さよなら「なは・あかつき」

――最後の1週間を追う――

2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正をもって廃止された寝台特急「なは・あかつき」。その最後の1週間を追いました。

本州内ではEF66形が「なは・あかつき」を牽引した。2007年9月23日・岡山駅で撮影。

 2008年(平成20年)3月15日。また夜の星がレールの上から消えていった。

 「なは」「あかつき」。長年、京阪神地区―九州間を結んだ。最盛期には、「あかつき」で1日7往復が運転された。しかし、新幹線や飛行機といった高速交通網の発達に加え、車両の老朽化、設備の陳腐化、防犯対策、時代に合わない寝台料金、夜間要員の確保の難しさなどの理由により、夜行列車はどんどん削減されていった。2005年(平成17年)には、名門列車・特急「あさかぜ」「さくら」が廃止になり、鉄道ファンだけでなく、長年利用してきた多くの人々が別れを惜しんだ。この後、九州発着では「彗星」が廃止、「なは」は九州新幹線の部分開業に伴う並行在来線の経営分離により、運転区間が短縮され、ついに九州で寝台特急空白県が出てきてしまった。

 「なは」「あかつき」は、「彗星」廃止を機に併結運転を開始し、運行の効率化を進めたが、それでも乗車率の低迷により、廃止が決まってしまった。これにより、京阪神地区―九州間のみを結ぶ寝台特急は全滅した。また、「あかつき」の廃止は、長崎県及び長崎本線からの寝台特急撤退を同時に意味し、沿線住民からは「スローな旅が提唱されているのに、寝台特急を廃止するのは時代の流れに逆行している」「寝台特急を活用せず、長崎新幹線ですか」というJRへの批判が少なからずあった(佐賀新聞、朝日新聞投書欄より)。これで、九州発着の寝台特急は、「はやぶさ・富士」だけになり、京阪神地区からは下り列車しか利用できなくなった。佐賀県でも、県庁所在地代表駅の佐賀駅に停まる寝台特急がゼロになり、「はやぶさ」の停まる鳥栖駅が唯一の寝台特急停車駅になった。その「はやぶさ・富士」も、2007年(平成19年)11月の朝日新聞の報道によれば、2009年(平成21年)春のダイヤ改正をもって廃止される予定なのだという。

 私は、なるべく寝台特急を利用した。特に、「あかつき」のレガートシートは普通車指定席扱いなので、JR九州の若者向け会員カード「ナイスゴーイングカード」の割引も適用(廃止間際は適用されなかったとの情報もあるが……)されたので、機会があれば乗車していた。それだけに、今回の廃止は極めて残念だった。

 私は、最後の姿を撮影すべく、廃止間際の1週間のうち、時間の許す限り、「なは・あかつき」を追った。以降は、その記録である。

3月9日(日):鳥栖駅

3月12日(水):佐賀県藤津郡太良町波瀬ノ浦

3月14日(金):佐賀駅

3月15日(土):鳥栖駅

★廃止に合わせ、両列車の終着駅である熊本駅や長崎駅では、出発式などの式典が開催され、記念オレンジカードや記念乗車券も発売された。また、停車駅でもささやかなお別れイベントを行ったところがあった。例えば、佐賀駅では「あかつき」の写真が展示されていた。ただ、「さくら」の時に比べ、盛り上がりに欠けていたような気がする。また、毎回のごとく、罵声を浴びせる悪質な人間もおり、下ろされる幕に泥を塗っていた。

――夜行列車大削減の春――

 2008年(平成20年)春のダイヤ改正で消えた夜行列車は、「なは」「あかつき」だけではない。半世紀以上に及ぶ歴史を持つ寝台急行「銀河」(東京―大阪間)が廃止、寝台特急「北斗星」「日本海」は、どちらも1往復化された。わずか一晩で、3列車が廃止、2列車が減便された。

 だが、その分、鉄道ファンだけでなく、長年親しんできた人や報道機関の注目を集めたのも事実だ。テレビ朝日系列「報道ステーション」(3月14日放送)では、東京駅で最終「銀河」の生中継を行った。その他の各局も、週末のワイドショーなどでそろって放送した。だが、その度に関係者からは「毎日これだけの人が乗ってくれたら(存続しただろう)」という声も漏れていた。これは、夜行列車の今後を左右する言葉でもある。残したいのなら「乗る」しかないのだ。全区間は無理としても、立席特急券や寝台特急「あけぼの」の「ゴロンとシート」のように指定席特急券で気軽に乗れる列車もある。私も、可能な限り寝台特急を利用したいと思う。

旅行記&特集へ

トップへ