ方向へ歩き、「ゆりかもめ」の高架をくぐり、突き当たりの展望所のベンチに腰かけた。ホテルのチェックインは13時以降であり、それまでの時間をこのお台場で過ごすことにしているが、当分、遊べるものはないので、一旦解散することになった。

 人によって、トイレに行ったり、浜辺に行ったり。私は、メンバーの1人であるR君ら数人とベンチに腰掛けて休息した。目の前の海では、時折魚がはねていた。その海を挟んだ向こう側に、レインボーブリッジがでーんと構えていた。だが、都心方向は大渋滞を起こしており、橋いっぱいにトラックや乗用車が並んでいた。よく見れば、左側には六本木ヒルズが……。

   暇なので、この旅行記にたびたび登場しているあの男にメールを出すことにした。あの男とは、同級生で、同じ写真部に所属していたinfinity_fateである。元々、infinity_fateは、進路がどうなろうとこの春から東京に引っ越すことが決まっていた。家系的に佐賀とは無縁ではないが、もともと東京生まれであり、志望大学も全て東京都内だった。だが、志の高い彼は、もう1年受験勉強を頑張ってみることになり、3月の下旬から某予備校に通うことになった。私は、せっかく東京に来たので会えたら良いなぁと思っていた。なので、取り敢えず会えるなら会おうということでメールを出した。すると、infinity_fateは例によって「考えとく」と私に返信し、結局18日のフリータイムで一緒に都内観光をすることになった。それで、infinity_fateに無事に東京に着いたという旨のメールを送ったのである。

 infinity_fateといろいろメールでやり取りしていくうちに、時間が経ち、9:30頃になった。携帯電話の充電池も底を尽きそうだったので、メールはしばらくお休みすることになった。看板によると、フジテレビの建物に入れるのはだいたい10時頃だったので、バラバラだったメンバーを呼び出した。あちらこちらをぶらついていたという2人は、「とくダネ!」の天気予報シーンの収録場面を目撃したと報告。他のメンバーから「早く教えろよ!!」と非難されたが、収録はすぐに終わったとのこと。ならば仕方ないか……。

 10時になったところで、早速フジテレビの本社屋へ向かった。既に観光客用の入り口付近には、フジテレビの観光に来たと思しき人が何人かいた。

B元気だねぇ……

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