Cヒロシマの叫び
平和祈念公園の中を通り、電停から徒歩5分ほどで広島平和祈念資料館に到着した。 広島平和祈念資料館には、今から9年前に一度訪れたことがあるが、何が展示されていたのかほとんど忘れてしまっている。入り口近くの窓口で入場料を払い、多くの見学客といっしょに展示室内に入った。展示室入り口付近には、モニターがあって、広島の原爆について簡単な概要が流されていた。見学客には外国人も多く、館内には様々な言語が飛び交っていた。最初の展示室には、広島が軍都として発展してゆく過程について詳しく書かれていた。さらに進むと、広島に原爆が投下されるまでの詳細が展示されていた。それによると、最初の原爆投下目標都市の選定では、広島市以外にも京都市や山口市、熊本市なども選ばれていたということが分かった。最終的には、広島市、京都市、小倉市(現:北九州市)、新潟市が選ばれたが、後に新潟市と京都市が外され、代わりに長崎市が浮上したという。 そして原爆投下―――。投下前と投下後の街の様子を比較した模型もあったが、投下後はもはや街ではなかった。 その近くでは、広島から世界中の戦争指導者や核実験国に対して発せられたメッセージが、壁いっぱいに掲げられていた。どの文も、感情を前面に出さず、一方で静かで激しい怒りを込めていたのが特徴的だった。じっくり読んでいくうちに、これはただの抗議文だけでなく、ヒロシマからの悲痛な叫びのように思えてきた。しかし、これだけの叫びが戦争指導者や核実験国にきちんと届いたことは、残念ながらほとんどない。これが現状なのかと思うと非常に悔しいが、ここで抗議をやめてしまえば、結局戦火や核の拡散を許してしまうことになる。ヒロシマが60年以上に渡って続けてきた抗議運動は、決して無駄ではなかったと思う。 今、「核保有の議論をしてもいいんじゃないか」などという恐ろしい発言をするような政治家が出てきているが、実際には「核保有をしよう」と言っているようなものである。このような発言をする政治家をこれ以上増やさないためにも、国民一人一人が“自分のこと”と思って政治を監視し、選挙できちんと選ぶ必要があると思う。 さらに進んで行くと、被爆した建物の模型などが展示されていた。旧館と新館を結ぶ橋のそばに売店があった。そこには、広電650形(被爆電車)のペーパークラフトが販売されていた。9年前に訪れたとき、買いたくて仕方なかったが、今回ようやく買うことができた。ただ、1365円と高めだったが・・・。 次のコーナーへ移動した。こちらには、燃える広島の街と、そこを歩く女学生の等身大模型が再現されていた。それは、とても文章では表現できない姿で、模型の前では白人の女性が目を真っ赤にして泣いていた。他にも、閃光で焦げた足跡の残る下駄や服、3歳の男の子が原爆投下時に乗っていたというぼろぼろの三輪車などが展示されていて、どの人も沈痛な表情でそれらの説明書きを一つ一つ丁寧に読んでいた。被爆地近くにあったという瓦も展示されていた。これは触っても大丈夫であると書いてあったので、おそるおそる触ってみたが、瓦の表面は熱で泡状になっていて、ざらざらしていた。 最後のコーナーでは、アメリカをはじめ、ロシアやフランスなどの世界各国での核実験や核兵器を紹介するコーナーがあった。あれから62年の間に、海や砂漠、地下など、様々な場所で国力や技術力を示すための核実験が行われてきた。その中には、アメリカが行ったビキニ環礁での水爆実験のように、船の乗組員や周辺の島民の人体に被害を及ぼした例が多くある。核実験国の中には、フランスのように、本国から遠く離れたフランス海外領土の環礁で、大規模な核実験を何度も行った国もある。本国から離れたところで行うということは、本国の国民に被害が及ばなければ良くて、周辺の島民のことはどうでも良いということなのだろうか。フランスの行った核実験による放射能汚染は、未だに深刻な状態にあるという。 ほとんどの展示物を見終えたが、これらと現在の世界情勢を重ね合わせると、やはり世界は本当におかしな方向に突き進んでいると感じた。世界の将来が、核保有国だけに握られているというのもヘンな話である。あ、なるほど。だから日本の政治家に「核保有論者」が出てくるわけだ。結局、アメリカもフランスもインドも、そして日本の一部の政治家も、ちらつかせば相手が黙る“核の力”に屈しているのだ。そんな意志の弱い人間たちに、世界の将来を託しても良いのだろうか。このままでは、私たちは、天寿をまっとうできるのかでさえ分からない。 アメリカや日本は、「今のところ」世界をリードしていく立場にある。“核の力”で相手を黙らせてしまうような国は、いくら経済力があっても、国のやることとして間違っていると思う。特に、2つも核兵器を投下された日本こそ、核の使用に対して抗議を続け、世界を正しい方向に導いていくべきだと思う。 夕方の平和祈念公園は、人の足音だけがよく聞こえ、独特の雰囲気を醸し出していた。 しかし、電車通りまで来ると、もう帰宅ラッシュが始まっていて、満員の路面電車が行き交っていた。