E濃霧の朝
一旦途中下車した。きっぷに途中下車印を押すためである。その後すぐに「ムーンライト九州」の到着するホームに戻った。すると、構内放送で、「ムーンライト九州」が九州内で起こった人身事故の影響で遅れており、厚狭駅到着が23:40頃になると伝えられた。その間、ホームの自販機で飲み物を買ったり、計画表を見て、明日の予定を確認した。ふと、今朝乗った宮地岳線のことが思い出された。今頃、津屋崎駅では最終運行の記念式典が行われているだろうなぁ、と。 駅の放送は、情報が入り次第断続的に伝えられた。そして、15分ほど遅れて、ようやく「ムーンライト九州」が入線した。驚いたことに、牽引機はEF65形からEF66形に変更されていた。 指定席は2号車で、禁煙席通路側である。車内では既に寝ている人が多く、あちこちからいびきが聞こえていた。私の指定席の窓側に座っている男性も既に寝ていた。 私も今日の疲れが溜まっていたらしく、いつの間にか寝てしまっていた。2007年(平成19年)4月1日(日)
起きたとき、列車は岡山駅に停まっていた。時刻を確認すると、4:40。定刻より30分も遅れている。窓の外に目をやると、隣のホームが白っぽく見えた。濃霧で遅れているらしいが、わずか数十m先がこんな状況とは・・・。ただの霧ではないようだ。 列車は、岡山駅を34分も遅れて発車した。しかし、徐行運転で、警笛を鳴らしながら慎重に走った。次の通過駅である高島駅までは、11分もかかった。こりゃあ、時間がかかるなと思って、また寝ようと思ったら、今度は前の座席に座っていた乗客が、大きないびきをかき始めた。とても寝られる状態ではなく、仕方なく我慢することにした。その後、列車は加速と減速を繰り返した。5:26頃からだんだん明るくなってきた。しかし、外は真っ白だった。 5:56に車内減光が解除された。起きる乗客も増えてきたが、列車が遅れていることに戸惑う様子の人はあまりなかった。その後、いったん霧が晴れてきたものの、姫路駅の手前で再び濃霧に突入。そして、停車してしまった。6:20、列車は67分遅れて姫路駅に到着した。車内放送によれば、しばらく停まるということだが、急に乗客の動きが慌しくなり、たくさんの乗客が荷物をまとめて列車を降りていった。私の隣に座っていた男性も、降りていった。よく見ると、反対側のホームに223系の新快速大阪行きが停まっているではないか。と言うことは、新快速が先に発車するということか!私も急いで荷物をまとめ、牽引機のEF66形を撮影し、新快速に乗り換えた。 やはり、新快速のほうが先に発車した。しかし、徐行運転を実施し、そしてついに停まってしまった。 しばらく行くと、再び濃霧に突入した。100m先はもうほぼ完全に見えなかった。電車は、自転車並みの速度で、ゆっくりゆっくりと進んでゆく。 途中で太陽が出てきて、少し霧が晴れたものの、再び濃霧に包まれた。私が今まで見た中で一番ひどい濃霧で、50m先も見えにくいほどだった。電車は、自転車並みの速度からさらに遅くなり、停まったり進んだりを繰り返した。放送によれば、濃霧で信号確認ができず、線路を目視確認しながら進んでいるため、速度が出せないということだった。 神戸市内に入ると、霧はようやく晴れ、新快速は通常運転を開始した。車内放送では、通勤通学者に対して、「駅改札口で遅延証明書を発行しております」と繰り返し伝えていた。 電車は、40分も遅れて終点の大阪駅に到着した。定刻通りならば、大阪駅で急行「きたぐに」、寝台急行「銀河」、寝台特急「日本海」を撮影する予定だったが、駅構内にそれらの列車はまったく見られなかった。全て回送されてしまったらしい。 近くのホームにJR東海所属のキハ85系「ワイドビューひだ」が停まっていたので、早速撮影した。 しばらく大阪駅構内をうろうろした後でホームに戻ってみると、今度は485系「雷鳥」が停まっていた。「雷鳥」を撮ろうと、5人ほどの“同業者”が写真を撮っていた。長編成の列車は、やはり良い。 その後、敦賀行きの新快速が発車するホームに向かった。こちらも40分ほどの遅れが出ており、ホームでは行楽地や仕事場に向かう利用客でごった返していた。私は駅の売店で朝食を買ったが、よく考えてみれば、しばらく食べることはできそうになさそうだ。8:20、ようやく敦賀行きの223系新快速が入線した。