E東京都電・乗ったり降りたり

高校卒業記念として、私は同じクラスだった男子と一緒に東京まで旅行しました。

 再び都電に乗り、熊野前電停で降りた。そこから歩きながら都電の撮影を行った。「尾久八幡神社」の前では、ちょうど7000形と神社と一緒に撮影できた。軌道は、道路に挟まれていたが、交通量がそう多くないので、歩道からでも比較的撮影しやすかった。

     途中から都電に乗ったが、次が「荒川車庫前」だったので、1区間乗っただけで降りた。荒川車庫の横には、「都電おもいで広場」があり、土休日の昼間は公開されている。だが、平日なので入れなかったし、もう夕方なので、仮に土休日であっても入れなかっただろう。なので、道路からフェンス越しに撮影した。そばからは、車庫へと続く引き込み線があり、その先には7000形と新型の9000形が停まっていた。

 

   さらに都電の旅は続く。だが、電車には乗らず、梶原電停まで歩いて、同電停の近くにあるお菓子屋さんで、有名な「都電もなか」を5個買った。しかし、私は注文する時に「5両下さい」と言ってしまった。確かに、パッケージは都電の各形式を模したものになっているが……。

 梶原電停から都電に乗り、王子駅前を過ぎて飛鳥山電停で下車した。そばにある飛鳥山公園で一休みすることにした。小高い山(丘?)の上にある公園には、都電6000形6080号車とD51形853号機が静態保存されていた。

 少し離れたところに遊具兼ベンチがあったので、そこに腰かけた。飲み物を買って休んでいると、新幹線の通る音が聞こえた。infinity_fateに少し待ってもらい、坂を下ってみると、そこには在来線と新幹線が走っていた。新幹線は、高架橋や壁に遮られて完全な姿を撮影できなかった。坂からは、在来線を跨ぐ橋があったが、そこにもフェンスがあり、撮影しづらかった。しかし、京浜東北線だけは、橋の構造のおかげで何とか撮影できそうだ。しかも、王子駅停車中の姿も撮れる。待つこともなく、上下ともすぐにやってきた。

 10分くらい撮って、公園に戻った。飲み物を飲みながら、しばらく休んだ後、山を下りて近くの歩道橋から都電を撮影した。infinity_fateも「滅多にこっちの方は来ないから」と、路面電車にカメラを向けた。ただ、軌道内進入規制がないのか、都電は完全に自動車に包囲されていた。併用軌道区間が短いため、ダイヤに大きな影響はないのかもしれないが、かつて都電が廃止されていった原因がここで再現されていた。

 夕方であるためか、比較的短い間隔で結構都電がやって来た。近くには、もう1人男性が撮影していた。何か珍しい電車でも来るのか?と思っていたが、結局来なかった。

 しばらく撮った後、少し王子駅寄りの交差点まで移動した。王子駅前電停から飛鳥山電停までは上り坂になっており、坂を上る都電を撮影できるのではないか、と考えたからである。ちょうど良い場所を見つけたので、2人揃って撮影開始。だが、光線状態はあまり良くなく、さらに自動車が被るため、撮影はかなり難しかった。

 暗くなってきたため、撮影を終了した。王子駅前電停まで戻り、早稲田行きの電車に乗った。座席には座れなかった。先ほど撮影していた併用軌道区間を抜けると、再び住宅街の中を走るようになった。都電がどこかの電停に停まったとき、座席に座っていた初老の男性が携帯電話で話を始めた。すると、客扱いを終了した運転士さんが運転席から「車内での通話はご遠慮ください」と少し怖い声で言った。今時、JRの車掌さんでも、車内で通話している人をあまり注意しない。だが、注意された男性は、しばらく通話を続けた。

 都電は、坂を下って終点の早稲田電停に到着した。飛び飛びではあったが、なかなか素晴らしい都電観光だった。

 早稲田電停は、地下鉄やJRとの接続が悪いため、折り返して東池袋四丁目電停まで戻った。ここだと、東京メトロ有楽町線と接続している。都電を降りて有楽町線ホームへ。実は、infinity_fateの提案で、東武東上線沿線にあるラーメン屋に行くことになったためだ。だが、せっかくなので有楽町線の終点である和光市駅経由で向かうことにした。有楽町線の東池袋―新木場間は既に制覇済みだったので、和光市駅まで乗れば、有楽町線の制覇も完了する。

