I初めての三木鉄道、最後の三木鉄道

春と言えば鉄道旅行。そこで、今回は、広島や京都など“四都”を走る鉄道を旅しました。

 京都駅の連絡通路にある土産店で、京野菜の漬物を買い、ホームへ。何とか223系の新快速に間に合った。一番並んでいる人の少なかった先頭車に乗り込んだ。とは言っても、車内は昼間なのに大混雑していた。東京もそうだが、京阪神地区の鉄道もそろそろ限界が近づいてきているのではないだろうか。

 先頭車に乗ったので、前方風景を見ることができた。京都を発車すると、次の高槻まで停まらない。電車は、130km/hの最高速度でびゅんびゅん飛ばしてゆく。

 ふと思った。JR西日本は、未曾有の大惨事となった福知山線脱線事故を受けて、「ゆとりダイヤ」を採用したはずである。この事故では、運転士に対する過密ダイヤのプレッシャーが原因であると指摘する専門家もいる。電車は、京都―高槻間の大半の区間で130km/h運転を行った。それはまるで、後続の電車から逃げるかのようだった。結局、運転士に対するダイヤのプレッシャーは、ほとんど改善されていないのではないだろうか(その後の報道で分かったことだが、「ゆとりダイヤ」は、実際には停車時間が延びただけで、過密ダイヤは変わっていないそうである)。

 大阪駅からは、女性1人を含む運転補助員が2名乗り込んだ。信号を確認すると、運転士を含め、3人が一斉に指差確認をしていた。明石付近にはちょっと変わった複々線区間があり、221系を見下ろしながら追い越していった。

 16:37、電車は加古川駅に着いた。ここで、加古川線に乗り換えとなるが、その前に一旦途中下車をして駅舎を撮影した。

   加古川線ホームでは、既に103系2両編成が発車を待っていた。しかし、車内は立ち席が出るほど混んでいた。京都からずっと立ちっぱなしだったので、そろそろ座りたかったのだが、仕方ない。電車は16:42に加古川駅を発車し、16:53に厄神駅に到着した。

 厄神駅では、3分の接続で三木鉄道に乗り換えた。この三木鉄道の乗車こそ、今回の旅行のメインである。

 三木鉄道は、厄神―三木間の6.6km(営業キロ)を結ぶ第三セクター鉄道で、かつては国鉄線だった。しかし、三木市からは、大都市・神戸とは逆の方向に線路が延びており、あまり好立地の鉄道とは言えず、赤字経営が続いていた。そして、2006年(平成18年)に行われた三木市長選挙で、三木鉄道の廃止を掲げた候補者が当選、市民アンケートでも「廃止すべき」「バス転換が良い」との声が大勢を占めたため、2008年(平成20年)4月1日を持って廃止されることになった。そこで今回、最初で最後の三木鉄道乗車を行うことになったのである。

 しかし、車内は予想以上に閑散としていて、大半のボックスが空席だった。乗客は合計10人程で、やはり廃止もやむを得なかったのかなぁと乗ってみて初めて思った。16:56、列車は少ない乗客を乗せて、ゆっくりと厄神駅のホームを離れた。

 三木鉄道は、駅間距離が短いことで有名で、次の国包駅までは、わずか数百mしかない。そのため、列車はあまり速度を上げず、ガタンゴトンとゆっくり走って行く。

 わずか15分弱の乗車で、列車は終点の三木鉄道に着いた。終点まで乗っていたのは、私を入れてわずか5人だけだった。運賃の250円を払い、列車を降りた。客扱いが済むと、運転士がタブレット(通票の一つ)を手に持っていた。現役のタブレットを見たのはこれが初めてだった。このタブレットも、1年後に見られなくなる。

 早速、車両の撮影を開始した。

 駅構内には事業用車両も停まっていた。

 この三木鉄道の気動車は、廃止後どうなるのだろうか。車両によっては、造られてまだわずか数年というものもあり、そのままスクラップにされてしまうのは惜しい気がする。近隣の鉄道で、第二の人生を送って欲しいと思う。

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