@さらば西鉄宮地岳線

春と言えば鉄道旅行。そこで、今回は、広島や京都など“四都”を走る鉄道を旅しました。

2007年(平成19年)3月31日(土)

 2007年(平成19年)3月31日は、春休み2日目だった。学校の行事予定上では、3月24日から春休み扱いだったが、補習があったため、実質休みになったのは、3月30日からである。当然ながら宿題が大量に出されたものの、早めにプリントが配られていたので、ある程度終わらせることができたことだけは良かった。

 この日は、朝5時に起床した。本当は、自転車かバスを使って駅に向かいたいところだが、自転車は荷物が重すぎるので不可、バスは朝が早すぎて、まだ走っていないのである。なので、駅までは究極の手段=徒歩。佐賀6:35発の電車に乗るために、5:50頃に自宅を出発した。空が薄明るくなった頃で、信号機は交通量が少ないために点滅状態。6時になると、信号機が通常作動を始めた。6:25に佐賀駅に到着した。

 前回の旅行で使用した「JR発足20周年記念青春18きっぷ」の3日目に日付印を押してもらい、4番乗り場へ。定刻に門司港行きの813+811系快速の7連が入線した。前3両は、1000番台だった。

 車内は空いていて、私が乗っていた車両は5人ほどしか乗っていなかった。

 佐賀駅を発車してしばらくすると、太陽が顔を出した。

 実は、この日は西鉄宮地岳線の西鉄新宮―津屋崎間の運行最終日でもあるのだ。なので、以前にも同じ目的で利用した古賀駅で下車して、徒歩7分ほど歩いて西鉄古賀駅へ。

 しかし、朝8時頃であるためか、西鉄古賀駅前では一人の男性が駅舎の撮影をしているだけで、閑散としており、とても廃止直前の駅とは思えなかった。この日は、廃止区間が無料で乗れるため、そのままホームへ向かった。

 すぐに津屋崎行きの600系電車が入線した。

 しかし、車内も閑散としていた。やはり、“部分廃止”だからなのだろうか。

   運転席後ろ側は、廃止区間の風景を少しでも目に焼き付けようと、何人かの人がじっと前を見つめていた。でも、地元住民ではなく、旅行者がほとんどだった。

 いつものようにメロディが流れ、終点の津屋崎駅に到着した。津屋崎駅は、車内や他の駅に比べると、人の数は多く、別れを惜しむ人たちが、車両を、駅舎を、ホームをそれぞれ撮影していた。ホームには、つい6日前に利用した時に津屋崎駅の駅員さんをしていたおばあさんもいた。

   窓口で、廃止に併せて発売されていた記念乗車券(津屋崎駅から一区間分150円:下の写真)と、津屋崎駅の駅名表示板を模したキーホルダー1個(600円)を購入した。

 津屋崎駅近くの踏切で電車の撮影をすることにした。踏切から、線路や津屋崎駅を撮影した。明日の今頃には役目を終え、ただ撤去されるのを待つだけになる。

 電車がやって来た。あいにく曇っていて、やや暗くなってしまった。

 駅にすぐに戻って、駅舎を撮影した後ホームへ。さっきの電車の折り返しに乗るためだ。

 しかし、車内は発車数分前なのにご覧の通りだった。

 8:25、運転士さんが乗降の確認をし、満席にならないまま津屋崎駅を発車した。せっかくなので、私は“最後の乗車”ということで、前方風景を眺めることにした。電車は、いつもと変わらぬ速さで宮地岳線を駆け抜けた。

 約5分ほどの乗車で西鉄福間駅に到着した。ホームでは、何人かの人が撮影をしているだけで、やはり廃止前日という雰囲気は感じられなかった。

 電車が行ってしまうと、ホームは閑散となった。駅を出て、駅舎を撮影した。駅前では、撤去された自動販売機を積んだ自動車が停まっていた。駅前のバス停も、黒いビニールで覆われていた。ここに来て、初めて“宮地岳線の廃止”という“歴史的事件”に遭遇したような気がした。

 実は、私が今までに利用したことのある鉄道路線で、転換されることなく完全に廃止になったのは、この宮地岳線西鉄新宮―津屋崎間が初めてである。それだけに、何だか記録を破られたような感じがして非常に残念なのだが、人口減少や過疎化・少子化、それに自動車のさらなる普及で、このような例はまだまだ出てくるはずだと思う。九州でも、島原鉄道が半分ほどの区間をちょうど1年後に廃止すると発表している。長崎県営バスも路線の大量廃止を決定している。一方で、都会から来る観光客のためだと言って、巨額の税金を投入して不必要な新幹線を造ろうとする動きもある。

 地元住民と都会から来る観光客。県や市町村のトップにとって、どちらが大切なのだろうか。この動きを見ていると、大きな矛盾を感じてならない。

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