 しかし、有楽町線はなぜかダイヤが乱れていて、10分ほど待ってようやく和光市方面行きの電車が入ってきた。ところが、車内は超満員。どこかの駅で長く停まって、その間に詰め込めるだけの人を乗せたのだろうか。とても乗れそうになかったので、次の電車を待った。次の和光市行きは、東武所属の9000系だった。こちらは対照的に空いており、次の池袋駅から座れた。駅に停まるごとにどんどん人が少なくなり、終点の和光市駅に着いた時は、ガラガラだった。電車は、一旦回送された。

infinity_fate曰く、「和光市が終点だから少ない。和光市より先に行く電車は、かなり混んでいる」そうだ。言われてみれば、別のホームに停まっていた川越市方面行きの電車は、ぎゅうぎゅう詰めで発車した。行き先を見分けて、いかに空いた電車に乗るのか、というのも東京で少しでも快適に生活するためのワザなのかもしれない。

 infinity_fateによると、ラーメン屋は、東武東上線和光市―池袋間のときわ台駅近くにあるそうだ。だが、ときわ台駅は各駅停車しか停まらないらしいので、しばらく待たなければならなかった。やって来た池袋行きの各駅停車は、結構空いていた。10分くらい乗って、下車した。そこから歩いて5分くらいのところにラーメン屋があった。infinity_fateが言うには、そこの焼き飯が美味いのだという。私は節約のため、一番安いラーメンを頼んだ。東京なので、味はしょうゆ。「焼き飯」は150円で、中に焼き豚を刻んだものが入っていた。焼き飯は確かに美味い。甘めのしょうゆ味で、箸がなかなか止まらなかった。「以前はタダでおかわりができたけど、今はできないみたい」とinfinity_fateは言った。ちなみに、「焼き飯」はinfinity_fateにおごってもらった(いや、おごらせた)。場所は、どこにでもある商店街の一角だが、隠れた美味いものスポットであることは間違いない。今度東京に来た時もまた連れて行ってもらおう。

時間は19:30を回っていた。商店街の人通りはそう多くなく、閑散としていた。

   踏切があった。infinity_fateに「あの事件の現場だ」と教えてもらった。あの事件とは、遮断機の下りた踏切に飛び込んで自殺しようとした女性を助けようとし、警察官が殉職した事件である。ニュースでも大きく取り上げられ、ドラマにもなった。その女性が、なぜ飛び込もうとしたのか、私は知らない。だが、死んだらどうなるか、というところに思いが至るのなら、自ら命を絶つようなことはないと思う。「死んだら天国に行ける」などというのは、しばしば古今東西の宗教で語られてきたことだが、そもそも宗教自体が、言ってしまえば「人間の苦しみや悩みを開放する、ぶちまける場」である。「天国に行ける」のは、気休めの言葉でしかないのだ。

 警報機が鳴り始め、遮断機が下りた。東上線の本数が多い上に駅のそばなので、「開かずの踏切」として有名なのだという。待っている間に3本も電車が通過した。infinity_fateは運行パターンまで頭に入っているらしく、「次の電車が通ったら終わり」と予想していたが、本当にその電車で終わりだった。

 踏切を渡ってすぐの場所に、殉職した警察官が勤務していたという交番があった。一見、ときわ台の街は「そんな事件なんて無かったよ」という雰囲気だった。だが、近所の人々にとって、一生忘れられない事件だったはずだし、日本中が「自ら線路に入って自殺志願者を助けた警察官がいた」と記憶している。警察官の殉職を変に美化してはならないが、街が変わっても忘れてはならない事件だと思う。

 今、日本の警察官は、時折、自らが様々な「加害者」や「犯罪者」になっている。飲酒運転だったり、カネ絡みだったり……。警察が警察官を逮捕するなんて、洒落にならない話だ。そういう時代だからこそ、私は小学生の頃に近所の駐在所で勤務していたある警察官の話を紹介したい。

 私が小学4年生までいた佐賀県杵島郡江北町には警察署がなく、町内には交番と駐在所が各1か所しかない。そのうち、駐在所には警察官が1人いた。その警察官は、どんな日も朝7時から近くの交通量が多い国道に立ち、通学中の小中学生を見守っていた。大雨の日も、雪の日も、風の日も。警察署にこもっている警察官に比べると、はるかに過酷な勤務だったに違いない。それでも、私が理科の自由研究をまとめた模造紙の束を持っていると、「何を調べたの?」と声を掛けてくれたり、ちょうど良いタイミングで信号機の押しボタンを押してくれたりした。そして、児童や生徒が行ってしまった後でも、ずっとその様子を見てくれていた。また、道路沿いに警察官が毎朝立つことで、ドライバーも安全運転を心掛けただろう。

 佐賀県警のことを、私は「さばけん警」(さばけん=佐賀弁で“できない”)と呼んでいる。初動捜査の遅れやミスが多いからだ。数年前までは、ろくにパトロールもしていなかった。だが、中には先述したような、地元のことをよく知り、子どもたちにも気を配ってくれる警察官もいる。その警察官の方が今どこで働いておられるのか知らないが、そういう“現場”をきちんと知る人に、警察のトップとして頑張ってもらいたいものだ。

 さて、私はときわ台駅前のマクドナルドで明日の朝食用にハンバーガーを買い、再び東上線に乗った。

F行きがあれば、帰りもある

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